cys:185 アルカナートの矜持
「ねぇ、隣いい?」
バーで酒を一人で嗜むアルカナートの耳に、艷やかな声が流れ込んできた。
だが、まるでそれを聞き流すかのように、アルカナートは答えない。
軽く瞳を閉じ酒を飲む。
すると女は、横にスッと腰掛けてきた。
「一緒に飲みましょ」
「悪いがナターシャ、俺は一人で飲むのが好きなんだ」
「まぁ、そうみたいね。最近顔出さないし」
「……紅茶は俺には似合わない」
「そう……ならいいわ。私もここで一人で飲むから」
「フンッ、勝手にしろ」
そう言ってアルカナートは自分で酒を継ぎ足すと、スッと喉に流し込んだ。
そして、艶のある流し目をナターシャに向ける。
「飲まねぇのか」
「飲むわよ……マスター『カルーアミルク』頂戴」
「かしこまりました」
それを聞き、思わず失笑を漏らすアルカナート。
「下戸だったとはな」
「べ、別に。紅茶の方が好きなだけよ」
「そうか……」
アルカナートには、今のやり取りで分かっていた。
ナターシャが飲めもしないのに、ワザワザここに来た理由を。
───チッ、クリザリッド。お前、何やってんだよ。
アルカナートは、思わず心で愚痴を吐いた。
ナターシャが自分に気がある事を知っていたので、ワザと距離を置いていたからだ。
大切な仲間であり友である、クリザリッドの為に。
───けど、この様子じゃまだ……
そう思ったアルカナートが、それとなく尋ねてみると、クリザリッドからは特に誘われた事は無さそうだった。
それがアルカナートの心を苛立たせる。
───あのバカっ!
心でクリザリッドにそう吐き捨て、半ばやけ気味飲んでいくアルカナート。
クリザリッドの気持ちを知っている手前もあり自分の心に制御はかけているが、惹かれる気持ちはある為もどかしい。
そんな中でも二人の会話は静かに弾んでいったが、ナターシャはスッと軽くうつむいた。
「クリザリッドから聞いたわよ」
「ん? 何をだ」
思わずドキッとしたアルカナート。
───なんだ。やっぱりアイツ、ちゃんとナターシャに伝えてたのかよ。
そう思ったアルカナートに、ナターシャは軽くうつむいたまま続ける。
バーの灯りに照らされた横顔が切ない。
「私のせいよね……」
「あっ、なにが?」
アルカナートが謎めいた顔を浮かべると、ナターシャは切なそうな顔でチラッと振り向いた。
「剣の腕、鈍ってるらしいじゃない」
「あぁ、その事か……」
自分が思っていた事とは違う件だったので、アルカナートは溜飲を下げるように酒をグイッと飲み干し、ナターシャ見つめる。
「別に鈍ってねぇよ。それに、仮にそうだったとしても……それはお前に関係は無い」
「嘘っ……あるでしょ」
「ねぇよ」
そう答えると、しばしの沈黙が二人を覆った。
グラスの中で溶けかけた氷が、カランと音を立てる。
「俺は戰うのは好きじゃない。だが、勇者としてこの乱戦を終わらせる責務がある」
「その為に、人を斬るのね……」
「あぁ……斬らねば、この乱世は終わらねぇ。ただ……」
「ただ……?」
「それが終われば、俺は紅茶を飲んで過ごしたい」
「アルカナート……」
ナターシャはアルカナートの事を切なく見つめると、ニコッと微笑んだ。
「別に終わらなくても、いつでも飲みに来たらいいじゃない。貴方には、その資格があるわ」
「……フンッ。まっ、お前がカルーアミルクを飲むぐらいには付き合ってやってもいい」
そんな話をしていると、店も閉店の時間に差し掛かった。
何だかんだと楽しく飲んだので、お互い時間の進みも早く感じてしまう。
そして、会計を済ませ外に出ると、ナターシャは顔を酔いで赤くしたままアルカナートに手を振った。
「じゃあね、アルカナート。楽しかったわ♪」
「おい、送る。一人じゃ危ねぇだろ」
