トリカブト殺人事件
避暑地で有名な土地の一角にある別荘は、一際大きなコテージとなっており、また少し高い場所にあった為、避暑地に訪れる人々からは注目の的になっていた。
だがしかし、今回は別な意味で注目されているようだ…………
「警部──」
「どうした山岸」
「コテージの裏にこんなものが……」
コテージの中に横たわる変死体。それは持ち主である大手企業経営者の変わり果てた姿だった。全裸にバスローブを着用しており、傍らには開けたばかりのビンテージワインが転がっており、鈍い赤色の輝きを放っていた。
「これは……トリカブトか!?」
「恐らく……」
コテージの裏手に捨てられていた一輪の花。それはキンポウゲ科トリカブト属の総称、有毒植物の一種として知られるトリカブトであった。主な毒成分はジテルペン系アルカロイドのアコニチンであり、その致死量は僅か0.2g~1gと極めて少ない。
「バスローブのヒモはほどかれているが、争った形跡も無し。金目の物も奪われていない……やはり身内による毒殺と見るべきだな」
「ワイン、鑑識に回します」
「おう」
普段コテージの清掃やメンテナンスを担当している現地の男に話を聞くが、そのワインは死んだ被害者が当日に持ち込んだ物であり、当日別な別荘を手入れしていた現地の男に毒を入れる事は不可能であった。
「……このコテージに他に誰か来なかったか?」
「さあ……?」
企業経営者が一人で過ごすには大きすぎるコテージ。しかもワイングラスは二つ出ており、テレビの正面に置かれたソファの座席は両端がやけに沈んでいた。
「明らかに誰か居たな……それもかなり親しい間柄だ。少なくとも風呂上がりにワインを飲みながら面会するだけの価値がある人物だ」
「目撃情報探ってみます」
「おう頼むぞ」
一際大きなコテージで起きた殺人事件はちょっとしたニュースとして避暑地に衝撃を与えた。愛人による痴情のもつれや遺産目当ての犯行かと巷では囁かれたが、被害者は独り身であり、何より女よりも仕事を優先するタイプの仕事人間だった為、その手の情報が得られることは無かった。
「警部──」
「山岸、どうだった?」
「ダメです。鑑識に回したワインからも毒は出ませんでした」
「おいおい、司法解剖の結果は心停止なんだ。これはトリカブトの症状と一致している。ならどうやってトリカブトを飲ませたのか説明がつかないじゃないか!?」
「すみません。目撃情報も無く、捜査は難航しています」
全てが行き詰まり頭を掻く二人の傍を、少し間の抜けた顔をした男が通った。
「はいはいゴメンよ、ラーメンが伸びちまう」
「ったく相変わらず吞気な野郎だ」
「こちとら難事件抱えてんだから気ィ使えってんだ」
男の名は鯖煮村鮫乃助──本名である。窃盗、空き巣、下着ドロ等の軽犯罪を主に担当する勤続12年目の中堅どころ。何処かお調子者の感じを漂わせており、時折冗談めいた発言をしては周囲から呆れられている。
「毒の混入先が見付からないんだって?」
「……ああ」
「奴さん自分で食っちまったんじゃねぇの?」
「な訳あるか!!」
「相変わらずふざけた野郎だ」
「ワイングラスも自分で二つ使って、ソファもトイレ行ったら反対側に座っただけじゃねぇのかい?」
「アホ!! 会社の経営者がそんなバカな訳あるか!! 経営者ってのはな! キチーッとしてないとダメなんだよ! 自分でトリカブトむしゃぶりつくトンチキに務まる訳あるか!!」
「あ、三分経ったぜ♪」
「聞いてねぇし……」
カップラーメンをすする鮫乃助を放っておき捜査に戻る二人。今日こそ有力な手掛かりを掴もうと意気込むがやはり空振り。目撃情報も、物証も無し。確かなのはトリカブトによる心停止。それだけだった。
しかし、刑事の勘がこれは他殺だ!と告げており、二人は石に齧り付く思いで捜査に着手し続けた。
そして──ようやく手掛かりを掴むことに成功した!!
「警部──」
「山岸どうした慌てて」
「ついに怪しい女を見付けました!」
「お!?」
それは経営者の男が通っていた高校のクラスメイトだった。たまたま聞き込みで事情を伺っていた山岸は、やけに生傷のある脚と、様子がおかしいその女を見て、直感的に何かあると確信したのだ。
任意による事情聴取が執り行われると、女はあっさりと関与を認めた。しかし、女の口から出た言葉は予想を遙かに裏切る衝撃的な内容であった──!!
「昔からあの人はお笑いが好きで……!」
「?」
「……一体なんの話だ?」
「あの日も、コントの練習に……!」
「?」
「???」
二人で顔を見合わせ首をひねる。一度話を止めようかと思ったが、折角口を割ってくれた女を止めるわけにも行かず、二人はただただ聞くことにした。
「こう……そのワイン一人で飲むんかーい!……みたいな」
「!?」
「!?」
「ソファも一人で座るんかーい!……みたいな」
「──!?」
「──!?」
「バスローブ脱いだろかーい!……みたいな」
「!?!?!?」
「!?!?!?」
「で、なんやねん!……で草で叩いたら…………」
「死んだと」
「急に倒れて……それで怖くなって裏から山を下りて……!!」
「その足の傷は枝に引っかけた傷か……」
「おい山岸、俺は訳が分からねぇ。とりあえずガイシャから毒が出たのかを確かめろ」
「は、はぁ……」
その後、経営者の男からは一切の毒が検出されず、トリカブトも経営者の男がツッコミ用に拾ったものである事が判明した。トリカブトで叩いた瞬間に偶然にも心室細動を起こした経営者は、そのまま病死。それがトリカブトの症状と酷似していた為、警察関係者は全てトリカブトによる毒死だと錯覚してしまったのだ!
「あいよゴメンよラーメンが通るよ」
「おう、この前のトリカブトの。アレ解決したぞ」
「そう? 良かったね。で、やっぱり奴さん自分で食っちまったのかい?」
「いや……もっと酷えやつだったよ」
「へーどんなんだい?」
「…………なんか釈だから教えねぇ」
「あ、三分経ったぜ♪」
「聞いてねぇし……」
こうして、事件は無事に解決を見せたが、二人のベテラン刑事には、どこか腑に落ちない終わり方であった。少なくとも、経営者=真面目という図式だけは間違っていると思い知らされた事件であった。