悪い神様と優しい聖女
あるところに悪い神様がいました。
悪い神様は生まれながらに邪悪な心と天変地異を起こす力を持っていました。
悪い神様は心の向くままに雷を起こし、田畑を焼き、大勢の人々を殺しました。
やがて人々は悪い神様を【悪神】と呼び、恐れました。
またあるところに心優しき少女がいました。
その少女は生まれながらに清き心と人々を癒す不思議な力を持っていました。
少女は心の向くままに大勢の人々を助け、癒しました。
やがて人々は彼女を【聖女】と呼ぶようになり、敬いました。
あるとき、心優しき少女の活躍を妬んだ者たちが共謀し、少女にあらぬ罪を擦り付けました。
少女の名声は一夜にして堕ち、少女は【悪女】と呼ばれるようになりました。
かつて聖女と呼ばれた少女は捕まり、目を焼かれ、舌を抜かれました。残酷な所業でしたが、人々は正しい行いをしたと思い込み、容赦なく実行しました。
そして最後にその少女は、荒ぶる【悪神】への生け贄に捧げられました。
少女を生け贄に捧げられた悪神は思いました。
『この少女を殺してしまうことは本当に【悪いこと】なのか』と。
悪い神様は生まれつき邪悪な心を持っています。人々が怒り、嘆き、悲しむことこそ悪い神様にとって喜びであり、悪行こそ善行なのです。
ここで生け贄の少女を殺したとして、誰が怒り、誰が悲しむのでしょうか?
むしろ少女を生け贄に捧げた者達は少女の死を喜ぶのでは無いのでしょうか?
悪神は考えた末に、その少女を『殺さない』ことを選択しました。悪神は生まれながらに邪悪な心を持っています。そして邪悪な心の赴くままに行動します。
その邪悪な心が選んだ答えが『少女を生かすこと』でした。
生け贄にされた時点でその少女は目は潰され、舌は抜かれ、身体中あちこちに酷い傷を負っていました。このままでは数刻も持たずに彼女は死んでしまうでしょう。
悪神は彼女を生かす為に、自分の命を分け与えました。いままで奪ってきてばかりの悪神は、初めて人に『与える』ことをしました。
少女は息を吹き返しました。彼女はもう見えない目で涙を流しました。彼女の舌は抜かれていてもう喋ることは出来ません。だから彼女が何を思っているのか、悪神は知ることが出来ませんでした。
ただ悪神は彼女の泣く姿を見て、自分の選択の正しさを実感しました。悪神は邪悪な心を持っているので、人々が嘆き悲しむ姿を見るのが大好きです。
彼女が泣く姿を見て、胸がすく想いでいっぱいでした。
やがて悪いことばかりをする悪神に討伐指令が下りました。遠き地から【勇者】と呼ばれる強き力を持つ者が悪神を討伐に来たのです。
悪神と勇者の戦いは三日三晩続きました。
超常の力を持つ2つの存在がぶつかりあいました。その戦いのあまりの激しさに、木はなぎ倒され建物は倒壊し、大地が割れました。
そして遂に決着がつきました。勇者の剣が、悪神の胸に深々と突き立てられたのです。
死を悟った悪神は、死力を振り絞りその場から逃げ出しました。
邪悪な悪神の考えることは一つでした。
『最期にとびきりの悪いことをしてやろう』
そうして、悪神は最期にかつて【聖女】と呼ばれた心優しき少女の元に戻りました。
少女は既に息も絶え絶えで死にかけていました。それも当然です。
元々死ぬはずだった命が、悪神の力によって無理矢理生かされていただけだったのですから。
悪神の力が弱まった今、少女の命の灯火は尽きようとしていました。
悪神の考えた悪行は、この少女を生かすことでした。
人間によって目を潰され、舌を抜かれ、酷い目に遭ったこの少女を生きて帰すとどうなるでしょう?
きっと彼女は人間に復讐するはずです。自分を酷い目に遭わせた人間を許しておくはずがありません。
悪神はそう考え、自分の残りの命を全て使って少女を生かすことを選択しました。
それが悪神が考える『最も悪いこと』でした。
やがて、少女は……
【悪神】は目を覚ましました。しかし、その姿はすっかり変わっていました。
その頭には悪神の邪悪な性根を象徴するような赤い角が生えていましたが、それ以外の特徴は少女そのものでした。
しかし、かつて聖女と呼ばれた少女はそこにはいませんでした。そこにいたのは、彼女の姿をした悪神でした。
悪神は自分の胸に手を当てました。少女の姿をした悪神は、そこに彼女がいなくなったことを感じました。
悪神は最期の悪行に失敗しました。悪神は最期に自分の命を使って少女を生かすつもりでした。
それなのに、かつて【聖女】と呼ばれた少女はその不思議な力を使って、悪神に自分の全てを与えることを選択したのです。
少女になった悪神の目から涙があふれました。悪神は全てが虚しくなりました。
少女がいなくなったことが悲しいのか、自分の存在の全てを否定されて、ただ生かされたことが悲しいのか、もう分かりませんでした。
悪神は少女の墓を建てました。少女は舌を抜かれて喋れなかったので、悪神には少女の名前が分かりません。
だから、墓には名前が刻めませんでした。
ふと、悪神は思いつきました。
これはちょっとした意趣返し。悪神なりの少女への復讐でした。
悪神は名もなき少女の墓にこう刻みました。
『世界で一番悪いことをした、悪い人間の墓』