第十五話 想いのすれ違い
作者的にはシリアス寄りです。
***
「ウガァァァァ……」
かみのこが空から着地して間もなく、地に伏したワイバーンが呻き声を上げて身じろぎを見せた。
すでに尻尾と右翼は斬られ、全身傷だらけ。もはや、まともに立つことすらできていない。
モンスターは放っておくと、人を襲うかもしれないので、倒さなければいけない相手なのだけど、こうも圧倒的にやられるのをみると、やはり少しばかり同情してしまう。
「ロリコンさん。ワイバーンさん、倒しちゃってもいいもん?」
「ああ、倒しても……」
俺はいいと言いかけた。
だが、言い切る前に。
「わかったもん!」
「ちょっ……おい、ちょっと待て!」
またも勝手に突っ込もうとした、かみのこの腕を、俺は咄嗟に掴んだ。
「さっきからそうだけどさ、ちょっとは俺に相談してから動けよ!」
「もん? だってロリコンさん、バリアしかできないもん。もしワイバーンさんの攻撃を一発でも受けたら、天国の住人さんになっちゃうもんよ?」
「それでもだ!」
どこか挑発するようなかみのこに対し、俺はぐっと言葉に力を込めた。
理屈じゃない。そういう問題じゃない。
こいつ、さっきからなんでもできるからって、全部自分で解決しようとしやがって。もう限界だっ!
俺は心に広がったモヤモヤを晴らす様に、内に秘めている想いをかみのこに向けて吐き出した。
「たしかに神様のお前から見たら、俺なんてちっぽけで頼りなく見えるのかもしれねぇ……。実際に見てて感じたよ。俺がいなくてもお前一人でも充分にやっていけるって。……けどな、俺は置物なんかじゃない。ちゃんとここにいるんだよ!」
掴んだ腕から体温が伝わってくる。
抱きしめた時にも感じていたが、神様とはいえこうして触れていると、やはりただの小さな女の子のようにしか思えない。
……いや違う。これまでの関わりだけでも充分にわかる。こいつは女神であっても女の子だ。
少しばかし、価値観がおかしいところはあるが、それでも女の子なんだ。
だからこそ、放っておけなかった。
「頼ってばかりで情けない」「無双しているのが羨ましい」とかそういうのもあるが、それよりも第一に、一人で危険に突っ込んでいて欲しくなかった。俺を必要として欲しかった。
「お前は一人じゃ不安だったから……。守って欲しかったから、守護のシンボルなんて力を持った俺をこの世界に連れて来たんじゃねぇのかよ。……だったら少しは俺を頼れっての。じゃなきゃ、なんのために俺がいるか分からなぇじゃねぇか」
俺がそう言い終えると、申し訳なさそうにかみのこは目を伏せ……そして、少しの間を開けると小さな声を出して、口を開いた。
「最初はほんとに怖かったもん。下界に降りるのも初めてで、どうしたらいいのかも、どんなモンスターさんがいるかもわからなかったから……」
小雨が降るように、ぽつりぽつりと言葉がこぼれていく。
「だからロリコンさんのこと、守ってくれたらいいなって思って連れてきたもん。守護の力でかみのこの事を守って欲しいなって。……でもここに来て、ワイバーンさんをみて、かみのこは思ったもん」
かみのこは顔を上げる。
そこに宿る表情は、怯えではなく小さな女の子には、につくわない覚悟のこもった顔だった。
「下界に降りたかみのこでもじゅーぶん戦えるって。かみのこだけでもだいじょーぶだって。かみのこは、ロリコンさんに死んでほしくないもん。かみのこのワガママに付き合ってもらってるんだから、あんまり迷惑をかけたくないもん。……だから、連れてきたロリコンさんのことを責任持って、かみのこがしっかり守らなきゃ。かみのこがロリコンさんの代わりに頑張らなきゃって……」
「待て待て。話の趣旨が逸れてるぞ。お前は守られたいから、俺を連れてきたんじゃなかったのかよ。変に背伸びして、似合わせねぇ顔してまで頑張ろうとしてんじゃねぇよ」
俺の反論に、かみのこはむっと頬を膨らませた。
「でもでも、ロリコンさんも戦闘が始まる前に『任せた』って言ったもん。なら任せてもん! 任せたって言ったんだから任せてもん!」
「そ、それはその場のノリっていうか……。ってだとしても、勝手に突っ込む事ないって言ってるんだよ! せめて話くらい最後まで聞いてから動けよ!」
「ロリコンさんが任せたって言ったからもん!」
「お前が突っ走るからだって!」
「違うもん! ロリコンさんが──!」
互いの声がぶつかり合い、噛み合わない言葉が空気を伝っていく。
くだらないと言われればそれまでの話だけど、どうしても譲れなかった。
──でも、本当はわかってる。
目の前の現実に影響されて、考えがコロコロ変わるのも。
怖がってたくせに大丈夫とわかった途端、調子に乗って突っ走るのも、こいつの素直すぎる反応なんだなって。
それが幼い子の特徴の一つで、かみのこが「幼い女の子」だという何よりの証拠なんだってことくらいは………。
その空気を、重たい気配が切り裂いた。
「──っ!」
俺の目が、反射的に奥に倒れているワイバーンへと向く。
右翼をもがれた巨体が、苦悶にうねりながらも首を持ち上げていた。
しかも、喉奥が赤く脈打っている。まだブレスを撃てるってのか……!
