人魚姫と契約してた魔女だけど文句ある?
人魚姫。
それは人魚の中で最も優れた歌声を持つ人魚に贈られる称号。年若い人魚は皆、その称号に焦がれ憧れる。
私もその一人だった。
でも、深海の闇のように黒く、不気味な髪と瞳。そしておどろおどろしい八本足の下半身を持つ私には、人魚姫はおろか、家の外に出て遊ぶ事すら出来はしなかった。
「お前は呪われた子だ」
母の口癖だった。
でも! それももう昔の私。
私は醜い容姿と引き換えにしたのか、私には魔法の力があった。
なんとか魔法学校に通い、私はこのどん底の海底から、這いあがったのだ。永い寿命と豊富な知識。両親は他界し、外界とかかわりもなかった私を知る者もいない。私は海底で、何でも屋としてひっそりと暮らしていた。
基本自給自足。たま~に来る願いを叶えて欲しい人の願いを、気が向いたら高値で請け負ってやる。
何不自由ない楽しい日々。
満足していた日常に、嵐は来た。
「人間と仲良くなってみたいの!」
馬鹿な願いで来た娘。
聞けばなんでも当代の人魚姫だそうだ。
ああ、これは。ふっかけてやろうではないか。
「いいけど、お代にあんたの大切なものを一つ頂くよ。あたしの魔法はそうしないと発動しないからねぇ」
意地悪く笑う。海底は暗く、ここには明かりも少ない。ちょっとこうやってすごんでやれば、人魚はみーんなビビるのさ。
しかしこの娘は心臓に毛でも生えているのか、臆せず私に詰めてきた。危ない危ない、危うくこの醜い顔がバレるところさ。
私はフードを深くかぶりなおし、店内の照明を減らすと、人魚姫に契約書を書かせた。
お代はその美しい髪。
与えるは人間との友好的な出会い。
人魚姫の美しく艶やかな髪の毛は、それはそれは黒く染まったさ。
ああ、いい気味だ。きっと、他の人魚たちのところへ行けば不気味だと気味悪がられるのさ。かつてのあたしのようにね。
しかし、娘は懲りずにまたやってきた。
「魔女さん、あのね。今度はね、私と王子様が意思疎通できるようにしてほしいの!」
聞けば、娘は髪の毛の対価で、人間と友好的な出会いを手に入れたが、それは沈没する船に乗っていた乗客たちを助けたことらしい。そして本人の幸運か、助けた一人が近隣国の王子だと言うじゃないか。
王子を助けた後、何回か王子と浜辺で逢瀬をしたそうだけど、人魚と人間では言葉が通じない。そこで人魚姫は歌を、王子は海にはない、楽器で想いを重ねているそうだ。
ああ、やだね。本当。恵まれたやつってのはさ。
「いいだろう。しかしねぇ。対価はいるよぉ。わかってんだろうねぇ?」
「ええ、もちろん!」
娘は目をキラキラと輝かせる。
ああ、そうだね……じゃあ、今回のお代は……
対価はその美しい瞳。
与えるは人間との意思の疎通。
人魚姫の輝く瞳はそれはそれはもう、みるも無残さ。光も輝きもない漆黒! そうさまるで私の瞳のようにね!
ははは! とたまらず笑い声をあげる。自分の瞳の色を確認できない哀れな娘は行くのさ、他の人魚の元へ。愛する王子の元へ。そして蔑まれればいい!
