27 南荒へ上陸(10)
鮫人に負傷者が出たため、三胴船の曳航者が減ってしまい速度が落ちてしまった。出航から二日目、長椅子にだらしなく半身を預けた明妃は、クラーケンを退治した時に使った太極石の残り半分を、もの思わしげな表情でぼんやり眺めていた。
(また、やらかした・・・よりによって酒を飲んでいる時に法力を送り込んでくるなんて・・・反応が遅れて反撃し損ねた)
法力をいきなり送り込まれ、陶然となった姿を、乾陽大公に見られてしまった。法力を受けると、その身は金色のオーラを帯び、色香が匂い立ってくるのだ。その色香に、まったく免疫のないダルディンの眸はすっと縦に縮み、理性が吹き飛んだ。彼がいきなり自分にむしゃぶりついてきた時、明妃は、事の重大さに狼狽えた。そして案の定、玄武紋は閃光を発し、ドルチェンの激怒に体を貫かれて気絶した。
(酷いわっ、猊下ったら・・・仕掛けてきたのはダルディンなのだから、彼の方を攻撃すればいいものを、私ばっかり、どうしてこんな目に遭わなきゃならないのよ)
昨夜、身のうちを貫ぬかれた、その感覚の記憶が蘇り、悔しいやら情けないやらで、泣き出したい気分だった。
そんなおもしろくもない事を思っていると、寝込んでいるウラナに代わり、ようやく船酔いの治ったシュリナが部屋へ入ってきた。
シュリナは、彼女へ近寄り
「どうしたんだ?さっきからその石ばかり睨んで」と、声をかけた。
明妃は、視線を上げ、今度はシュリナをジーッと見た。
「何だよ、私の顔に何かついてるのか?」
シュリナの問いかけに、明妃は無言で首を振り、また太極石を見つめながら、
「船の速度を上げるのに使うつもりだったけれど、クラーケン退治に半分以上使ってしまったから、どうしようかなっと思って・・・」
と、言った。それから、思いついて
「そうだ、ヨーダム太師をお呼びしてちょうだい」と、シュリナへ命じた。
しばらくして、シュリナがヨーダム太師を連れて戻ってきた。
「明妃、わしに何用かな?」と、切り出した太師へ、立ち上がって揖礼すると、明妃は「お掛けになってください」と、椅子へ着座を勧めた。それから、シュリナへ「お茶を持ってきてちょうだい」と頼んだ。
明妃は長椅子に腰掛けると「先日、先見をした時に、石ころだらけの浜辺であるものを見かけたのです」と切り出した。
太師は、明妃の先見の能力の高さはよく理解しているので、黙って話を聞いた。
「あれは、おそらく新教皇が襲名式を延期したがっていることと関係のあるものだと思います」
「それで、あなたはどうしたいのだ」
太師の顔を見て、明妃はふっと微笑んだ。
「自分で拾いに行きたいのです」
太師は腕組みし、背もたれにもたれかかった。
「ご自分で拾いたいと?」
「ええ、何なのか、ものすごく興味があります。今から、出発して先に拾い上げて、それから、金羽の国へ微行して内情も探ってみたいのです」
「それで、わしを呼んだのは、一緒に来いということだな」と、確かめると明妃は、太極石の欠片を取り出し
「まだ、これが残っています。私と師父ふたりだけなら、この量でも術が使えるかと・・・」と、言った。
「なるほど」と、ヨーダムは顎に拳をあててうなずいた。そして
「明妃の身代わりは立てるのか」と尋ねた。
「シュリナに頼みます」
しかし太師は眉をしかめ、首をふり、
「あの女子は、あなたに全然似ておらぬ。すぐばれてしまうぞ。それに大牙の使節はダーダム、シュリナの父親が団長だと聞いたぞ」
「大丈夫です。船酔いがひどくて寝込んでいるって言いふらしておいて、担架に乗せて降りて貰えば大丈夫でしょう」
ヨーダム太師は、大きくため息をつき、明妃を見た。そして、
「リーユエン、昨日、大公と何かあったのか」といきなり問うた。
明妃は、視線を逸らした。
太師は、また、ため息をつくと、「今朝、大公殿下はひどく落ち込んでおられた。あなたたちふたりとも、もう大人なのだから、わしは小うるさいことを言おうとは思わないが、先に上陸したいのなら、大公には話を通しておきなさい」と言い聞かせた。
ところが明妃は、「私は、今、直接大公殿下にお目にかかりたくありません。昨日、猊下は、激しくお怒りでしたから、もう刺激したくありません。どうか、太師の方からお伝えください」と、涙目で訴え、そしてうつむいて、
「昨日は、私には落ち度はございません。それなのに、猊下のお怒りに打たれたのは、私の方でございます。猊下の思し召しを拒むことなどできようはずもございませんが、それにしましても、昨夜のことはあまりに理不尽ななさり様です」と、小声で続けた。
普段は冷静なリーユエンから、そのように苦悩した様子もあらわに、涙目で訴えられては、太師も否とは言いがたく「分かった。わしの方から話は通しておく」と言うしかなかった。




