翼が欲しいか? 1
『信号をキャッチしました。『WING』起動準備OK』
俺は、翼を折られた。
遠い昔――と言っても、5年前の話だ。高い場所から下の世界を見下ろすと、相変わらず手が震える。その震えの原因は――やはり、『翼』が原因なのだ。
目指すべき『C』からはやや遠く、俺は『E―6』エリアを目指していた。一日目が経過した時点で、侵入禁止エリアは8つ存在し、俺たちブラックチームから見て南西、『E―1』、『E―2』、『D―1』『D―6』、そして北東の『A―6』、『A―5』『B―1』『B―6』。これらのエリアには、PADという情報端末上のみに表示された封鎖領域となっている。それらのエリアに侵入すると、PADにそのエリアに侵入したことを発信するシステムが組み込まれている。
『E―6』の方へと向かうのには、理由があった。
『6』方面は、設置地点『C』があり、そこに発煙筒を投げ、十分間耐えることができれば俺らの勝ち。あるいは――ブラックチームを全員倒すか、だ。
「倒す、じゃねえ――。殺す、だ」
俺は生唾を呑んだ。そして、背中に背負った狙撃銃を手に取って、ゆっくりと細長い銃身をなぞってゆく――。
「翼、か――」
ひとり呟く。『E―6』に進むにつれ、木々の合間から、何かが少しずつ姿を現していった……。その正体とは、白い灯台である。
「俺にもう一度、翼をくれるのか、お前」
俺の左腕には、鉤爪が装着されている。自身の筋肉の伸縮に影響し、10センチほどの金色の爪は、開いたり閉じたりする。が、これは人を殺めるものではなく、単純に『滑り止め』のような役割だと理解している。
昨日、ストーカー女と貧弱そうな女の会話は聞こえていた。俺たちに共通する、『何か――』。
人生の敗北者。クズとして育ってきた、人間の集い。金がなくては救いようのない、生まれるべき星を間違えた――そんな『奴ら』の集まりだと。
「……あるいは、」
なるべくして、なったのではなく。そうなるしか、なかった。
あのストーカー女がそんなニュアンスを込めた『共通点』だとすれば、間違いなく俺の場合は、「この右腕……か」そう、右腕。俺は自分の視線をPADの付いた右手の甲に向けた。
グローブを捲ると、まるで猛獣にでも引っかかれたかのような、深い傷痕があった。
それは肘にまで繋がっている……。何針も縫った、あの事故――今思い出してもゾッとする。
「もう五年、か」
ため息交じりに灯台の上を見上げた。スナイパーなら、あそこに上って監視するのもアリだと思った。しかし、
「……あ? 入れん」
誰も入れないように二メートルほどの柵で囲み、それを越えたとしても、扉には南京錠が掛かっていた。
そこで、俺は反対に、左腕に装着された爪を見つめた。
「手頃な殺し合いで、手ごろなスーパーヒーローになろうってか」
親指に、赤いスイッチが当たっており、おそらくこれを押すことで、この鉤爪が射出。フェンスななどに引っかかることによって、『自由な位置』へと移動することができるのだ。
「……っと」
俺は、灯台の展望部分を見上げ、どこかに引っかかりそうな場所はないかと、目を細めた。
そもそも、この場所は一体何が目的で造られたのか――。大体の灯台は、航行する船舶のための目印となる施設だ。夜間は明かりを照らし、近場に港があるということを教えてくれる。
「『WING』、起動!」
赤いボタンを押すと、グラップルは勢いよく射出された。ワイヤーのこすれる「イイイン!」という音がした。――着弾地点に素早く鉤が到達し、展望台の手すりに引っかかる。
ぐ、と直感的に指の筋肉を収縮させ、ボタンから親指を外すと、ワイヤーは、リールが巻かれた釣り竿に獲物が食らいついたかのように、ピンと張った。
左腕で、ぐっと引っ張ってみるが、外れる気配はない。
姿勢を低くし、一歩、また一歩と歩を進める。右腕でワイヤーを手にして、壁を走る忍者のように、足を柵に掛けた。
「お、おお……」
ボタンを長く押す。少しずつワイヤーは巻かれ、俺の身体をクンと引っ張った。ダブルタップすると、「いでっ!!!」凄まじい力が掛かって、いっきに腕が引っ張られる。左腕が抜けそうになるのを堪え、反対の手で左手首を抑えた。
