29 上陸本番(2)
正午過ぎに、マーレイズに到着した彼らは、しばらく街の中を歩き、宿をさがして、港に近い「とまり木亭」という中の上程度の宿へ一泊した。
その宿へ入ろうとしたとき、太師は、
「あなたをこんな宿に泊めたと、猊下や乾陽大公の知るところとなったら、わしは彼らに合わせる顔がない」と、難色を示した。けれどリーユエンは、
「魔導士だけで上級の宿泊所に泊まると、身元を疑われるだけですよ」と、さっさと中へ入って手続きを済ませてしまった。アプはその時、リーユエンの大きな外套の懐の中に隠れていた。
宿の主人と交渉し、二階の港が見える正面の部屋を決めると、彼らは外へ出て港の様子を見に行った。大通りの四辻にある広場で、僧侶魔導士が木箱の上に立ち、通行人へ演説し、扇動していた。
「明日、北荒の穢れた魔女がやってくる。明妃だ。皆で、魔女を追い返そう!あいつは、玄武をたぶらかし、政を専断する魔女だ。顔は焼け爛れて醜いのに、術を使って皆を騙しているのだ。しかし、神聖大鳳凰に仕える我ら南荒の魔導士の目を欺くことなどできないのだ。明日、明妃が船を降りる時、皆で、あやつを海に突き落とすのだ。そうすれば、真の姿が現れるだろう」
ヨーダムとリーユエンは、フードを目深に被ったまま顔を見合わせた。
「凄い言われようですね。玄武の国でも結構色々言われたけれど、ここまで過激なのを聞いたのは久しぶりですよ」と、小声で話すリーユエンの声の調子が、太師にはウキウキ弾んで聞こえて驚いた。
「どうして、そのように嬉しそうに言われるのだ?そこは、憤ったり、悲しんだりするところではないのか?」と、問いかけると
「エッ、そうなんですか?でも、喧嘩を売ってきているわけでしょ?買っちゃおうかな、どうしようかなって考えていたものだから・・・ハハハッ」
リーユエンの言葉に太師はため息をついた。
「ハアーッ、そうだった・・・あなたはそういうお方だった。攻撃させるだけさせて、倍返しどころが数倍、きっちりお返しするのが、あなただ」
「でも、あの様子だと、シュリナに身代わりをさせて下船させるのは、危険そうですね。明日、船へ戻った方がよさそうだ。それにしてもここは、金羽国の領内のはずなのに、取り締まりもしないなんて、国王も喧嘩を売っているのかしら・・・」
太師は、ますます低くなるリーユエンの声に、頭を抱え込みたい気分だった。
(ああ、愛弟子とはいえ、この方をわしひとりで抑えるなんて無理だ。早く、乾陽大公に、この方の側についていただかねば・・・)
リーユエンは、自分の肉を切ってでも相手の骨を断とうとするので、何か事件に巻き込まれるたびに、自分自身も負傷することが多い。明妃としてお預りする太師の立場としては、どうあっても傷ひとつつけず、玄武の国の法座主、ドルチェンのもとへ連れて帰らなければと、使命感とプレッシャーをヒシヒシと感じていたところへ、リーユエンが
「太師、私はアプをつれて市場へ行ってきます」と、声をかけてきた。
太師は我に帰り、「市場?何か探しに行くのか?」と、尋ねた。
「アプちゃん、果物が好きって言っていたので、何か売っていたら買ってあげようと思って」と言うと、懐からアプが嘴をのぞかせ
「杏りんごがあったら、買ってほしい。我はそれが大好物」と言った。
「分かった、果物を売っている店で聞いてみよう」と、行きかけたリーユエンの後を、太師は「わしも行くから待ちなさい」と追いかけた。
港の南側には、マーレイズで最も広大な中央広場があり、その東端には、神聖大鳳凰教の寺院が建っていた。けれど、参拝者はほとんどいないようで、入り口のあたりは閑散としていた。その様子を見た太師は、
「二十年前に来た時、あの寺院の入り口には、蝋燭売りがおって、願掛けに来た者がその小さな蝋燭を買い、寺院の祭壇へ備えようと列をなしておったのだが、蝋燭売りもいなくなったのか」と、つぶやいた。




