cys:4 少女のハンカチ
「くっ、寒い……けど俺は、めげてなんていられないんだ……!」
あれからノーティスは、別れ際に父親から強引に渡されたわずかながらの金で辛うじて食料を買い、街の片隅で野宿をする生活を強いられていた。
僅か十三歳の少年がだ。
ただ、真の辛さはそこでは無い。
───ここからどうする……考えるんだ。今あるお金もいづれ尽きる……
ノーティスは街の片隅に座り込み、野宿をしながら考えていた。
ここからどうやって生きてゆくかを。
もう家も無ければ、学校にも行けないから。
───俺には魔力が無い……でも、出来る事はあるハズだ。魔力以外で俺が人の役に立てる事は……
暗い街の片隅でノーティスはしばらくジッと考え込むと、スッと立ち上がった。
───まずはドブさらいでも何でもやろう! もっと汚れた仕事だっていい! お金を稼いで生き延びて……魔力増幅の研究資金を貯めるんだ!
ノーティスは昔から研究者志望。
特に魔力の研究には興味があった。
無魔力までとはいかなくても、この世界に魔力が微弱で苦しんでいる人達は大勢いるからだ。
そんな彼らの悩みを、自身の研究で解消するのがノーティスの夢。
───俺自身が無魔力なのは皮肉だけど……きっと役に立てる。それに、俺の無魔力の原因も分かるかもしれない……いや、もしそれが分からなくても、こんな思いは、俺一人で充分だ!
そこからノーティスは、住所不定でも始められる仕事を始めていった。
どんなに辛くても、ここから生き抜き夢を叶える為に自身を奮い立たせて。
だが、どこに行ってもノーティスは蔑まれた。
どれだけ頑張っても皆から気味悪がられ、理不尽な暴力を受ける事もある。
無魔力はこの国では罪なのだ。
日々頑張っているが、それでも疲弊してしまうのは避けられなかった。
ノーティスの心を哀しみが覆ってゆく。
───俺は、やはり生きてちゃいけないのか……
そんな想いを抱え石造りの街中を彷徨っていると、急にポツポツと雨が降ってきた。
その雨粒がノーティスの頬を冷たく濡らしてゆく。
───雨だ……
そう思いフト空を見上げると、雨は急速に勢いを増しザザァーっと降ってきた。
街行く人達は傘を差したり建物に非難して雨宿りしているが、ノーティスにはそんな事はもうどうでも良かった。
むしろ好都合だ。
瞳から溢れて止まらない涙を、雨が覆い隠してくれるから。
「俺は、一体何の為に生まれてきたんだ……この世に、魔力クリスタルさえ無ければ……」
そんな答えの出ない自問自答を繰り返しながら、冷たい雨の中を歩いていると、近くに少し大きな木が見えた。
ノーティスはフラフラと歩きながら、ずぶ濡れの体でその木の下に行くと、ゆっくり座り膝を抱えこみ、雨の降りしきる街をぼんやりと眺め始めた。
街行く人達は、そんなノーティスの事をたまにチラッと一瞥はするものの、みんな怪訝な顔をして去っていく。
無色の魔力クリスタルを持つ人間になんて、決して誰も声をかけてはこないから。
───別にいい。いつもの事だよ……
心も身体もドンドン冷えていく中、ノーティスはうずくまったまま瞳を閉じて思う。
───今はせめて、この冷たい雨が早く止んで欲しい。もう俺には、流す涙すら無い……
けれど、その時だった。
「ねぇキミ、大丈夫? こんな所で濡れたままだと、風邪引いちゃうよっ♪」
その声にハッとしたノーティスが、座ったままその声の方をサッと見上げると、その虚ろな瞳に映った。
濡れた自分に片手でハンカチを差し出し、優しく微笑んでくる少女の姿が。
歳は恐らくノーティスと同じぐらい。
綺麗なショートヘアからクリっと可愛い目を覗かせる、少しボーイッシュな恰好の女の子だ。
片手には可愛らしい黄色い傘を持っている。
「キミは……」
あまりにも突然の出来事に上手く言葉が出てこなかったノーティスは、その少女を思わずジッと見つめてしまった。
すると少女は、そんなノーティスに軽く叱るような口調と共に、片手でハンカチをさらにグイッと差し出してきた。
「ほら、何してるの? 早くこれ受け取って♪ ちゃんと拭かなきゃ風邪引いちゃうでしょ」
そう告げられたノーティスは、頭が混乱したまま少女を見つめている。
普通に考えたら、親切にハンカチを差し出してもらっただけかもしれない。
けれど、ノーティスにとっては信じられないぐらい特別な出来事だったのだ。
「あっ……あの……」
無色の魔力クリスタルだと皆に知られてから、人から声をかけられた事はもちろん、何かを善意で差し出された事も、体調を心配された事も無い。
何とかタダ同然で清掃の仕事をさせてもらってる店の皆からも、薄気味悪がられている始末だ。
なのでノーティスはこの出来事に脳の処理が上手く追いつかなかった。
けれど、少女の綺麗な優しい瞳に導かれるかのようにゆっくり手を伸ばし、そっとハンカチを受け取ってゆく。
