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017 雨避け

 すっかり更けた夜の中、雨はどうやらピークを過ぎたようでありながら依然我が物顔でその存在を主張していた。


 まるで楽器のように雨音を響かせる骨董品店のひさしの下で、私は、一つ息をついている。

 お使いの果実の詰まったバスケットを左手に、大きな傘を右手に持った初老の男に守られて、少女は家路についた。

 ハッピーエンドだ。


 ーーだがその後ろ姿を満足感とともに眺めた時、私には気が付いたことがあった。

 これは、私は、多少強引であっても同行を申し出るべきだったのではないだろうか。


 何と表現すればいいのか、そう、如何にも「物語」が始まるべき場面を素通りしてしまったような心境だ、つまり私は今まさに、いわゆるフラグを折ってしまったのではないか……

 確かに私もくっついて彼女の家に行くというのは不自然だろう。現代日本の感覚から言えば。傘からもはみ出すし。

 店主がついているのにそれは不要の行いであるし、軽率なことをして不審者扱いされるかもしれない。色々聞かれても身元不定であることに対して上手い弁解の言葉も思いつかないしそうこうしている内に勝手がわからず妙なことを言いでもして最悪連行されかねない、ここには憲兵とやらが存在するらしいのに、などと私は考えた。身元保証人もいない私は相当まずいことになるぞと……


 でも本当に事態はそこまで悪い方向にすっ転んだだろうか?


 私は初めから、私自身が一人で送ることになるかもと思いはしていても、「できれば店主に任せるのが良いだろう」とリスクを避けることばかり考えていた。

 私も店主に同行する選択肢もあったのに、必要ないとそれを却下した。


 そもそも、信用出来る店主が帯同していれば少女の保護者はそれなりに私のことも暖かい目で見てくれたかもしれないし、家族ぐるみでこの不審な男を「親切な人」として遇してくれたかも。もしかしたらその家は宿を営んでいたかもしれなかったし、一宿一飯の僥倖にあずかることができたかもしれない。

 そこまでにはならずとも、一家の元を辞した後、店主の方が家に泊めてくれたかもしれないし、何かこの夜を乗り越える妙案を授けてくれたかもしれない。


 たった29年間で見聞きしてきただけだから、そんなに多くのストーリーを知っている訳ではない。それでも私の知る世界の物語はそんな風に動いてゆくものであった。


 そういったあれこれを、私は棒に振ってしまったのではないか。

 お陰で私は、夢か現実かもわからない雨の中で一人きり。


 でもそうじゃないかもしれない。

 一歩先で想像を絶する最悪の事態が口を開けて待ち構えていたのを、すんでのところで回避できたからこそ今こんなことを呑気に悔やむことができているのかも……


 やめよう。今更だ。

 終わったことである。


 ……いや、でも今、本当に、この骨董品店のシーンは終わってしまったのか? カメラはまだ回っているのでは? 追いかけるか? いや、いや……


 やめよう。


 ……やめよう。


 ーー雨は決して、弱くはない。

 ぱしゃぱしゃと薄く水の張った煉瓦の上を、足早に、しかし注意深く進む。時折、土踏まずがブロックとブロックの間の細い溝を狙い打てば、溜まった雨水が高く弾ける。

 全身、結構なずぶ濡れであるが、とにかく寒くないのは幸いだ。日が落ちて、ぐっと気温が下がるかと警戒していたが、そうでもない。


 あってないがごときの予定ではあるが、それでも当初の考えに従って大通りまで出た。鉄の看板たちを打ち鳴らし、ぱちぱちと広がる雨音。どこからか柑橘の匂い。

 両脇の店の並びを覚えている訳でもない、たった三回歩いただけの道にも関わらず、私はこの長細い場所をすでに馴染みのテリトリーのようにさえ感じている。ほっと息を吐く。

 ここで朝を待つ。待てそうだ。


 店は軒並み一日の活動を終えて固く扉を閉ざしてはいたが、人通りもまだ零ではなかった。

 やはり目抜き通りなだけあって、完全な沈黙はまだ遠いのだろう。有難い。生き物がいるということは、ただそれだけで情緒不安定な私に安心感をもたらす。

 一晩を過ごせそうな場所を探して逆水中ゴーグル状態の眼鏡の向こうに目を凝らし、きょろきょろと首を振りつつ進んだ。


 そうしていくらかの脳内選定作業の後に私が選んだのは、とある一際堅牢な建物の軒先であった。


 がっしりとした木製のドアと、その横に大きなガラス製の窓。その向こうに、雑多に幾何学的な、もしくは有機的な形をした影の塊たちが積み重なっている。

 玩具の専門店だろうか? 台所用品店、それともインテリア系?


 看板は見えなかった。或いは、雨をおして顔をあげれば、建物のもっと上の方に大きく掲げられているのかもしれない。


 石造りの壁の大きなドアの前には入店用の階段が二段取り付けられていて、それは子供や低身長の種族でもガラス越しに店内が覗けるようにだろうか、窓の下まで長く伸びていた。

 そして石でできた雨避けのひさしも、それら全てをーーつまり店の前面全体をーーカバーしている。

 なんにせよ、安定感のある店構えだ。おあつらえ向きだった。


 雨避けの下でようやく人心地ついて、私はゆっくりと階段に腰を下ろす。

 流石に乾いているとまでは言わないが、そんなに濡れてもいない。ただ厚いジーンズ越しだから伝わることもないはずなのに、ひんやりした石の感触がした。体半個分、頭が地面に近付いて、水の匂いが濃くなった。


 これはあれかな、迷惑行為に該当するんだろうかな。

 野宿に関してあんまり真剣に考えたことがないからわからない。でも混んだ喫茶店でコーヒー一杯をお供に何時間も粘ったりするのと似たような感じがある。始発を待つなら書店で立ち読みし続けるよりは漫画喫茶で過ごした方が良いだろうとは、私だって思うのだ。

 でも今夜のところは、ちょっと他にどうしようもないから勘弁してもらいたい、注意されたら口答えせずに退去しなければならないだろうけど……


 夜空にとぐろを巻くささやかな雲の間から、微かに星らしきものが見えていた。

 この雨はやはり、未だ天気雨であるらしかった。

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