「かみのこ! 後ろ!」
俺が叫んだ時、すでにかみのこは言い争いに熱を上げていた。
ワイバーンの方に背中を向けたままの状態だから気づいていないのか、かみのこは感情のままに俺の腕を振り払い、下を向いてワイバーンに向けて走っていってしまった。
「もういいもん! かみのこは──!」
まだ言い終わる前、ようやくかみのこの目に炎の光が映ったのだろう。
咄嗟のことで頭が回らないのか、かみのこは動こうとしない。
ゆっくり見えているはずなのに。さっきまでの超人的な動きをすれば、避けることも簡単にできるはずなのに。
「くっ、間に合えっ……!」
俺は即座にかみのこの前にバリアを展開しようと、右手を突き出し叫んだ!
「『プロテクショ──』!」
だが、一歩遅かった。
俺が叫ぶより速く、赤い閃光が彼女の細い体を飲み込んだ。
灼熱の奔流がかみのこに叩きつけられ、白いドレスが炎に包まれる。
炎が地を舐めるように放たれ、かみのこの小さな身体を飲み込んだ。
「かみのこッ!」
咄嗟に手を伸ばしたが、届くわけもなかった。
あの小さな背が、赤い炎の中心に飲み込まれていくのを、ただ見ていることしかできなかった。
やがて炎が通り過ぎると、煙の中からかみのこの持っていた生命の笛が飛んできて、地面に突き刺さった。
形見だと言わんばかりに。
「…………」
周囲には熱で焦げた草と、砂煙に混じる黒い煙。
風が熱を巻き上げ、辺りは焦げ臭い匂いに支配されている。
ワイバーンは、もう動いていない。
最後の一撃を吐き出すと同時に、力尽きたのだろう。
だが、そんなことは今の俺にはどうでもよかった。
「かみのこ……?」
俺は震える声でその名を呼んだ。
反応はない。黒煙が渦を巻いて漂っているだけだ。
「うそだろ……おい、ふざけんな……」
何かを失った実感が、胸の奥からせり上がってくる。
心の底を直接爪でひっかかれるような感覚。
心臓がどくどくと音を立てて、異常な気持ち悪さを感じた。
ついさっきまで元気に飛び回っていた小さな存在が、今はただ黙して声もなく。
──守れなかった。
俺の目の前で。守るための力を与えられたのに。守って欲しいと願いを込められた力なのに、肝心の時に俺は役に立てなかった。
くだらない言い合いなんかしてる場合じゃなかった。
頼られないからって。自分の存在が必要ないと思い込んで、かみのこにあたるんじゃなかった。
かみのこを止めないで、ワイバーンにトドメを刺すように言っておけばよかった。
俺がもっと速く気づいていれば、バリアが間に合ってかみのこを守れていた。
「俺が、俺が俺が俺が俺が………っ!」
後悔だけが無限に溢れてくる。
震える肩を止めようと歯を食いしばっても、震えは止まらず、俺の視界が僅かに滲んだ。
喉の奥がひゅうひゅう鳴って、息がまともに吸えない。
熱いのか冷たいのか分からない涙が、頬を伝って落ちた。
その時だった。
「もぉー……ロリコンさんが、しっかりおててを掴んでくれてないからもん……」
どこか拗ねたような。それでいて、呆れたような声が煙の奥から聞こえた。
聞き間違えるわけがない。
幼さの混じった高い声色で。
「もん」を語尾につける声の持ち主は、俺の知ってる中でたった一人……!
「かみのこ!? 無事なのか!」
「もーん……。そんなべそべそしちゃって。ロリコンさんは泣き虫さんの心配性もん。……心配しなくても、かみのこは再生神もんよ? そんな簡単に死ぬわけないもん……」
涙声の俺を、飄々《ひょうひょう》とした声が包む。
顔を上げると、ぼんやりとした煙の向こう。まだ焦げた空気が渦巻く中から影が現れた。
「だいたい、世界がだい爆発してぼかーん♪ なーんてなっちゃっても、かみのこはすぐに再生できちゃうもん。だからこんなくらいなんともないもん。ね? こう見えて実はかみのこって、とっても凄い女神様なんだもん!」
声主は紛れもなく彼女だ。
相変わらずサラッと、自身のチートっぷりを暴露して。無邪気と生意気さを合わせ持ち、その性格にそぐう小さな体をしている、ちょっぴり毒舌な女神様。
呆れと安堵と脱力が一度に押し寄せ、俺の膝がさらに地に沈んだ。
心臓を握り潰されたような喪失感は、たった一言で溶けていった。
「よかった……。ほんとうによかった……」
煙がようやく晴れはじめた。
向こうから、かみのこの小さな姿が再び俺の目の前に現れる。
「見るもん! ちゃんとご無事もん! げんきげんき! バッチリさっぱり再生済みもん!」
「えっへん!」とでも言いたげに、自信げな表情をし、両手を腰に当て、ない胸を突き出したポーズをしているかみのこ。
その無邪気な笑顔は、どこまでいっても誇らしげだ。大方、褒めてでも欲しいのだろう。
しかし、そんなかみのこの期待とは裏腹に、俺の目はつい彼女の「それ」に釘付けになってしまった。
いや、これは本能的にどうしても視線が吸い寄せられてしまうというか……。
「もーんもん♪」
気づいていないのか、かみのこ。
たしかに体は再生されている。無傷でどこにも火傷も切り傷もないし、肌も髪もいつものとおりだ。
──でも、再生されているのは「体」だけなんだ。
ブレスに巻き込まれたかみのこのあの純白の衣装は、再生しておらず完全に焼失してしまっていた。
いや、神器だからか靴は残っている。
そう、靴だけが。
つまり早い話──
「うぅぅ、それにしてもなんだかぶるぶるするもんね。体がすっごくスースーするも………」
寒さに体を震わせたかみのこが、自身の姿を見直した途端、ピタリと固まった。
ない胸を自信満々に突き出したポーズをしたまま。
──今のかみのこは素っ裸だった。