しかししばらくして、娘はまたやってきた。
「あのね、魔女さん! 私を人間にしてほしいの!」
黒くて汚い色の髪の毛と瞳を持つ娘。ああ哀れな人魚姫。
聞けば王子にぞっこんなようだ。この広く美しい海を泳ぐヒレを捨てて、怖くて窮屈な陸を駆けたいんだそうだ。
懲りないねぇ。全く。
「あんたねぇ。あたしが言うのは何だって話だけどさぁ。他の人魚から相当嫌われてるんだろぉ? ああ、だからそのオウジサマの元へ行きたいってコトかい」
「いいえ? ああ、この髪の毛と瞳の事を言っているのかしら。うふふ。私、気に入っているのよ。王子さまが言ってくださったの。私の髪と瞳は黒真珠のように綺麗だって!」
「真珠? あんなのに例えられるなんて、あんた馬鹿にされてるんだよ! あはは!」
「まぁ! それは違うわ、魔女さん。海では真珠なんてありふれたものだけど、陸では貴重で高価なものなんですって! 不思議ね、同じものでも、環境が変われば評価されるなんて」
「……ふん。でも、あんたを褒めてるのは王子だ。他の人魚からはさぞや疎まれてるんだろうねぇ。不気味だってさ」
「そんなことないわ! みんな、私とは以前のように接してくれているもの!」
「ははは! そんなの決まってるさ。あんたが人魚姫だからだよ。ああ、今回のお代は決まったねぇ。歌声さ! あんたの歌声をおよこしよ! そうすればお望み通り、人間にしてやろうかねぇ」
これには人魚姫もはっとする。
そうさ、そうさ。人魚にとって歌は命。生活と共にあるものさ。特に王子とのきっかけである歌を取られるのは苦渋の選択だろうねぇ。
あはは、笑いが止まらない。悩んで考えて、きっと断るのさ。無理だとね。そしてしばらくしてまた戻ってくるんだろう。この髪の毛と瞳を戻してと! あははは!
そしたらそのお代に歌声を貰おうかねぇ!
「歌声、というのは、お喋りも出来なくなるの?」
「あぁ? そうさねぇ……そうだねぇ。声も出なくなるって事にしようかねぇ。まぁ陸に上がっても大丈夫なハズさ。意思疎通ができるからねぇ。文字でも書いて筆談すればいいのさぁ」
王子さまって存在と言えば美しい女性なんて選り取り見取りさね。そんな王子さまが、汚い色の歌も歌えない人魚姫にそんな手間をかけてくれるとは限らないけどねぇ!
「わかったわ。私を人間にしてちょうだい!」
「あはは! やっぱり断……は? あんた、正気かい?」
「ええもちろん。考えたわ。でも、やはりこの恋を止める事なんて誰にも出来ないわ。たとえ声がでなくても、ね」
「はぁ。呆れたお嬢さんだねぇ。まぁいいさ。お代はきっちりいただくよ」
お代は美しい声。
与えるは人間の姿。
人魚姫はキラキラと光の粒子に包まれると、美しいヒレはそれはそれは無残な、醜い二本足へと変わっていったさ。他の人魚のように鱗もなく、ぶにぶにと弾力のある肌。ああ、気味が悪い、呪われていると言われるんだろうね! かつてのあたしのようにさ!
