第八章 宗教法人 大光教会
東京へ向かう電車内、平松は車窓の向こうを流れる景色をぼんやりと眺めながら思索に沈んでいた。
(つまり、田中は何者かに後ろから後頭部を殴られ、気絶したところを、王町のどこかにある風穴か鍾乳洞の穴から地下水脈へ落とされた。きっと、気絶した田中はそのまま溺死したのだろう。その死体は、極低温の地下水に守られて腐敗もせず、2日かけて王町から静岡の桜池まで流されていった。そして、偶然にも桜池に浮かび上がった──)
(だから、静岡近辺には潜伏の気配がまったくなかった。事件の“現場”は、完全に別の場所だったというわけだ)
(とにかく、神社についたら……まずは、その“穴”を探し出さなければならない)
——
数日後。東京・霞が関。
平松は、帰京後に公安課長と情報交換を行い、田中が王町にいた理由を探るべく会談をもった。
北朝鮮製の違法兵器ルート、脱北者ネットワーク、武器取引と宗教団体のつながり──その一つ一つが、まだ未解明のままだ。
課長は、デスクの引き出しを探る手を止め、ふいに眉をひそめた。
「──あの神主、宮島って名前じゃなかったか?」
平松は怪訝そうに首を傾げる。
「神主?……ええ、宮島宮司ですけど、それが?」
課長はしばし考え込み、机の端に置いた内線電話を引き寄せた。
「外事一課に繋いでくれ。……ああ、田村か。ちょっと確認したい名前がある」
受話器越しに紙をめくる音が聞こえる。
「──そうか……やっぱりな。ああ、……分かった。」
受話器を置いた課長の表情は硬かった。
「平松、その神社……外事一課がマークしている“ある宗教法人”と繋がっているらしい。資金洗浄の拠点の一つだ」
「資金洗浄?」
平松は思わず聞き返す。
課長は手元のメモを差し出した。そこには大きく、ひとつの名前が書かれていた。
佐嶋義徳。
「……宮島じゃないのか?」
「本名だ。外事によれば、釜山ルートの送金記録にもこの名前が出てくるそうだ」
「奴は新興宗教団体の代表になってな。その代表名が──佐嶋義徳だった」
課長の声が低く響く。
「宗教法人『大光教会』な──元は昭和31年(1956年)に『大神教』として設立された団体だ。
向こうの発表では信者は2万人と言っているが、実際は精々5,000人弱だろう。
本部は当初、神奈川県に置かれていた。
創設者は三條大悟という男で、昭和39年(1964年)に病死している。
その後、佐嶋義徳が代表の座につき、名称を『宗教法人 大光教会』へ改めた。で、本部の住所を長野県王町──あの神社の所在地にごっそり移してる。……わかるだろ?」
課長は手帳を閉じ、低く息を吐いた。
「宗教法人を隠れ蓑にした資金洗浄だ。柳瀬会や赤軍のカネが、全部“浄財”に化けて流れていた」
平松は眉をひそめた。
「……摘発は?」
「無理だ」
課長は机の上の灰皿を指先で回しながら言った。
「証拠がなかったしな。何しろ相手は宗教法人だ。しかも、移転先は地元じゃ由緒正しい神社だぞ。警察だって、地元の反発や政治圧力を恐れて令状請求に二の足を踏んだ。それにな──裏には与党の大物がついてた。もし表沙汰になりゃ、内閣がまるごと吹っ飛ぶ案件だったんだよ。」
そこで、課長は一拍置いて視線を落とした。
「それと──北朝鮮とのつながりも、な。はっきりした証拠はないが……“見え隠れ”していた」
事務室の空気が重く沈み、窓の外の港の風さえ遠く感じられた。
「確か戦時中に佐嶋義徳が絡んでいた計画のレポートがまだ保管されていたはずだ。外事が、厚労省の地下にその旧日本陸軍の資料があると言っていた」
平松の脳裏に、穏やかな笑顔で境内を案内する宮島──いや、佐嶋の顔が浮かぶ。
その笑顔の奥に、別の貌が潜んでいる気がした。
この物語はいかなる団体・宗教・思想とも関係ありません。
登場する人物・団体・地名はすべて架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。