半魚人
「そーいや人魚の肉って不老不死になるってホント?」
「なんで俺に聞くかなぁ?」
「いやなんとなく」
「まぁ似たようなもんだけどさ~」
「で、どーなん?」
「知らないな~人魚なんて食ったことないし。あ、小指くらいなら切り落としてもすぐ生えてくるから試しに俺を食ってみる?」
「遠慮するわ。なんかグロいし」
「まぁ刺身みたいなもんだと思えば」
「べつに不老も不死もいらんし」
「そっか」
彼は少し残念そうに眉を下げると、水掻きのついた手で水を掬いパシャパシャと撒き散らした。
真昼の太陽の光を反射し、水の粒がキラキラと輝きながら海に還ってゆく。
わたしはその七色の光のまばゆさにに目を瞬かせた。
彼は海ではしゃぐ子供のように、飽きることなく周りに、頭上に、水を振り撒き続ける。
足だけを海に浸けていたわたしにも時折その光の粒が降り注いだ。
日差しに火照る肩や頬に心地よい冷たい雫があたる。
わたしは目蓋を閉じて、潮の香りを胸に吸い込み、波の音に耳を傾けた。
「あのさ」
少し微睡みかけたわたしに、いつの間にか水遊びを止めた彼が声をかける。
声を出すのが億劫だったわたしは無言で続きを促した。
「あのさ、海の底のもっと下には…俺の秘密基地があるんだ。」
彼は少し俯きながら続ける。
ここからは見えない、その場所に目を凝らすように。
「お日様の光が届く、ギリギリの場所なんだけれど、白い砂に水面の波紋が綺麗に映るし、たまに色が鮮やかな魚も来る。柔らかいすべすべの海藻も生えてるし、ちょっと行ったとこには珊瑚礁もあるんだ」
美しい光景を、わたしは思い描いた。
それは、誰にも侵されることのない、海の楽園。
「いいね」
しかし、わたしがその光景を目にすることはないだろう。
わたしの身体は生れ付き丈夫ではなく、海底の秘密基地にはとても辿り着けない。
なにより、わたしに残された時間はあとわずか。
それでも、
「見てみたいなぁ」
ぽつりと、波の音に紛れるくらいかすかにささやく。
「不老不死には、なれないかもしれないけれど」
彼の声は海と同じ心地よい音。
生命の始まりの音。
この心の懐かしさは、たぶん全ての生きものに刻まれている。
だから、わたしは彼の声に耳を塞ぐことができない。
聞かなかったふりをすることすら。
「もう少し長生きできるよ。水の中で息もできるようになる」
わたしは黙って再び目を閉じた。
「見せたいものが、たくさんあるんだ」
たぶんそれはわたしが見たいものでもあるだろう。
わたしはひとりぼっちの彼の、たった一人の友人。
彼は全てを諦めていたわたしの、ただひとつの我儘。
答えはいつも、海の中にあったのだ。
その日、ひとりの少女が姿を消した。
病弱で、外出さえも危うい彼女が連日海に通っていたことを知る人々は海辺を探したが、ついに彼女を見つけることはできなかった。