すると少女はノーティスを見つめたまま、ニコッと嬉しそうに笑った。
まるで、後ろに後光が指すような天使のような笑みと共に、少女の綺麗なショートヘアがふわりと弾む。
「よしっ。じゃあ、これでちゃんと拭くんだよ♪」
「あっ……あぁ」
ノーティスは不思議そうな顔をしてそう零しながら、顔をハンカチでそっと拭いた。
その瞬間、ハンカチから心に染み込んできた温かさに、ノーティスは思わず涙が溢れそうになってしまう。
あれ以来、無色の魔力クリスタルだと判明して以来、こんな温かさに出会えるなんて、もう二度と無いと思っていたから。
「うっ……くうぅっ……!」
けれどノーティスは、女の子の前で泣くのは恥ずかしかったので、しばらくハンカチで顔を覆って隠して涙を止めた。
そして、ハンカチを顔からサッと外して少女に微笑もうとしたのだが、微笑む事が出来ない。
あまりにも辛い日々が続き、笑い方を忘れてしまったから。
なので、心とは逆に無愛想に片手で渡してしまった。
「あ……あっ……」
ありがとうと言いたいのに、その言葉が出てこないのだ。
まるで、それこそ本当に呪われてしまっているように。
けれど、その少女はそんな事は気にしない。
「どーいたしまして♪ ホント良かった。ボクのハンカチが役に立てて嬉しいよ。風邪引かないでね♪」
自分の事をボクと言う少女は、ノーティスにニコッと優しく明るい笑顔を向けてくれた。
が、しかしその時だった。
「何してるの!!」
少女の少し後方から少女の母親が現れ、その少女を叱りつけたのだ。
するとその少女は母親の方へサッと振り向き、ちょっと顔をしかめた。
「何って……濡れてる子がいたからハンカチを渡したんだよ」
少女がそう答えると、母親は軽く呆れたような顔で上から見下ろし不機嫌そうにため息を零す。
「ハァッ、全くこの子は……バカな事して!」
母親のその言葉にカチンときた少女。
悪い事して怒られるのには反抗しないが、今のはオカシイと感じたのだ。
「何がバカな事なの?! この子、雨に濡れてるんだよ! あのままじゃ風邪引いちゃうと思ったし、お母さんだって、いつも人には優しくしなさいって言ってるじゃない!」
少女の訴えを受けた母親は一瞬目を見開くと再びフウッとため息をつき、うんざりした顔を少女に向けた。
そして、諭すように話をしていく。
間違ってるのはアナタなのよという顔で。
「まあ、確かに言ったわね。でもダメなの。あの子はボロボロだし……それに、魔力クリスタルの色が無色でしょ! あんなのはもう……」
「お母さん……!」
少女は哀しい瞳で母を見つめたままガクッと肩を落とし、瞳に涙を滲ませうつむいた。
母親の酷い言葉にもそうだし、自分が良かれと思ってやった事を母親から全否定されたからだ。
その姿を見たノーティスは、バッと立ち上がり両拳にギュッと力を込めると、その母親に向かって大声で叫ぶ。
遂にキレたか? いや違う。
むしろ真逆だ。
「ごめんなさい! その子を叱らないでください! アナタが言う通り、悪いのは俺なんです!」
「えっ……?」
少女の母親は、何を言ってるの? と、いう怪訝な顔をノーティスへ向けてきた。
ノーティスが立ち上がった時、てっきりキレて自分に怒鳴りつけてくると思っていたからだ。
そんな彼女に、ノーティスは本当にすまなそうな顔を向けて頭を下げた。
自分の為じゃない。
母親の怒りから守りたいからだ。
自分に温かい心の手を差し伸べてくれた少女を。
「アナタの言う通り、こんなボロボロで、無色の魔力クリスタルなんかである俺がいけないんです……心配させちゃって、本当に……ごめんなさい……!」
ノーティスが深く頭を下げると、少女の母親はバツが悪そうにフンッと息を吐いた。
まるで自分が悪者で、矮小な存在に感じてしまったから。
そして少女を呼びつける。
「ほら、サッサと行くわよ! まったく、気分悪いわ」
少女にイラッとした顔でそう言うと、少女の母はその場から逃げるようにさっさと歩き始めた。
けれど少女は母親には付いて行かず、頭を下げているノーティスにそっと近寄ると、顏を覗き込み優しく微笑んだ。
「ねぇ、顏を上げて」
でも、ノーティスはそのままの姿勢を崩さない。
少女の母親が歩いて行った方へ、ずっと頭を下げたままだ。
無色で無力な魔力クリスタルの自分には、少女の母親に頭を下げる事しか出来ないと思っているから……
「このままでいい……俺なんかと関わるな。キミを心配するお母さんの気持は間違ってないし、俺は……キミがまた怒られちゃうのを見たくないんだ」
少女にそう答えると、ノーティスはそのままハンカチをそっと差し出した。
「ただこれ、本当にありがとう。グシャグシャにしちゃってごめん……」
「そんな事……」
少女は悲しい顔でノーティスからハンカチを受け取ると、それをギュッと握りしめた。
そしてそのままノーティスの顔を覗き込み、涙を我慢しながら口調を強めていく。
