第十一章 磯良古墳
平松は懐中電灯の光を床に落としながら、木箱が置かれていた位置へと戻った。
箱の底があったと思しき場所には、うっすらと箱型の埃の跡が残っている。
「この箱はあの隅から引きずられている。……ここに何かあるな」
平松はポケットからナイフを取り出し、埃の輪郭に沿って床板に刃を差し込むと、板は案外あっさりと外れた。
中には、真っ暗な縦穴がぽっかりと口を開けていた。
「……これは……」
臥竜がのぞき込む。
底には苔むした石畳が見えるが、奥までは見通せない。
石壁は古代の石組みでできており、奥へと続く通路が一本だけ続いている。
平松は手帳を取り出し、古文書の地図と照らし合わせた。
「これがその古文書地図の磯良古墳だろうな。図によるとここから地下へ道が通じている。しかし、湖の位置がなんだか違うような……」
臥竜が叫ぶ。
「平松係長、何やってるんですか! 早く小夜さんを助けないと!」
「まあ待て。どちらにしろ長野県警に応援を要請する。それとロープと、もう一本懐中電灯が必要だ。社務所に何かあるはずだ。お前は動くな、ここで見張れ」
そう言うと、平松は地上へと戻り、社務所へ向かった。
――そして数分後。
平松は社務所から戻ると、ナショナル製懐中電灯と細引きロープを持っていた。
古墳へ降りた平松は臥竜のそばに立ち、懐中電灯の光を通路の奥へ向けた。
暗い通路を進むと、やがてその終わりに鉄格子の扉が現れた。
錆びついた扉を押し開けると、そこには四畳半ほどの小さな部屋があった。
部屋の中央には木製の古びた机が据えられ、上には手帳やノートが無造作に積まれていた。
平松はふと立ち止まり、机の上のそれらに目を留めた。
慎重に手帳の一つを手に取り、ページをめくる。
臥竜が尋ねた。
「平松係長、いったいどういうことなんですか?」
平松は机の上の手帳を手に取り、ページを繰りながら答えた。
「東京へ戻った際、旧厚生省の地下文書室で一枚の写真資料を見つけた。そこには、戦争末期に旧日本軍がこの地で進めていた“王町葦夜計画”の記録があり、青年将校と肩を並べるように写っていたのが──宮島……いや佐嶋義徳だった」
臥竜の目が大きく見開かれた。
手帳を見ながら平松は説明を続けた。
「死体に対する再活性実験だ。神経の電気信号を保持し、生死の境界を制御しようとした。だが、その実験は結局のところ失敗に終わった」
ノートの記述を指でなぞりながら、平松はなおも語る。
「ただ、一つだけ判明したことがある。黄泉──“泉”から現世に魂を帰還させなければ、生き返らないということだ。伊弉諾と伊弉冉の話は知っているか?」
臥竜は頷いた。
「ええ、古事記に書かれた黄泉の国から伊弉冉を戻そうとした話ですね。でも、あれって、おとぎ話みたいなものじゃないですか」
平松は静かに言った。
「その“おとぎ話”を旧日本軍は本気で信じていたのさ。死んだ人間を──皇国兵を──蘇らせて、戦局を一気に逆転させるために」
臥竜は思わず苦笑いを漏らす。
「そんなバカげたこと……」
だが平松は、淡々と、事実だけを告げる口調で続けた。
「本気だったのさ。そのために軍部の急進皇道派と、新興宗教である大神教が手を組んだ。国家神道の裏側で進行していた、異端の“日本再建”計画──」
「神の権威を掲げて、クーデター・革命・死者蘇生をもくろむ……狂信と理想の混合体……」
平松は頷き、静かに言葉を継いだ。
「その中心にいたのが──佐嶋義徳。後の大光教会の教祖だ」
二人は深い沈黙に包まれた。
平松は、ノートの束をそっと閉じ、隣の古い木製キャビネットに手を伸ばした。
引き出しの中には、もう一冊の黒革の手帳がしまわれていた。
手帳の見返しには、こう記されていた。
「磯良 瑞江──昭和二十年三月より、王町葦夜計画従事」
平松の表情がわずかに強張った。
「磯良瑞江……小夜の母親だ」
「え?」
臥竜が思わず聞き返す。
しかし平松は何も答えず、無言のまま懐中電灯を持ち直すと、冷気の漂う洞窟の奥へと足を進めた。
足音だけが、石壁に鈍く響いた。
この物語はいかなる団体・宗教・思想とも関係ありません。
登場する人物・団体・地名はすべて架空のものであり、実在のものとは一切関係ありません。