第二章 大禍津神社
王町の外れ、山の尾根を越えた先に、醜女隠の森が広がっている。
昼なお薄暗いその森の奥、葦夜湖の静かな水面に寄り添うように、大禍津神社はひっそりと佇んでいた。
木々に覆われた社殿は苔むし、湖面から立ち上る靄が常に境内を包み込む。
訪れる者もほとんどなく、ただ風と水の音だけが、この地の時を刻んでいた。
杉木立に囲まれた参道は湿った土の匂いを含み、踏みしめる砂利が微かに音を立てる。
磯良小夜は、警察学校や勤務中も、王町方面に用事があれば立ち寄るのが習慣となっていた。
母が亡くなって十八年──それでも、この境内に立つと、当時の空気が鮮やかによみがえる。
「おじさん、ただいま」
社務所の引き戸が音を立てて開き、神主代理の宮島が現れた。
「小夜さん、お帰りなさい」
平松が軽く頭を下げた。
「公安の平松です。こちらは臥竜。ご協力感謝します」
「ええ、こちらこそ」
その時、宮島の視線が一瞬だけ小夜から逸れ、境内奥の宝物殿へと流れた。
ほんの一瞬の動きだったが、平松の目はそれを捉えた。
夕食後、平松は宮島に歩み寄った。
「ひとつ聞いてもいいですか。この神社、何か特別な由緒でも?」
宮島は少し間を置き、静かに答える。
「この神社は海神・磯良命を祀っています。穂高神社の安曇氏族とも深い縁があり、戦後神主が決まらなかった時、安曇氏族の末裔である私に白羽の矢が立ちました」
淡々とした声色の裏に、宝物殿への一瞬の視線とこの説明を繋ぐ、得体の知れない糸が潜んでいるようだった。
三人は村内で聞き込みを続け、その夜は神社の社務所に泊まることになった。
食事と風呂は、社務所に隣接する小夜の生家を借りる。
翌朝、境内は薄い霧に包まれ、朝露が玉砂利を濡らしていた。
氏子の年配女性が湯気の立つおにぎりを盆に載せ、静かに差し出す。
「腹ごしらえしてから行きなさいな」
平松は礼を述べ、冷えた指先を握り直しながら、村の奥深くに潜む影の気配を強く感じていた。
この物語はいかなる団体・宗教・思想とも関係ありません。
登場する人物・団体・地名はすべて架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。