cys:157 宮廷音楽家シド
「くっ……!」
頭を片手で押さえ、苦しそうに顔をしかめたアネーシャ。
レイに閃光を差し込まれた額がズキリと痛む。
ただ、それと同時に剣を構えようとしたが、握っていたハズの剣は何故か失くなっていた。
「えっ、なんで?!」
思わず声を漏らした瞬間、アネーシャの頭の中でプツンと何かが切れた。
「あれ……? 私は何を……」
頭の中に突然サァーっと霧がかかったかのように、記憶がなくなってゆく。
それと同時に思い出す。
───そうだ……!
その時、レンガ造りの建物が立ち並ぶ街の中に、リンゴーン……! リンゴーン……! という教会の鐘の音が響き渡る。
その音が夕焼けの空と相まり切なさを醸す中、アネーシャは駅の方へ嬉しそうにタタッと駆け出した。
鎧ではなく、可愛らしい清楚な服を着たままで。
◆◆◆
「ハァッ……ハァッ……」
人が往来する夕暮れ時の街の中を息を切らせながら駆けてゆくと、アネーシャの瞳に映った。
駅前に着いた車から降り、タキシードに身を包んだシドの姿が。
その瞬間、嬉しそうにパアッと明い顔を浮かべたアネーシャ。
「シドっ、お帰りなさい!」
「アネーシャ……!」
シドはアネーシャの事を少し遠目で見ると、クールな瞳を優しく和らげた。
スラッとした精悍な身体から、嬉しさと優しさが立ち昇っている。
「ありがとうアネーシャ、迎えに来てくれたのか」
「うんっ♪ ちょうどこの時間だと思って」
「そうか。嬉しいよアネーシャ」
シドが優しい眼差しを向けてアネーシャを見つめてると、車からもう一人男が降りてきた。
重厚なスーツに身を包み、後ろに結いた艷やかな黒髪を揺らめかせている。
そんな彼は、二人に向かいニヤッと微笑んだ。
「フッ、全く帰った早々見せつけてくれるな」
「な、何言ってんだよキース」
顔を軽く火照らせて振り返ったシドに、キースはニヤけながら軽く首をかしげた。
「まったく、見てるこっちが照れるぜ」
「おい、キース。やめろよ」
「ハハッ、いいじゃないか。仲が良くて何よりだ」
そう言ってキースが軽く笑うと、アネーシャがシドをワクワクした顔で見つめた。
「で、どうだったのシド。宮廷の音楽会は」
「あぁ、それなら……」
シドがそう言った時、キースが後ろから立派な装飾が施された豪華な盾を胸の前に掲げ、ニッと笑みを零す。
「これだ」
「わあっ、凄い!」
思わず瞳をキラキラ輝かせたアネーシャ。
その盾に記されていたからだ。『宮廷音楽会最優秀賞』と。
それはトゥーラ・レヴォルトの貴族達が集まる宮廷で開かれた、年に一度の音楽発表会。
この発表会で最優秀賞を取った者には、音楽家としての輝かしい未来が約束されるのだ。
そして盾には、シドとキースの名前が連ねられている。
アネーシャはそれが本当に嬉しく、瞳を潤ませた。
これまでずっと応援してきたから。
「シド、おめでとう……!」
「アネーシャ、キミのお陰だよ」
「ううん、私なんて何も……」
そう言って首を横に振ったアネーシャを、シドは優しく包み込むように見つめた。
その瞳に宿った光が揺らめく。
「キミを想って弾いたんだ」
「シド……!」
アネーシャがより瞳を潤ますと、キースが軽くチャチャを入れるような顔を浮かべる。
「おいおいシド。俺のバイオリンでの連弾、忘れてるんじゃないだろうな」
「キース、そんな訳ないだろ」
「フッ、ならば……」
「ああ、その通りだ」
シドはキースと共に、アネーシャを凛とした瞳で見つめた。
「アネーシャ。この賞は俺とキース、そしてキミと一緒に奏でたメロディーだ」
「シド……!」
嬉しさに体を震わせるアネーシャ。
シドのその言葉がお世辞でも何でも無く、本心からだというのがヒシヒシと伝わってくるのだ。
またシドも、そんなアネーシャの事を愛おしく見つめている。
そんな二人を見たキースは軽く溜息を零し、ヤレヤレのポーズを取った。
「後は二人で祝ってくれ」
その瞬間、なんで?! と、いう顔を向けるシドとアネーシャ。
「キース、何を言ってんだよ」
「そうよ、今言ったばかりじゃない。三人でお祝いしましょ」
だが、キースは微苦笑を浮かべると軽く瞳を閉じた。
シドとはまた違う、クールな優しさを醸し出して。
「遠慮しとく。ここからはお前達の連弾だ」
「なっ、キ、キース。なにを……」
シドは顔を火照らせているが、アネーシャはそれ以上に顔を真っ赤に火照らせうつむいている。
恥ずかしくて仕方ないからだ。
「わ、私達は、別にそんなんじゃ……!」
「そ、そうだぞキース。別に俺達はな……」
二人がそう言って口ごもるの見て、キースは思わず吹き出した。
「ハーッハッハッ♪ お前ら、それで隠せてるつもりなんて可愛い過ぎたろ」
そして、二人の肩にポンッと両手を乗せて微笑む。
「俺は充分楽しんだ。後はお前らの時間だ」
キースはそう告げるとサッと背を向け歩き出した。
結いた長い髪が揺れ、それさえも祝っているように感じさせるオーラと共に。
そんなキースの背中を火照りが残った顔のまま、少し切なそうに見つめる二人。
キースの背中が夕日と共に、雑踏の中へに埋もれていく。
そして、完全に埋もれるのを見届けると、シドとアネーシャはそのままスッと手を握り、互いをチラッと見て微笑んだ。
「アネーシャ、行こうか」
「うん……っ♪」
ニコッと嬉しそうに笑みを浮かべ、シドの手をギュッと握りしめたアネーシャ。
だが、その時だった。
───『アネーシャ……!』
心の中で自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたアネーシャは、ピタッと足を止め後ろを振り返ったが、瞳に映ったのは夕日に照らされた街と雑踏だけだった。
───今、誰かに呼ばれた気がしたけど……
心の中でそう呟き想いを巡らすが、答えは出ない。
ただ、どこかで聞いた事のある声だった事は分かる。
「アネーシャ……どうした?」
ちょっと心配な顔をしてシドが見つめてくると、アネーシャはそれを考えるのをやめて軽く首を横に振った。
「ううん、何でもない。気のせいだった」
「そうか。ならいいけど……」
シドがそう零すと、アネーシャは全身から愛しい想いを溢れさせ手をギュッと握りしめた。
この幸せを確かめるかのように。
アネーシャを呼ぶのは一体……