「いいから、顔上げてよ……」
「このままでいい。俺は……何の価値も、ないんだ……」
「ねぇ……いいから顔を上げて」
「頼む。早く、早く行ってくれ……!」
ノーティスが懇願するような声を零した時、母親が少女に振り返り、再びその少女の事を大声で呼ぶ。
「何してるの!? 早く来なさい! いつまでそんな子に関わってるの!!」
その瞬間だった。
「うるさーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!!!」
少女は道行く人達が皆振り返るような大声で叫ぶと母親の方へ向き、ギュッと顔をしかめた。
もう耐えきれなかったから。
「お母さんは何を見てるの?! この人の魔力クリスタルだけ? 魔力クリスタルが無色だから……魔力が無いからって……それが何なのよ!!」
少女はその可愛く綺麗な瞳から涙を零し、母親へ訴えるような眼差しを向ける。
「この人は、お母さんにあんな事言われたのに怒るどころか……私の事を心配してくれたんだよ! それに、お母さんに謝ったじゃない! この人……何も悪い事してないのに!!」
「なっ……」
「この人が、この人が……お母さんに何をしたのよっ!!!」
少女は喉が枯れるぐらい思いっきり叫ぶと、ハァハァと息を切らして再びノーティスの方を向いた。
綺麗な瞳に滲んでいる涙がキラリと光る。
「ねぇ、キミが顔上げないからボク、お母さんにあんな事言っちゃったよ……」
ノーティスは涙が零れそうになるのをグッと耐えた。
無色の魔力クリスタルを持つ呪われた子だと、皆から蔑まれ迫害され続けてきた自分の事を、少女は愛を持って心から守ろうとしてくれたからだ。
「キミは……!」
顔を上げて少女を見つめると、少女はノーティスに向かいニコッと嬉しそうに微笑んだ。
「やっと、顔を上げてくれたね♪」
「すまない。俺のせいで……」
「いーの♪ ママはああ言うけど、ボクはそう思ってないから。だってキミは優しいし、瞳が綺麗だもん」
少女はノーティスにそう言って優しく微笑むと、握ったハンカチをノーティスの胸にグッと押し当てた。
「それとね、このハンカチはキミにあげる♪」
「えっ、いやそれは……」
「いいから♪ ボクは、キミに覚えといてほしいの。自分の味方もいるんだって事を」
天使のような微笑みを浮かべると、少女はノーティスにサッと背を向け母親の元へ駆けて行った。
少女の母親はぶつくさ文句を言ってるようだが、少女は吹っ切れたように明るく話をしている。
ノーティスはその後姿を見ながら、しばらくジッと立ち尽くしていた。
そして少女の姿が見えなくなった後、ハンカチを感謝と共に見つめ綺麗に折り畳むと、自分の胸のポケットにそっと大切に入れた。
すると、胸にその女の子の優しさが染み渡り、ノーティスの心から自然に言葉と笑みが静かに溢れてくる。
「ありがとう……」
瞳を閉じ、温かさを心に染み渡らしていくノーティス。
また気付けば雨も止み、まるでノーティスの心を表しているかのように、温かい日の光が差し込んできた。
が、その時だった。
ドガンッ!! という大きな爆発音がノーティスの耳を貫いた。
「な、なんだ?!」
ノーティスがハッ! と目を開けると、その瞳に飛び込んできた。
今いる場所から100メートル程離れた場所で、巨大な怪物が街を破壊している光景が!
凄まじい粉塵が舞い上がり、多くの人達の悲鳴が聞こえてくる。
「あ、あれは一体……!」
そう零した時、ちょうどこちらに走って来た男がいたので、ノーティスは彼に尋いてみる事にした。
「すいません! アレは何ですか?!」
すると男は足を止め、ノーティスにチラッと振り返った。
「決まってんだろ、フェクターだよ! 魔力クリスタルが故障すると、魔力の暴走でバケモンになっちまうフェクターだ!」
「えっ?」
「あの野郎……魔力クリスタルの、定期検査を怠りやがったに違ぇねえのさ!」
男はそう答えると、そのままダダッと一目散に走り去っていった。
「あれがフェクター……!」
それについてはノーティスも実は研究していたので、存在は知っていた。
ただ、実物を見たのは初めてだったし、何より魔力クリスタルの故障が原因という点は、今の自分とある意味近しい存在にも感じてしまう。
けれどノーティスは、それより遥かに重要な事をハッ! と思い出した。
あの怪物がいる場所は、さっきあの女の子が母親と一緒に歩いていった方向だったのだ。
───まさかっ!
そう思った時、ノーティスは考える間もなく、フェクターのいる方へ向かい全速力で駆け出していた。
飢えと疲れで、身体は完全にボロボロである事も忘れたまま……!
ノーティスは間に合うのか? それとも……
次話も感動系です。
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