言うなれば、仕事
とにもかくにも人が苦手な私は、恋愛の一つも出来ない。
紹介されても、出会いがあっても、どうしても駄目なんだ。
勿論、自分が惚れ込んで突っ走る事もある。
でも、他の人みたいに好きになったら付き合いたい。結婚したい。
そういった願望は少ないのかも知れない。
自分の育った環境は、お世辞にも温かい家庭ではなかった。
それを見てきて、結婚とは、家庭とはなんだろう。
と、考えてしまうからだ。
この生活が結婚ならば、私はしなくてもいい。
そう思わなくも無い。
怒鳴り散らし、手や足が出る父を持ち、ただそれを耐え忍ぶ母が居る。
子どもの立場では、何もする事が出来ない。
故に、ただ耐えるだけだ。
小学校からの苛めと、この家庭と。
両方から私は心が病んでいったのだろうか。
大人になった今でも、大きな声と音が苦手だ。
萎縮してしまう。寿命が縮む思いだ。
でかい図体して、蚤の心臓なんて、笑えない。
今、私はリストカットと自傷行為を止めて五年。
とても久しぶりにそれをしたくて仕方がなくなっている。
何故だろうか。
ストレスが溜まっているからだろうか。
幼い頃から自分の思いをいう事が出来なかった私としては、
大人になったから言えるか?といったら勿論違う。
三つ子の魂百までもってやつか。
自分の意見を纏めたり、人前で言うのはとにかく苦手だ。
自分でも気が付かないうちに何かが積もり積もって、
音も立てずに中の何かが崩れ始めていたのだ。
生きている感覚が殆どなくなってきた。
ちょっとしたパニックが起こりそうな現状だ。
運転中、はっとする。
今運転しているのは私か?
この身体は私のものか?
傷がある。これは私の身体だ。
生きるために付けた傷だ。
今目に映っているのは私の眼が映している物か?
人の目を遣って見ているような、変な感覚。
例えるならば、TVを見ているような感覚と言った方が分かりやすいかな。
たまに、自分は人ではなくて、ロボではないか。と思う瞬間すらある。
これでもし、今まで通りスーパーの仕事をしていたとしたら
きっともっと壊れるのは速かった事だろう。
私は今、子どもと接する仕事をしている。
スーパーでレジをしていたのも、子どもと接する事が出来たからだ。
子どもと接する仕事が出来たらいいなあと思っていた。
ただ、学歴がなかったから諦めていた。
だから、この職を見つけた時はとても嬉しかった。
今の職についてから、私は一度もリストカット等していない。
でも、身体に残っている物に関してはどうしようもない。
気にする子どももいる。
勿論、大人だって他の人だって気になっていることだろう。
でも皆さん大人だから、大人は聞いてこない。
子どもは、流石に子どもだから気になれば聞いてくる。
素直に答えてしまったこともある。
ただ、子どもの事を考えたら、そんなに正直に全てを話してはいけない。
それも思い知った。
何を言われてもいい。
私はそうやって生きてきたんだから。
毎日同じことの繰り返しに見えて、子ども達はそれなりに違う。
毎日同じ子とけんかを繰り返しても、日によって理由は違う。
毎日工作をしていたって、その続きだったり新しく作ったり
それはそれは忙しく動いている。
子どもが好き。
たったそれだけの理由でこの職に就いて、五年目。
今までの職歴で一番長い職になった。
社員ではないので、その辺は親、姉にはよく思われていない。
それはそれは言いたい放題言われている。
年も年だし、仕方ないか。
正社員を二回もやって、でもどちらも結局は辞めて、仕舞いには
どれよりも安い給料だ。
でも、私はお金より大切な物があると思っている。
お金だけなら、私はきっと最初のところを辞めなかった。
例えそこで病んだとしても縋った事だろう。