「……う、わ。高いなぁおい」
バランスを崩さないように。一歩。また一歩と、柵を越え、そして灯台の壁を登って行った……。
♠ 二日目、午後十三時 D―5 露下友則
「ねえ。みんなはどのくらい気づいてる?」
背負った盾は重く、森林地帯を進んでいる僕が後ろの二人に振り返れば、バランスが崩れて転んでしまいそうだ。
「な、なによ……突然」
この島に降り立ってから、ずっと雰囲気の悪い少女、扶桑日和。
「いろんな事象にだよ。例えば、この島の正体とかね」――と。僕は付け加えた。
「この島って本当に実在し、かつては文明を築き上げたことのある場所だったのかなって」
今のところ、人々が生活していた証拠がない。しかし――
THERMAL:『ちょい待ち。確かに人が住んでいた形跡はあるで』
PADのマイク越しに、関西弁の男の声が聞こえた。
THERMAL:『Aのエリアは民家や。そこには、ぎょうさん人々が生活していたんやろう、そんな爪痕が残されとるわ。図書館や食堂。それに、役所のようなもんもな』
大きなバックパックを背負った来夢は、
「……オレたちも、ここに来る途中で犬に会いました。しかも――」
首輪が繋がってる状態、である。犬をペットとして飼っていたのか――。それにしては、あまりにもこの島は静かで、人の気配が我々以外に感じられない。
「犬、か……」
日和は、声のトーンを落としてつぶやいた。
「まるで、僕たちのためだけに作られた……戦場のようにも見える例えば、この島に流れる川だってそうだ」
上流から流れる川があり、人間に必要な水がある。滝があり、それが下流へと流され、海に放出される。小さな島であれば、海水の名残があってもおかしくはないのだが、水は水道水に近く、濾過せずとも飲める。
「やっぱり、おかしいよ。本当にここは、海の上に浮かんだ島なの?」
と、うわさをすれば、上流が見えて来た。ここを辿っていけば、滝も近いだろう……。しばらく歩を進め、小さな石橋の上を、僕たち三人は渡った。
「ずいぶんと流れの速い川だね。流されたらあっという間に南のキャンプにワープできそうだ」
冗談。
「僕たちがキャンプを出てから四時間しか経っていない。適度に休憩を取って、一瞬たりとも走っていないのに、『B』地点は目と鼻の先にある」
そう……。かつて文明の栄えていた島にしては、あまりにも小さすぎる。おそらく、最北端から最南端まで行くのに、歩いても六時間は掛からない。
「僕たちは、僕たちのために作られた無人島に、放り出された。そう考えるのは間違いではない」
ホワイトチーム一行は、PADのマップに表示された、もう一人の赤い点に近づきつつあった。
……緑ヶ丘影像。インターネット上を騒がせた『教祖様』に近づいている。彼は、C地点よりも少し北西の位置で、じっと待機して動かなかった。
「もう一つ――僕たちの共通認識として。僕たちは本物の銃を使用し、銃弾は人を殺すためのものが込められている。それはOK?」
頷くのを確認することはできないが、返事がないということは、おそらく理解しているであろう。
THERMAL:『解っとるで』
と、代わりに相賀が返事を寄越した。
THERMAL:『時間経過まであと二日――設置地点を死守するか、あるいは全員を殺すんや。でなきゃワイらに勝ちはないで』
「オーケイ」
では、と。僕は話を続けた。
「昨日の深夜、教祖様は発砲した。それは間違いない――。これで、相手のブラックチームが何人死んだとか……。そういうことを、これから確かめに行こう」
「……。死んだ、なんて――そんなの信じない」
それは、日和の言葉であった。彼女の持つ自動小銃の銃口は、ずっと真下を向いている。
「俊介は殺させない」
「……まあ、短い発砲だったし、死に至っていないことを祈ろうよ」
僕たちには、影像がなにを考えているのか解らない。しかし、一つだけ彼と僕たちの共通点を上げるとすれば、やはり彼もまた、『人生が終わっている』のだ。