0話 ー ー
パタンと本を閉じる。
手の中にあるこの本は、大切な人から貰った古びた絵本。
何十、何百、もしかしたら何千回と読み返したかもしれないこの一冊は、今やオレの宝物となっていた。
目を瞑れば、1つ、また1つと、瞼の裏側にこの絵本の世界が広がる。
キャラクター、背景、そして匂いさえも。
ただの紙切れからこれ程までに想像力を働かせてくれる。
全く、物語とはなんと素晴らしいものだろう。
絵本であれ、漫画であれ、ラノベであれ、小説であれ…… 紙芝居であれ。
これ程までに人の『想い』が伝わるモノはないだろう。
もう一度最初のページを開くと、何度も読み返しているにも関わらず、新しい物語の中に入っていくような感覚に襲われる。
そして今日も、物語の中へと、意識が奪われていくのだ………
※
目の前にはいつもの景色。
オレは夢の中にいる事を確信する。
何十、何百と見てきた夢。
それは、いつも真っ暗な夜の森の中からスタートするのだ。
歩く、歩く、歩き続ける。
すると一際月明かりが良く見える場所が目の前に現れる。
走る、走る、走る。
やがて深い森を抜けていく。
目の前にある煌めく月の真下には、星のように輝く湖。
その畔には、いつもの様に誰かが立っている。
糸のように細く長い金色の髪を靡かせながら、湖を祈るように見ている少女。
そいつに向かって、いつもの様に問いかける。
「ここで何をしているんだ?」
少女は振り返る。
だけど。
ノイズが走る。
まるで壊れたテレビ画面の様な白と黒の稲妻が少女の顔を覆い隠す。
次いで周りの景色も歪み、闇へと消えていってしまう。
最後に少女だったそれが闇に溶け込む時。
「……か…ち………ね……」
いつもそうだ。
この言葉が聞き取れない。
教えてくれ。
キミは何を言おうとしている?
キミは何故ここにいる?
キミはどうしてオレの夢の中にいる?
キミは……………
……………………誰だ……………………
今日もまた
答えを聞けぬまま
オレの意識は現実へと誘われていく。
それは、偽り続けた信念。
それは、貫き続けた意地。
それは、温め続けた愛情。
それは、戒め続けた願望。
それは、憧れ続けた夢想。
始まりは、ただ純粋に…… どこまでも真っ直ぐな一つの魔法と後悔。
物語は人知れず動き出す。
それに気づいた者は、まだ誰もいない………
※
ゆっくりと目を開けるといつもの天井がそこに広がっていた。
胸元にはオレ一番のお気に入りの本。
どうやら読書の途中で寝てしまっていた様だ。
しかし……
「また聞けなかったなぁ」
夢の中での出来事はよく覚えてる。
今日の夢だけではない。
今まで見た夢のことを全て記憶している。
いや、記憶している…… と言うよりも、目覚めた時に昨晩見た夢の内容を日記に書き留めているのだ。
『本日も例の夢。進展なし』
当然さっき見た夢の内容も忘れずに新しいページに記す。
最も、今回見たのはしょっちゅう見る夢、しかも毎度毎度同じタイミングで終わりを迎える為、あまり書くことがなかったが。
シャーペンを置いてグッと伸びをする。
カーテンの隙間からは4月の朝の日差しが差し込み、オレの眠気を妨害していた。
カーテンを八つ当たり気味に強く開けると、―朝日と森の緑が寝起きの目に飛び込んでくる。
これが、桜庭 遥希の毎朝の日課だ。
今日も、いつもと変わらない平凡な日常が幕を開けた。