2 金杖国の王子様(5)
翌日、十時きっかりに調停は開始となった。金杖国の裁判制度は、市民同士は訴訟、国を相手取る時は調停という。建前上、国王は無謬の存在とされており、訴訟で敗訴するわけにはいかないので、調停という勝ち負けをはっきりさせない解決法を選択するのだ。だから、実質は訴訟とそれほど変わりはなかった。
最初の法務院の審理官が、財務府の役人と、原告団弁護士クルクス、主訴人カリウラ、連署人リーユエンに、法と正義の神ユスティティアの御名において、誓約を求めた。ひとりひとり、法廷の中央の証言台に立ち、神の御名において、法廷では真実を述べると宣誓した。
調停という名の裁判が始まり、原告からの主張、国の主張がそれぞれ申し立てられ、すぐさま審理官三名が別室へ入り、審理を始めた。法廷は、審理が終了するまで休廷となり、弁護士と三人は、法務院の中庭に行き、再開を待った。
法務院は外側に回廊つきの建物が四角形に建てられ、その中側に広い庭が造園されていた。中央には、噴水付きの大きな池があった。そのほとりに、幾つか置かれたベンチに各々腰掛け、審理が再開して呼ばれるのを待った。
クルクスから少し距離を置いて、ベンチに腰掛けたハオズィは、カリウラへ
「あの弁護士、思った以上に有能ですね。この分だと、税額変更命令は無効と判断されそうですよ」と期待を込めて言った。けれど、カリウラは、少し離れたベンチに腰掛けたリーユエンの様子が気になっていた。返事をしないまま、カリウラはリーユエンへ近寄り、右手の甲を指差して話しかけた。
「また、傷口が開きましたね。薬塗っておきましょう」
言われて気がついたようで、リーユエンは右手の甲へ視線を落とした。相変わらず、黒いフードを被っているので、表情が見えないが、拒否もしないので、カリウラはまた例の粉薬を取り出し、彼の手の甲へ振りかけた。そこへ突然
「おや、どうしてこんな清浄な中庭に、穢らわしい魔導士が迷いこんでいるのだ」
と、声が聞こえた。
リーユエンとカリウラの前に、眩いばかりに輝く黄金の巻毛が肩までかかり、筋肉質で背の高い、獅子らしい覇気のみなぎる端正な顔立ちの若者が立っていた。
弁護士のクルクスが驚き慌てて駆け寄ってくると、いきなりその美丈夫の前で、跪拝叩頭を行い
「王子殿下、万歳万歳万万歳」と大仰に挨拶した。金杖国民ではないリーユエンとカリウラは、ただ黙ってその様子を見ていた。カリウラの知るところでは、金獅子らしい派手な顔立ちの王子殿下は、名をデミトリーといい、確か二十一歳になるはずだった。普段は王宮か元老院、あとはせいぜい国王親衛隊本部あたりにいるはずのデミトリーが、なぜこんな所に来たのかが不思議だった。デミトリーは、人差し指をリーユエンへ向かって突きつけ「穢らわしい魔導士め、出て行け」と、はっきり言った。
「誰が魔導士だって」と、リーユエンが温度の低い、抑揚のない声で言った。
デミトリーは一瞬気圧されかけたが、気を取り直すとさらに
「おまえは、慈善事業を隠れ蓑に、幼児をさらい生き血をすすって魔物を養い、邪な力をものにした魔導士だ。私はおまえの正体を知っているぞ」と叫んだ。
リーユエンは、ゆっくりフードをめくりあげ、左側が黒鉄で覆われた素顔をさらすと王子へ向かって
「王子殿下は、おっしゃった事の責任は取るお覚悟がおありなのか」と尋ねた。右側の紫色の眸が射抜くような鋭さで、王子殿下を捉えた。リーユエンの全身から不穏は気配が一気に立ち上り、あたりの空気が重苦しいものに変化した。王子殿下は、思わず数歩後ろへ下がった。リーユエンは、王子殿下の方へ歩きかけた。そこへ調停決定を言い渡すので、法廷へ入るようにと、吏員が知らせに来た。




