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018 一夜

 ーーまあ、「一夜」なんてものはそれほど長時間のものではない。


 ここが何処かは知れないが、こうやって私の知っている通りの自然現象をなぞって日が落ち、夜になったということは、きっと遠からず朝もやって来る。

 街の特性として「この一帯の夜は大体三十時間あるのだ」などという可能性もないことはないが、おそらく大丈夫じゃないかと思う。だって「夕方」と思しき時間帯は、私が違和感を覚えない程度の長さであった。


 Tシャツに染み込む、名残の雨水の感触は優しい。

 腹が鳴った気がするが、気のせいだということにする。


 他にできることも見つけられないまま私は考えを巡らせた。


 ここは、地球じゃない。

 私が知らないだけで異種族が沢山生活している国が地球上にあったとして、更にその場では互いの異言語が認識し合えるのだ、などと考えられるほど私の頭は都合よく出来てはいない。


 でもここは、惑星だ。

 いや厳密な惑星の定義は知らないが、しかしここは少なくとも自転し、その上、太陽的なものの周りを回っていそうである。昼間、空に輝く光源があり、刻々とその位置が変化したのは多分そういう感じのあれそれだよな?


 雲が動き、雨が降り、空には星が浮かぶ。

 世界にとって一番重要な、一番基本になる、物理的なルールは私が今まで生きてきた宇宙と同じ。恐らく。

 まあ昼過ぎからこっち、ちょっと雨量に対して雲量が釣り合っていない気がするけど、まあこれくらいは許容範囲だよな?

 ……うーん、この手のことは科学というより寧ろ理科の範疇なのだろうが、何となくでしか判断できなくて情けない限りだ。


 とにかく、それならば同じ宇宙の違う惑星にワープでもしたかと思えないこともないが、それにしたって、やはり言葉が引っ掛かる。

 ワープの途中で睡眠学習をしたとでもいうのだろうか。

 どうしても、ここが今までいた世界と地続きだと考えることに抵抗がある。


 だからここは、違う世界だ。


 パラレルワールドとかそういう。


 取り敢えず、そう考えよう。それ以外に結論付けるのは、気持ち的に現段階では不可能だ。

 ここまでリアルで時系列を有した空間が夢の中の、私の中の精神的な世界だと思うとちょっと怖いから、隣り合った違う世界にうっかり迷い込んだ。もうその線で行くことにしたい。

 ちょっとした不思議を通して言葉の壁をこえているのも、世界を渡った結果なら「知らなかったがそういうものか」と思えなくもない。そこに相当な無理があろうと、思えというのなら思わざるを得ない迫力がある。


 いつまで経っても目は覚めないし、最近運動不足なせいか足も怠いし、手の甲をつねればーー「えい」とつねるーーほら、痛い。

 具体的には思いつかないけど、昔話にも都市伝説にもこういうのってよくありそうだ。神隠しみたいなやつ。

 ひょっこり帰れたら良いけど。

 でも帰ってもな、待ってる人いるかな…… 友達も……


 雲間、雨の奥に瞬く星。

 煉瓦を覆って揺らめく水溜まりに映ってずっと、留まっている。


 いつの間にか、人通りは途絶えていた。

 もはや耳慣れてしまった雨音以外聞こえない。今日一日、沢山のことがあった。久しぶりに随分人と話をした。

 知らない世界の、少ししか知らない街の真ん中は、その字面ほど寂しい場所ではない。


 街並みの黒いシルエットが溶けて、濃い藍色の水にひたされている。海の中にいるみたいな夜だ。

 安全のために夜通し起きておく心づもりだったが、眠ってしまっていいかとも思えて、少し悩んだ。


 それでも結局、次第に色の密度を変える美しい天蓋を、地面に近いところからじっと眺めていた。


 それが安全のためであったのかは、自分でもよくわからなかった。


 ーーさて、初めて知ったことであったが、日の出というのは思っていたよりも時間がかかるものであったらしい。


 気を抜けば凝り固まろうとする足を伸ばしたり曲げたりしている内、押し掛かっていた夜の圧力がじわりと霧散を始め、「おっ、いよいよ明けるぞ」などと最初に感じてから「よし朝だ」と判断できるまでのタイムラグは相当なものだった。


 夜明けというのはこんな感じの流れを辿るものなのか。

 多分いままでの全ての朝も同じようだったんだろうに、日付を跨いでからが本番の飲み会を重ねていた学生時代の記憶を引っ張りだそうとも、こんな光景の思い出はさっぱり存在しなかった。


 影絵の街に太陽、便宜上太陽と呼ぶが、その力強い光の気配がじわじわと訪れ、一際大きな石造りの建物、銀行プルシャン・フローの頭の先から空は穏やかに白む。

 雨はまだ多少、降っている。

 真夜中は透明であったその粒の一つひとつに、少しずつ橙の煉瓦の色が反射し始め、それに合わせて景色が色彩を獲得してゆく。

 "煉瓦敷"が、新しい一日の采配をとり始めている。


「よっ」


 勢いをつけて、声に出しながら立ち上がった。

 体を伸ばしたら、肩の上がぼきっと鳴った。昔はこれが怖かった。今も、他人が鳴らしているのを聞くと結構怖い。

 どうでもいいことを考えながら出鱈目に足首を回したり、首を捻ったりしている内に、ぽつぽつと人影が現れ始めた。朝の早い街だ。ここに新聞があるのかどうかは不明だが、日本で言えばまだその配達時間くらいに思えるが……

 商業地区だと、どこもこんなものなんだろうか?


 私はつくづく知らないことが多い。

 こんなことでこの場所の今日という日をやり過ごせるのか。……いや、まあ、そんなこともないか。知ることができることを知ろうとしながら生きてきて、これからもそれをやめなければいいだけの話だ。卑屈になるのは良くない。


 ぐるりと通りを見回す。

 掃き掃除をしたり大きなバスケットを運んだり、仕事に取り掛かっている人達は誰も傘をさしていない。カッパの類も着ていない。目の前を通り過ぎたエプロン姿の女性のもふもふした耳が、水を弾いて微かな膜を作っている。

 これくらいなら私としてもぎりぎり、手ぶらで歩こうという雨量だ。


 そういえばと振り返って、早朝の薄青い自然光の中で確認するが、残念ながらディスプレイ窓中の商品の得体は知れないままだった。

 大小様々、材質不明の道具たちはそれぞれ複雑に湾曲して、もしくは球形を重ねて、不思議かつ楽しげな輪郭だ。

 店の人間は出勤してこない。

 まだ人の流れの存在しない通りの真ん中に出て、やはり頭上高くに取り付けられていた看板を目に入れてみる。

 家具店。しっかりとした頑強な店構えに相応しい業種だった。


 真上の空は晴れている。

 問題ない程度の睡眠不足があるだけで、案外簡単に危険なく夜を越えることができて、少し驚いている。

 ーー今日も、散策だ。

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