2 金杖国の王子様(4)
「有徳の老師?何だそれ?そんなに持ち上げられて、一体どんな顔で法務院へ行けと?」
リーユエンは、不機嫌な口調で言った。けれどカリウラは、
「何言ってるんですか。羚羊や巨像のところで、いろいろ施設をつくってやったのは本当のことだし、金杖の孤児院だって、資金の九割方はあんたの寄付金なんですよ。有徳って言われった当然じゃありませんか。堂々と顔出してやればいいんです」
と、熱弁を振るい、その横でハオズィもうなずいていた。
「・・・・・・」
リーユエンの表情は曇ったままだったが、フードを被り直したため、ふたりは気が付かなかった。
リーユエンが桁外れの富豪で、方々で貧しい人々や病人、孤児、未亡人を助ける施設を立ち上げてきたのは事実ではあるけれど、彼本人にしたら、それは純粋な善意によるものではなかった。彼には、彼自身が心に密かに定めた目的があり、冷徹な計算に基づき、そのように行動してきたにすぎないのだ。西荒の地へ到着するまでに、彼はリーユエンという人物になりきっておく必要がどうしてもあったからだ。ただ、それが彼自身でも思いがけないほど世間から評価され、有徳の老師と噂になり、彼の名を利用しようとする者まで現れ始めて、戸惑いと苦々しい気持ちが生じていた。それにクルクスは随分煽動的な演説を行ったようで、これでは、王政府とリーユエンが交易通行税をめぐり、真っ向から対立したように見えてしまうことも気がかりだった。西荒の地で目的を果たすまでは、リーユエンは何者とも事を構えたくなかったのだ。
(リーユエン、気にするな。金杖の獅子どもの一頭や、二頭、おまえなら適当に料理できるだろう。おまえが手こずるようなら、我が始末をつけてやる。何も気にするな。それより、我はそろそろ食事がしたい。ふたりを追い払ってくれ)
リーユエンの中にいる魔獣が話しかけてきた。言われた通り、リーユエンは立ち上がり、そろそろ寝みたいからといって、部屋から二人を追い出した。
寝台に静かに横たわったまま、リーユエンはシーツを鷲掴みにし身を震わせて、異界の魔獣が自身の体から生気をごっそり奪っていくのに耐えていた。体の中を、蛇のような何かが這いずり回り、彼の生気を削り取っていく。痛みはないけれど、内臓へ直接氷をぶち撒けられたような猛烈な悪寒に襲われた。自然顔を歪め、呼吸が荒くなった。彼に寄生するのは、異界の魔獣だ。生気を奪っていくかわりに、彼へ強大な魔力と人外の知恵を授けてくれた。リーユエンが富を手に入れたのも、この魔獣の案内で、東荒の奥地、険しい山間の洞窟へ行き、数百年前に寿命が尽きて死んだ火竜の寝床をみつけ、火龍が残した財宝を手にいれ、それを元手に増やしたおかげだった。
ただ、数日置きに生気を奪われる時の不快感には、慣れることができなかった。魔獣はリーユエンの生気の味が殊のほかお気に入りで、いつも食事の後はご機嫌で話しかけてくる。一方のリーユエンは何回奪われても慣れることのない不快感に、体はぐったりと弛緩しきって、返事もできない有様だった。
(明日の審理はたぶんこちらに有利な展開になるだろう。ただ、面子を潰される金杖の連中がおまえを無事に返すとは思えないから、念のため生気を多めにもらっておいたから悪く思うな。おや、おまえ、手に力を入れすぎだぞ、甲の傷が開いている、手当てしておけよ)
魔獣に言われ、リーユエンは重い瞼を開いて右手を見ると、甲の傷から血が流れていた。手当てしなければと思いながら、疲労が押し寄せてきて、そのまま気絶するように眠ってしまった。




