cys:191 クルフォスの変異
「くっ……!」
玉座からサッと、立ち上がったクルフォス。
それを鋭い視線で見据えながら、ナターシャは凄まじい勢いで向かってゆく。
それを止めるべく兵士達が立ち憚るが、ナターシャはササッ! と、躱しクルフォスの前に近寄った。
青い魔力クリスタルが輝いている。
それを、クルフォスは鋭い眼差しで見つめた。
「お前……その力は魔力ではないな」
「そうよ……このクリスタルは、魔力じゃなく闘気で光る偽物だから。この国に潜り込む為にね」
ナターシャがそう言い放つ中、アルカナートは初めて出会った時の事を思い出した。
得も知れぬ違和感を感じた事を。
───そういう事かよ……!
気付けなかった事に苛立ちを零すアルカナートを背に、ナターシャは黄金の短剣を逆手に持ち、悲壮な眼差しでクルフォスを見据えている。
「愛を裏切ったクルフォス、私は貴方を……絶対に許さないっ!」
黄金の短剣を逆手に構えたまま、ナターシャはダッ! と、真っ直ぐクルフォスに跳び向かった。
ナターシャの長く美しい髪が横に靡き、瞳の光が横に流れる。
「愛が血を流す痛みを……貴方も知りなさいっ!!」
ナターシャは咆哮上げ腕を横に振り抜き、黄金の短剣でクルフォスに斬りかかった。
黄金の短剣がアーチを描き襲いかかる。
「ハァァァァッ!」
「うっ……!」
そして、ドカッ!! と、いう鈍い音と共に床にポタポタと血が流れ落ちた。
あまりの出来事に、思わず口を開き目を丸くするアルカナート達。
その瞳に映る。
クルフォスがナターシャのそれを片腕で受け、血と、涙を流しているのを。
「ナターシャ……すまない……」
無論、腕の傷に涙を流している訳では無い。
それは、まるで懺悔の涙である事は、誰の目にも明らかだった。
当然ナターシャもそれを感じ、苛立ちに顔をしかめる。
「なによ……なんで、なんで涙なんか! 愛を裏切り、母を捨てた貴方なんかが……!」
そう言い放ち、切なる激しい怒りと共にギリッと歯を食いしばりながら、ググっと短剣に力を込めるナターシャ。
クルフォスが涙を流す姿から感じてしまうから。
全ての罪を受け入れ、贖罪をするような清らかなオーラを。
「今さら……今さら善人ぶらないでよ!」
「ナターシャ、私も本当は受け入れたいのだ。お前の想いを心臓に、この短剣ごと……」
「うるさい……今さらなによっ!!」
クルフォスを怒鳴りつけたナターシャの瞳に、涙がジワッと滲む。
辛く貧しくとも温かい愛を持って育ててきてくれた母親の、切なる想いをずっと感じて生きてきたから。
母親にそんな想いをさせたクルフォスは、悪人であるハズだし、むしろ、そうあってほしかった。
───これなら私は、今まで一体何の為に……
くっ! と、目を閉じ顔をそむけたナターシャ。
そんなナターシャを、涙を流し見つめるクルフォス。
だがそんな中、クルフォスの脳内にピンッ! と、漆黒の閃光が走る。
「ううっ……!」
クルフォスは苦しそうにうめき声を漏らすと、邪悪な゙笑みをニヤリと浮かべ、体を小刻みに震えさせながら静かに嗤い出した。
オーラが今までの清らかな物から、邪悪なそれへとズズズズッ……と、変わってゆく。
「クククッ……」
その異変に気付いたナターシャがハッと目をやると、クルフォスは斬りつけられてる腕にグッと力を込める。
「えっ?」
思わずナターシャがそう声を漏らした瞬間、クルフォスの裏拳が炸裂した。
「きゃあッ!」
悲痛な叫びと共に、殴り飛ばされたナターシャ。
だが、すぐに体勢を立て直し、切れた唇に滲んだ血を片手で拭いながらクルフォスを見据える。
「くっ……なんなの一体……?!」
ナターシャは殴られた痛みよりも、クルフォスから放たれるオーラの異変に苦しく謎めいた顔を浮かべた。
しかし、それが何なのかを考える暇もなく、クルフォスはバッ! と、片手を前に伸ばし号令をかける。
「その女を殺せっ!」
クルフォスの残酷な号令が広間に響き渡ると同時に、その場で固まっていた兵士達が一斉に動き出しナターシャに向かっていった。
「うぉぉぉぉっ!」「この狼藉者が!」「その首を跳ねてやる!」
怒声を上げながら剣を振りかぶり、ナターシャに襲いかかる兵士達。
教皇の命令ともあり、皆目が殺気立っている。
だが、ナターシャは彼らの斬撃を素早く躱すと、教皇の間の出口にザッ! と、駆け出した。
───ここまで来たのに……!
心の中が悔しさの渦を巻く。
だが、奇襲が失敗した以上このままでは殺されるのは明白。
また何より、実は今日斬りかかった事は、ナターシャ自身が予定していた事ではなかったのだ。
───でも、我慢出来なかった。あの男の顔を見たら……!
ギリッと悔しさを噛み潰しながら、出口に向かい駆けるナターシャ。
しかし、その前に立ち憚る。
静かに自分を見つめているアルカナートが。
───くっ、アルカナート……!
ほんの数旬の間の出来事ではあるが、二人は時間がゆっくりと流れるように感じた。
まるで、その時を迎える事を、お互いが拒否しているかのように。
だがそれも虚しく、現実には二人の距離は凄まじい早さで縮まってゆき、ナターシャはアルカナートの目の前の距離まで近付いた。
アルカナートはそれを鋭く、だが、静かに真正面から見据える。
───ナターシャ……俺は……!
向かってくるナターシャに、アルカナートはどう出るのか……!