哀れな人間の姿になった人魚姫はパクパクと口を動かしては、泳ぎにくそうな二本足をバタつかせて去っていく。
きっと他の人魚たちはぎょっとするだろうね。けどまぁ、歌の歌えなくなった人魚姫の事なんてすぐに忘れて、次の人魚姫に想いを馳せるんだろうさ。ああ、馬鹿なこと。
あたしは水晶玉に手をかざす。
人間の姿にするのに声だけ貰うなんて分が悪いからねぇ。人魚姫の見る景色が水晶玉に写るようにしたのさ。
まぁ、多少の暇つぶしにはなるだろうさ。
それは、暇つぶし、と呼ぶにはあまりに壮大な物語だったのさ。声もなく、人魚姫の見る景色だけでも、それはわかるほどに。
一人の愚かな娘の、愚かな恋の行き先。
そんなの、わかってて見てたはず、なのにねぇ。
「ああ、愚かで哀れな人魚姫。王子を誑かした悪女として処刑とはねぇ」
この国の処刑方法は、この国一番の高い崖から囚人を落とすこと。下は海だが岩が突き出てまず助からない。文字通り海の藻屑さね。
「本当に馬鹿な娘だよ。自分がこんなに犠牲を払う前に、何を対価にしてでも海へ来たいって男を愛すべきなんだよ……」
魔法の水晶で、牢の中の人魚姫へ語り掛ける。
「さぁさ。人魚姫。今なら大バーゲンだよ。安い対価で、復讐してやってもいいんだよ? まぁそうしないとあんた、このまま海の藻屑さね。ああ、声が出ないんだったねぇ。まぁいいよ。頷いてもらえりゃあ契約成立だ」
視界を共有する水晶は、何故か横に揺れる。
「なんだい。頷くって意味もわかんないのかい? 馬鹿だねぇ。頭を縦に振ればいいのさ」
しかし依然として、視界は横に揺れるばかり。
ああ、面倒だという気持ちを隠す事もなく、あたしは大きくため息をつく。声をお代にしたのは失敗だったかねぇ。
手を大きく振り、円を描くように揺らす。ああ、ああ。これは、思ったよりもひどいねぇ。
私は自分の幻影を人魚姫の目の前に映し出した。これで人魚姫視点ではなく、俯瞰して見ることが出来る。
その光景はひどい、その一言に尽きた。薄暗く淀んだ空気の牢屋。人魚姫自身は、暴行の跡が見られた。人魚の身体ならば治ってしまいそうな傷の数々だが、人魚姫は人間になったからか癒えることなく苦痛を与え続けていた。
人間がこんな傷も治す事が出来ないほど弱い種族だとは。これには魔女も顔を顰めた。
それとは打って変わって、人魚姫は魔女を見ると、驚きつつも声の出ない口でパクパクと何かを必死に訴えた。
埒が明かないねぇコレは。魔女が手をかざすと、一時的に人魚姫には声が宿った。
「──魔女さま! 大変なの、人魚のみんなが危ないわ!」
聞けば、人間たちは人魚の肉や血や鱗を求めているのだそうだ。王子は利用されていただけのようだが、他の大臣や公爵その令嬢、果てには王までもが人魚を捕まえようとする悪いやつらだと人魚姫は言う。
始めは人魚姫を捕まえようとしていたが、人魚姫が自信を人間に変えてきたというと、彼らはあらぬ罪で牢へ入れたらしい。
魔女はこれには呆れて言葉も出ない。
「じゃあ復讐すればいいじゃないか」
「えっ何故? 私があなたにお願いしたいのは、人魚のみんなを守って欲しいだけ。復讐なんて望まないわ」
「はぁ? 復讐すれば、人魚も守れてあんたを傷つけた人間も死ぬ。あんたがあたしに頼んでるのは、やっぱり復讐じゃないか」
「ちがう、それはちがうのよ、魔女さん。これは黒真珠と同じなのよ。私達にとっては何故そんなことを望むのかわからなくても、人間にとってはきっと、大切なことなのよ。それに、この国の王たちを、全ての人を殺しても、きっとまた人魚を狙う人間は現れる。だから、お願い。私の全てを差し出すわ。泡になって消えても構わない。だから、人魚を守って欲しいの」
「あんた……」
開いた口がふさがらなかった。
魔女は、多くの時を生きていたが孤独だった。人魚姫は、魔女に比べれば短い時を生きていたが、人に囲まれていた。それが、この差なのか。
魔女は違う、と首を振る。
人魚姫は、不気味な髪の色を持っていても、輝きもない漆黒の瞳をしていても、美しい鱗もなくヒレもない──あまつさえ人魚をやめ、大切な歌声を失っても尚──美しかった。