「ふーん、心配してくれるんだ」
少しニヤッとして見つめてくるナターシャに、アルカナートはダルそうにため息を吐いた。
「困るんだよ。お前に何かあったらよ」
無論、それはクリザリッドの為であったが、ナターシャはフフッ♪ と、微笑んだ。
「可愛い」
「はあっ? どこがだよ」
「アルカナート、貴方がよ♪」
「チッ、酔い過ぎだぜナターシャ。いいから送ってやる」
そう告げ、ナターシャと夜道を歩き始めたアルカナート。
優しい街灯の光が二人を照らす中、ナターシャは前を向いたまま静かに問いかける。
「ねぇ、アルカナートはあの子の事、どう思ってるの……」
「セイラの事か」
「うん……」
ナターシャがそっと答えると、アルカナートは少し間を開け軽くため息を吐いた。
「アイツは鞘だ」
「鞘?」
「あぁ……あのバカのお陰で、俺は狂気から遠ざかる事が出来る」
「そうなんだ……」
少し寂しそうに零すナターシャ。
ノーティスのような女心に超鈍感な男で無い限り、誰でも分かる雰囲気を醸し出している。
無論、アルカナートも店に何度か足を運ぶ内に、ナターシャの事を気に入ってはいた。
ナターシャの心にある、芯の強さとしなやかさを感じているから。
───ナターシャ、だが俺は……
ただ、これはセイラに対してもそうだが、アルカナートは特定の女は作らないようにしていた。
自分が勇者である故に、いつか殺されるか追放される事を、特に最近は強く感じているからだ。
───まだ確証は持てねぇが、クルフォスの奴は最近何かきな臭ぇ……途轍もない善人だと言われているが、俺の心がザワめきやがる。
そういった危険に、女を巻き込みたくはなかった。
もちろん、そんなアルカナートに哀しい横顔を見せながら歩くナターシャを、不憫には思う。
しかし、尚の事その気持ちは変わらない。
「ナターシャ、お前は強く美しい女だ。その心で相手を選べば必ず幸せになる」
そう告げた時、ナターシャはピタッと足を止めスッとアルカナートを見つめた。
美しい瞳が光に揺れる。
「心で選んだのが貴方だったら、どうするの」
ナターシャからの決意のこもった告白の眼差しを、澄んだ瞳で見据えるアルカナート。
風に揺れる木々のざわめきが、ここで答えない事は許さないと告げているように感じてしまう。
「俺は……」
そう言いかけた時、ナターシャがアルカナートの唇に、そっと人差し指を立てて切なく微笑んだ。
「いい。やっぱり言わなくていいわ」
そして、人差し指を離す。
「今日はありがと」
「なっ……!」
「ここでいいわ。またね♪」
ナターシャはそう言ってクルッと背を向けると、そのまま街の雑踏の中へ消えていった。
その背中を、呼びかける事が出来なかったアルカナート。
なぜか、それ以上声をかけてはいけない気がしたのだ。
───まぁ、いい……
心でそう呟くと、アルカナートも踵を返し帰路へと進みだ出した。
だか、それから十分経った時、少し離れた場所でドカアンッ!! と、いう凄まじい爆発音がアルカナートの耳を貫いた。
「なっ?!」
爆発音のした方へ振り返ると、その瞳に映る。
遠目からでも分かる燃え盛る赤い炎が。
「何だあれは……!」
アルカナートがそれを見つめていると、街の人達が慌てる姿とザワめく声が耳に入ってくる。
「おい、聞いたか?」
「えっ? あの爆発、アステール・ダストらしいぞ」
「あの喫茶店の?」
「あぁ。それに、中に誰か入ってったんだってよ」
「マジかよ! ヤバくね?!」
「やべぇよな。女の子らしいけど」
それを聞いたアルカナートの背筋に、ゾクッとした悪寒が走った。
まるで黒い閃光のように。
───まさかっ!
その瞬間、アルカナートは疾風の如く駆け出した。
最悪な予感を、その胸に抱えながら。
アルカナートの向かった先には……