19 もうひとり侍女になります(6)
宰相は、ドルチェンのもとへ出向いた。その日、たまたま時間の空いていた座主は、すぐ宰相に会ってくれた。
宰相は座主に会うなり、挨拶もそこそこに切り出した。
「猊下、明妃は、四、五日前、街へ微行されませんでしたか」
ドルチェンは、今日の宰相は随分鼻息が荒いと思った。片眉をくいと上げ、彼は
「さあ、どうであっただろう・・・本人に尋ねてみてはどうだ。わしも一緒に行ってやろう」
座主は何かおもしろい事が起こりそうな気がして、宰相をともない離宮へ出向いた。
ドルチェンは、まっすぐ明妃の自室へ向かおうとしたが、侍女頭のウラナから、明妃は中庭の東屋にいると教えられ、宰相を伴い中庭へ入った。
東屋の大理石の丸テーブルの前で長椅子に寝そべり、明妃は、答弁書を読んでいた。
(どうして伝送部の連中は、答弁書の添削まで私に押し付ける?こんなの専門外なのに・・・だいたい、この答弁書、答弁の最初と最後で、結論が違うじゃないか。途中で破綻してるぞ)
すると、目の前が突然影になった。顔を上げると、ドルチェンがのぞきこんでいた。
「明妃、まだ仕事をしているのか」
「猊下・・・」
明妃は答弁書をテーブルの上へ置き、猊下へ拝礼した。するとドルチェンから
「四、五日前、街へ微行で出かけたのか?」と、尋ねられた。
明妃は、何も気にせず「はい」と答えた。
すると宰相が、明妃の前で土下座して、「明妃殿下、娘をお助けください」と泣き出した。
「娘って、アーリナお嬢さまのことでしょうか」と、明妃は宰相を助け起こしながら尋ねた。
宰相はハンカチを取り出し、目元を拭いながら
「娘は、リーユエン様にお会いしたいと思い詰めて、食事も喉を通らないありさまで・・・どうか、娘に会ってやってください」
「!!!・・・」
明妃は、驚きに開いた口を右手で覆い、顔を宰相から反らせた。そこでウラナと目が合ってしまい、思わず
「ウラナ、私は何もしてないわよ。信じてちょうだい」と、ささやいた。けれどウラナは、怖い顔で明妃を睨み「御自覚ください、お気をつけてくださいと、何度も申し上げているのに、また、やらかされたんですね」と、攻め立てた。
明妃は身をのけぞらせ「本当に何もしてないわよ。シュリナが一緒にいたから、呼んで聞けばいいわ」と、ウラナをなだめようとした。
「では、シュリナを呼んでまいります」と、侍女頭は回れ右して行ってしまった。
それを見送った明妃は、宰相を振り返り
「アーリナは、どんな具合ですか?」と、尋ねた。
「アーリナは、あの子は、部屋であなたから買っていただいた衣を広げて、うっとりと見つめ、リーユエン様の妻になりたいと申しておるのです」と、宰相はまた泣き出した。
「エエッ」
明妃も衝撃を受けて、思考停止した。
ドルチェンが、明妃に近寄ると、ガシッと上腕をつかみ「求婚されるなんて、あなたは、一体何をしたんだ?」と耳元で低い声で尋ねた。その声の不穏な響きに、明妃は背筋がゾワゾワし、
「猊下、私は、本当に何もしておりません」と、耳元でささやいた。そこへ、ウラナがシュリナを伴い戻ってきた。
シュリナは、宰相が先だってのお礼に来たのだと思った。ところが、ウラナから説明をきいて、最初は呆気にとられ、次に大爆笑した。
「アハハハッ、こりゃ、傑作だよ」
宰相は顔を真っ赤にして
「娘の一生に関わることを笑い飛ばすとは」と、憤慨した。
明妃が慌てて「シュリナ、真面目な話なんだから、真剣になりなさい」と、注意した。
シュリナは、笑いの発作が収まると、「アーリナは、道でならず者三人に取り囲まれて、簪を奪られたんだ。その悲鳴を聞いて、私が駆けつけ、ひとりを飛び蹴りしたら、残りのふたりが襲いかかってきた。ところが、アーリナが、その一人に飛びついたものだから、そいつが青龍刀を抜いて切りつけようとしたんだ。それで、明妃が六尺棒二撃で、そいつをぶちのめして、アーリナを助けたんだ。アーリナはひっくり返って、腰が抜けていたから、明妃が手を貸して立ち上がらせた。それで、服が泥だらけだったから、蓮花堂で衣をかえさせて、空腹だったから、みんなでご飯を食べに行っただけだよ。その間、喋ってたのはほとんど私で、明妃が喋ったのは、えっと最初に怪我がないか確認したときと、衣を選んでほしいって言われて、店主へ指示した時、あとは迎えが来たのを教えてあげたときくらいかな」と、事情を説明した。




