3 幻水楼の歌姫(2)
「この先は、地図では確か沼沢地だったはずだ」
ユニカの報告を聞いたリーユエンは首を傾げた。ユニカは、沼地がなくなり、建物が複数建っていたと報告してきたのだ。
「カリウラ、地図を一回確認してみよう」
そう言うと、リーユエンはふたりとともに総隊長の大天幕へ移動した。
総隊長が、天幕の中の大テーブルへ、西荒への全行程の地図を広げた。地図では、金杖国との国境バクシー丘陵地を通過するとナムサ荒地へ到り、行路の両側に沼沢地が広がっているはずだった。それもただの沼沢地ではなく、黒い水面からぶくぶくと瘴気の泡が立ち上る危険区域だ。ユニカには、高度を上げて影響のない場所から、瘴気の発生程度を確認してもらおうと、偵察を頼んだのだ。しかし、偵察から帰ってきたユニカは沼沢地を確認できなかったと言う。
「建物がいくつか建ってました。区画がはっきりして、整然とした感じでした。それに建物の前に広場があって、市場がたっているようでした。先行の隊商がもう、そのあたりに差し掛かっていました」
交易通行税の支払いトラブルで、隊商は一斉に足止めを喰らい、出発も一斉であったため、西荒にいたる行路は混雑していた。彼らの率いる隊商は、規模が比較的大きいため、小規模で身軽な隊商が次々に追い抜いていった。その先行する隊商が、沼沢地のあったはずの場所へ、もう入り込んでいるのだ。
「沼沢地が綺麗さっぱり消え失せて、街ができているなんて何だか妙ですね。どうしましょう?」
眉をしかめたカリウラは、凶悪な顔つきでリーユエンへ尋ねた。
頬杖をついたリーユエンは、地図上の沼沢地帯を指先でトントンと叩きながら、考え込んだ。
「その街は迂回した方が良さそうだが、迂回できるかな」
「沼沢地は底なし沼があるから、未踏ルートを通るのは無理ですよ」
「では、街を抜けていくしかないか。一度下見しておくか?」
カリウラがうなずき
「昨日までずっと移動してきたから、荷運び人は今日一日休養を取らせましょう。リーユエン、あんただって、今日は一日騎獣に乗りっぱなしは嫌でしょう」
と、にやにや笑って言った。
「そうだな、誰を下見に行かす?」
リーユエンが尋ねると、カリウラは、
「まあ、私とあんたでいいでしょう」と言った。
「あのう、私もついて行ってもいいですか」
ユニカがおずおずと尋ねた。
「ユニカも行きたいのか?」
リーユエンに問われて、ユニカは少し赤らんだ顔でうなずいた。
「分かった。日の高いうちに出かけよう」
リーユエンは承知して、椅子から立ち上がった。
総隊長の大天幕を出て彼らが騎獣舎へ行く途中、デミトリーが影護衛のヨークと剣で模擬戦を行っていた。剣と剣のぶつかる金属音が辺りに響き、周りを荷物運び人たちが各々取り囲み、野次を飛ばしていた。
「よっ、護衛の金髪兄ちゃんがんばれ、押されてるぞ」
「ヨーク、そこだ突き入れてやれ」
カリウラは、デミトリーの腕前はまあまあってところかなと思いながら、取り囲む野次馬の外側をそのまま通り過ぎかけた。しかし目立つ禿頭は、頭ひとつ分飛び抜けていて、デミトリーに気づかれてしまった。
「総隊長、どこかへ行くのか?」
剣を鞘へおさめ、デミトリーは駆け寄って来た。王様から王子の世話を押し付けられて、結局荷物の護衛として雇った体裁をとったのだ。貴人の影と一体となって護衛する影護衛だと気づかれると、デミトリーの身分が高いと知られてしまうので、ヨークも実体化してついて来ていた。
「何だ、もうおしまいか」と、野次馬たちがぞろぞろ散っていく中、カリウラはリーユエンと顔を見合わせた。
「リーユエンも一緒に行くのか」
近づいて来たデミトリーは黒ずくめのリーユエンに気がつき声をかけた。
「暇なんだ、俺も連れていってくれ」案の定、デミトリーも行きたがった。




