003 29歳の誕生日
2020/12/09 一部表現を修正
給与面で妥協に妥協を重ねて、小さな個人医院の事務職に就くことになった。
小さなと言っても三階建ての、地域密着型の歴史ある病院である。年下の女性ばかりのその場所に、私は明らかに力仕事要因として雇われた訳だが、中々どうしてこれは性に合っていた。一から始めるというのは想像よりずっと体力を要したが、怪我で鬱屈しているよりは何百倍もマシだ。
新人時代はすぐに終わった。二週間後には後輩ができてしまったのだ。
若い女性の事務員の顔ぶれは次から次へと変化してゆく。結婚や転職で目まぐるしく回転する。ここはそういう場所であると気付くのに、時間はかからなかった。さてどうするべきかとまたもやあれこれ考えた。長く働きたい。二人にまで減っていた友人にも随分と相談して、院長との面談でもそう伝え続けた。
数年が経ち、若い女性の後輩たちがそれぞれの誕生日を祝い合う女子会とやらの輪には当然入れず、その間に夏は雑務に埋もれて行った。
それでも「誕生日おめー、仕事どう?若い女の子ばっかの職場羨ましいわー」、そんなメッセージを受け取ったのを覚えている。
仕事自体は悪くない。私にしかできない倉庫の荷物の上げ下ろし、通風口の清掃に始まり、カルテの整理や隷書の諸処理。
意味のあることを、ちまちまと進めるのは苦にはならない。
院長の紹介で大学病院の事務室に転職することになった。
私の「長く働きたい」を表面的にではなく理解してくれた雇用者から私への、給金以上の、およそ考えうる最高の労働対価であった。
急な退職者が出たため、すぐに勤め始めることのできる経験者を探しているという。一生の仕事になる。この小さな世界で積んだ経験は、活かすことができるだろうか?
院長に散々に感謝し、実家の家族にも祝福され、転職を来週に控えた個人医院での最終日。入れ替わりに新しく入った事務員の女性に挨拶し、私の次に古株だった職員に引き継ぎを済ませた。皆に見送られてロータリーで大きく手を振り、片手に大きな花束を抱えて帰り道。
私はいくつかの偶然が重なった結果、一人で勝手に足を滑らせ転倒し、頭を強打した。
ーー人生とはかくも恐ろしいものなのである。
数日間の昏睡状態から目覚めた日の夜、体感としてはさっき別れたばかりの個人医院院長は、茫然自失の私を優しく慰めた。
疲れているだろうと私の両親を一旦家に返し、そして彼は無事で良かった、それが何より大事だと何度も繰り返した。目に涙を浮かべ心から安堵した顔を見せる恩人に、一体どんな負の感情をぶつける事ができるだろうか!
結局私は折角の仕事の斡旋を無駄にしてしまったことを謝り、私の代わりに急遽転職を余儀なくされた院長の知人の娘とやらへの謝罪を言付け、忙しい中見舞いに通ってくれていたことに礼を述べ、とうとう怒鳴り或いは喚き散らすタイミングを終ぞ失ってしまったのだった。
壊れた眼鏡はさっさと破棄した。当然の如く、私は何もかもが嫌になった。
流石に立ち直れる気がしなかったし、最終職歴が自主退職であることも私の憂鬱を助長したが、腹立たしいことに怪我はゆっくりと、だが確実に癒えてゆく。食欲の出ない夕暮れにカロリーを摂取するため、だらだらと栄養補助ドリンクを飲みながら病室の窓から滔々と流れる川を見下ろした。ほとんど薬のような飲料にも関わらず、ちゃんと美味い。世の中の人はなんと世の中の人の為に奮闘しているのだろう。嫌になる。私は一体何なのだ……
「また転んで怪我した」のメールに返信をくれたのは、いよいよ友人一人だけだった。
大丈夫なのか、本当に運が悪いな、まあ、また良いことあるさとそいつらしい文章が並んではいたが、多分見舞いには来ないだろうことは分かっていた。さてこれからどうしよう、どうもしようがないな、どうもしたくないなあ。
転んだ拍子に痛め、未だしっくり来ないままのアキレス腱を庇いながら、深まる秋の風の中、荘厳な銀杏並木に見送られて退院を果たし、うっすらと埃の舞うアパートに帰宅する。
新しい眼鏡越しに、薄暗い室内を睥睨した。もちろん、そいつは見舞いには来なかった。
ーー夏である。真夏。私は29歳になった。
怪我は完治し、気持ちもある程度浮上した。ハローワークに赴くのは少し恐いが、コンビニで就職情報誌をもらって帰ることができるくらいには。
光陰は矢だ。届出が煩雑で遺漏なく受け取っている自信のない各種保険によって生活をし、そろそろアルバイトくらいは始めないといけないだの、いいやアルバイト先に腰を落ち着けてしまうよりはここで頑張って正社員を目指しておかないといけないだのと考えながら、現実逃避の趣味に没頭し……
よし明日こそはスーツをクリーニングに出し履歴書を買いに行くのだと、そして気付けば誕生日の朝であった。
誰からも祝って貰えない誕生日と言うのは、まあ、いくらでも存在するものだろう。
そんな人は溢れ返っている。世界が終わる程の絶望を見出すほどのものではない。
そもそも少しずつ、だが確実に減る友人の数がこの状況を予測させていたのだから、心構えをする時間は十分にあったのだ。両親も、一昨日親戚の法事の予定を電話してきた時に、30歳が見えてきたななどと如何にも誕生日周辺に叩くに相応しい軽口を口にしたではないか。ちょっと度忘れしただけなのだ、皆、みんな……
気にしない素振りでその実一秒毎に意識し続け、一日は滑り落ちるように過ぎた。うんともすんとも言わないトークアプリの画面から不思議な程に目線を外すことが困難だった。たったこれだけの事で心が折れるだなんて情けないことこの上ない。
もっと悲惨な経験はこれまでいくらでもしてきた。転倒とか、転倒とか、転倒とか……
そうして無常にも誕生日が終わりーー必死の自己暗示も虚しくなんだかもっと大きなもの、例えば人生も、同時に終わった気になってしまったのだった。