人魚姫はそれはもう輝いていた。波の向こう側に見えるあの太陽よりも。噂に聞く火よりもきっと、輝いているのだろう。
「……人魚姫、あんたがみんなに好かれる理由がわかったよ」
「人魚姫、じゃもうないわ。シルリエって言うの。私の名前」
「……ダルゴラだ。あんたの要望は聞こう。ただし、あんたがどうなるか、あたしにもわからないよ。いいね」
「ええ。ありがとう、ダルゴラ」
こうして人魚姫、処刑の日は訪れた。
魔女が現れてからはや数日。人魚姫への暴行は続いており、あの日みた姿よりも痛々しい傷が体中についていた。
「これよりこの悪女を処刑に処す!」
人々は崖から落とされる人魚姫を見物しようと集まる。
人魚姫は血を流しながらもどこか吹っ切れたように、踏みしめながら歩きだす。最後に歩くのが死にに行く道だとは。人魚姫は心のどこかでふっと笑う。
そしてその一歩を踏み出した。その先に地面はなく、身体は宙に浮かぶ。体は重力に従い落ちていく。人魚姫は目を閉じ、声が出ないとわかっていても、呟かずにはいられなかった。
「素敵な恋が、したかったなぁ……」
人間の身体では到底無事ではいられぬ、高さと岩肌。
人間になった人魚姫もただではすまないはずだった。
しかし、投げ出され海の中にいる彼女は、たしかに以前の人魚の姿だ。落ちた衝撃で解けた縄。自由になった手と魚の下半身を人魚姫はまじまじと見つめる。人間の時にあれほど傷んだ傷も、今や綺麗に消えていた。そして、何より──
「声が……戻ってる」
「そりゃあね。姿を戻したんだ。声も元に戻るさね」
「なんで……そんな、ダルゴラ、人魚のみんなを守ってくれるって……!」
魔女は以前牢に現れた時のように、姿を写しだす魔法を使っていた。
「あんたの要望は叶えるって言っただろ? 安心しな。シルリエ、あんたを元に戻したのは、あたしの最後の魔法だよ」
「最後って、まさか……!?」
「勘違いするんじゃないよ。あんた一人を泡にした程度で、人魚全員を守れるもんかい。だが、あたしの力なら話は別さね」
映し出された魔女の姿は、やがて泡に包まれた。
人魚姫の叫びも虚しく、魔女の姿は泡となって消えた。人魚姫は泳いだ。他の人魚を通り過ぎてもぶつかっても気にも留めない。スピードはどんどん速まり、目指す先は魔女のいた海底。
しかし辿り着いた海底には、誰もいなかった。
叫んでも、叫んでも、反響するだけで返事はない。
人魚姫は涙を流した。人魚の涙は真珠だ。人魚の真珠は波にゆらゆらと揺れて沈んでいく。
「いや、はぁ、あんた、はぁはぁ……あんたね! どんだけ早く泳ぐのさ!」
「うぅ……えっダルゴラ!? 生きてたのね! よかったぁ!」
「はあぁ? 勝手に殺すんじゃないよ」
「でも、でも、人魚を守るために自分を対価にするって……!」
「まぁ、間違ってないけどねぇ。あんたを戻した後、あたしの魔法の力を対価に人魚を守る結界をはったからねぇ。あんたのおかげで、あたしの魔法の力は消えちまったよ。このお代はどうしてくれようかねぇ?」
「えっえっ、それは、その……」
「そういえば、言ってたねぇ? 私の全てを捧げてもいいって。まさか嘘、なんてことは……」
「嘘じゃないわ! 煮るなり焼くなり好きにしてちょうだいよ!」
「あはは! 傑作さね! それじゃあ、好きにさせていただこうかねぇ……」
その日から、人魚の国には秘密の魔法がかけられた。誰にも見つける事が出来ないという、神秘のベールに包まれた巨大な魔法。人魚たちはそのベールの向こうで、健やかに暮らしていた。
人魚の国では、その功績を称え魔女を王とした。魔女は魔法はもう使えなかったが、その豊富な知識で人魚の国を良くおさめた。しかし、生涯独り身でその人魚にしては短い生涯を終えたのだった。
一説によれば、魔女はその年の人魚姫に心底ほれ込んでいたとか、いないかったとか……
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