自傷行為と私の本音
今、私を私として動かしている物はなんだろう。
『彼』に会うことも出来ず、自傷行為もしてはいけない。
どうやって今、私が生きていると証明が出来るんだろうか。
また、やるしかないのか?
一度初めてしまった。
足を踏み込んでしまったその行為から抜け出す事は出来ないのだろうか。
いつまでガラスの目玉で世間を見れば良いのだろうか。
どうしたら私は生きているという事を実感できるんだろうか。
衝動を抑えるのが辛い。
傷を見ると、その気持ちが余計に湧き立つ。
でも、今度はリストカットでは済まないかも知れない。
首を掻っ切りたくて仕方が無い。
今度もし、リストカットを始めてしまったら、今度は間違いなく
取り返しが付かなくなるほどの傷になるだろう。
また精神科に行くべきだろうか。
それとも、耐え忍ぶべきだろうか。
いつまで耐える事が出来る?
人として、いつまで生きることが出来る?
本当に人を巻き込まないで居られるだろうか。
私がこうなった時、親は私の身体より生まれたばかりの姪を気にした。
私が幼い姪に何か仕出かすのではないかと。
兄はまだ未婚で、私の所為で結婚できなくなるのではないか、と。
面と向かって言われた時は、自分の存在理由を全て否定された気がした。
母は他にも私の存在を否定する事を言っているので、これだけが
どうこう言うつもりは無い。
私も母には何も求めていないし、なんとも思っていない。
ただ、それでも産みたくもなかった子どもを産まされた。
私がいなければ、母はもう少し楽な人生だったかも知れない。
少なくとも、育児期間は短かった事だろう。
そういったことも含めて、母には多少なりとも申し訳ないと思う。
悪いのは父だが・・・。
母親の辛さも忙しさも、何も知らずただ子どもが出来てしまった。
母は産みたくない。
でも、父は折角出来たのだから可愛そうだから産んでやれ。
そう言ったらしい。
そして私にはもう一言。
『お母さんは堕ろしたいって言ったんだ、でも俺が産んでやれって言った、
だからお前は俺に感謝しろ』
訳わからねえ。
何だそりゃ?
いらないなら最初から出来ないようにしろよ。
つか。すんな。出来るような事を。
自分達の不注意な訳じゃないか。
それなのに、人にそれを押し付けるのはおかしい。
要らないなら堕胎して貰っても良かった。
生まれてきて、こんな思いしかしない人生ならば、いっそ無いほうが良かった。
そう思う事の方が多かった。
親にも、兄・姉にも、同級生にも、全てに否定されて。
信用できる人が一人も居ないなんて。
そんな人生、誰が嬉しいと思う?
産んでくれて有難うって。
生まれて来て良かったって、誰が思う?
義務教育間ずっと苛めにあっていて、一人ぼっちで、誰が幸せ?
そんな人生で、誰が感謝をするよ。
そんな人が居るなら会って見たいものだ。
私は自分ではとても不幸だと思っていたよ。