第18話 召喚できないなんて“普通”じゃない
「やったか……」
エトヴィンは後ろの子供を守りながら、そっと盾から顔を出した。
巨大な炎にマリルーは圧倒され、ロザリムも「はうぅ……」と唇を震わせている。
ぼくはじっと炎の中心を見つめた。
一瞬、影が揺れる。
思わず身構えたが、現れたのは木の柱だった。
「消えた!?」
マリルーは素っ頓狂な声を上げた。
困惑する『鯨の髭』の魔法使いに対し、エトヴィンは冷静だ。
「いや、たぶん魔法だ。エイスの魔法が当たる瞬間、近くのものと入れ替わったのだろう」
「はうぅ……。でも、ダメージは負ってると思いますぅ」
ロザリムは地面に落ちていた塵を拾い上げる。
黒糸で編まれた布の一部。
間違いなく、バナシェラ王国の魔導士のものだ。
さらに足を引きずったような後があった。
森の中へと続いている。
「どうする?」
マリルーが顔を上げた。
ぼくは即答する。
「追いましょう」
「そうだな。放っておくと何をしでかすかわからないしな」
「ロザリムはここに残って。村の人の手当をお願い」
「は、はうぅ……。わかりました。みんな、お気を付けて。エイスも……」
「うん。ありがとう、ロザリム」
「はうぅ……」
ロザリムの顔は真っ赤になっていた。
ぼくたちはすぐ魔導士の後を追う。
追いつくのは簡単だった。
まだ魔導士は森からも出ていなかったからだ。
ぼくたちの前に現れた彼は、足を引きずり、木に寄りかかるように移動していた。
黒糸のローブは剥がれ、皮膚は焼けただれている。
エルフのトレードマークである耳は、完全に炭化し朽ちていた。
それでも瞳に宿った生気は、少しも衰えていない。
ぼくたちが追いつくと、荒い息を吐き、気味の悪い笑みを浮かべた。
マリルーが1歩近付く。
「そこまでよ、バナシェラの魔導士」
「無駄な抵抗は寄せ。投降するなら、殺しはしない。お前には色々と聞きたいことがあるからな」
エトヴィンは前面に出ると、盾を構えた。
いくら大怪我を負っているとはいえ、魔導士はマリルーたちよりも遙かにランクが高い。
2人は決して油断せず、距離を取った。
「ふふ、ははは……。冒険者風情が……。投降しろだと? 偉そうに……!」
「そんな身体でよく強がれるわね」
「言えるさ! 何故なら、私の方がお前らより優位だからな!!」
魔導士はバンと地面を叩いた。
地面が光る。
導火線に火を付けるように光が走ると、複雑な幾何学模様を描いた。
最後に綺麗な円が出来ると、さらに輝きが増す。
「こいつは!!」
「召喚陣だわ!!」
強烈な魔力の圧力が、森を吹き抜ける。
マリルーとエトヴィンはただ見ていることしか出来なかった。
「しゅるるるるるるる……」
気味の悪い声が聞こえる。
油を腐らせたような妙な異臭が立ちこめた。
そして、それは魔法陣からゆっくりと昇ってくる。
大きく長い首。
溶岩のように光る紅の瞳。
筋肉が脈動する羽根が開く様は、まるで巨大な城門を思わせた。
大きな顎門からヌラリと涎を垂らし、喉の奥から壊れた弦楽器のような吠声をまき散らす。
「そんな! あの鱗の色――ダークドラゴンだわ」
「くははははは!! どうだ!? お前たちは私を追いつめたと思っていたようだが、違うな。私がお前たちを誘い込んだんだよ」
「まさか、この短期間にこんなに複雑な召喚陣を――」
「いや、村に襲撃する前に仕込んで置いたのだろう。なかなか用意周到なヤツだ」
「お褒めの言葉ありがとう。冒険者諸君! じゃあ、死んでもらおう。やれ!! ダークドラゴン!!」
長い鎌首をもたげた。
精一杯口を開き、再び吠声を上げる。
すると、口内が赤く閃いた。
「2人とも俺の後ろに隠れろ!!」
エトヴィンが叫ぶ。
ぼくとマリルーの前に出て、盾を構えた。
瞬間、赤い光が視界を覆い尽くす。
炎というよりは、光を束ねたような熱線が、エトヴィンの盾に集中した。
赤光の目を焼く。生きてる。
盾騎士エトヴィンは、見事ドラゴンの熱線を抑えていた。
圧力が半端ないらしい。
徐々に小熊族の青年は押し込まれる。
「エトヴィン、頑張って!!」
マリルーが後ろから押さえる。
歯を食いしばり、『鯨の髭』の盾騎士はこらえた。
バン――!
エトヴィンと一緒にマリルーも、ぼくの後方に吹き飛ばされた。
同様に炎息も弾かれる。
明後日の方向へと光が走り、空の雲を貫いた。
「ほう……。ダークドラゴンの炎息を弾くのか。だが、もう今度はどうかな?」
魔導士は指示を出す。
再び口内が光った。
ぼくは呆然と立ちすくんでいる。
「どうだ? 恐ろしいか、冒険者!! 今なら命乞いぐらいなら聞いてやるぞ」
「いえ。特に恐ろしくはないですよ」
「強がるな、小僧。お前はもうすぐ死ぬのだ!」
「別に強がってなんかないですよ。……むしろ可愛いと思います」
「か、かわいい……」
「大きなトカゲですね。……あなたが飼ってるンですか?」
「飼ってる? お前、一体何をいっているんだ?」
「何って?」
ご自分のペットを自慢してるんじゃないんですか?
「ちがうわぁあああああああ!!」
魔導士は思いっきり叫んだ。
ええ!? 違うの?
いや、確かにおかしいとは思っていたんだ。
魔導士は手負い、さらにぼくたちに追いかけられて絶対絶命。
なのに、いきなり召喚陣からトカゲを出してきた。
なんで今さら、自分のペットを自慢してきたのか理解不能だった。
じゃあ、このトカゲを見せて、ぼくに何をしたいんだろう。
まさかこのペットで、ぼくを倒そうなんて思っていないよね。
「ふざけるな! このダークドラゴンがペットというなら! 一体、お前がいう召喚獣とはどんなものなのだ!!?」
激昂する。
召喚獣? ぼくのペットを見たいのかな?
なんかよくわからない展開になってきたけど。
まあ、いいや。
そんなに見たいなら、見せてあげようか。
ぼくは手を掲げた。
光が空から振ってくる。
現れたのは、巨大な召喚陣だった。
「な、なんだ?」
魔導士は1歩、また1歩と後ろに下がる。
瞼を広げ、小さくなった虹彩を空へと向けていた。
「大きい……」
マリルーが呟くのを聞く。
横にいたエトヴィンも口を開いたまま固まっていた。
「現れよ、外界の支配者よ」
クトゥン……。
暗雲がたれ込める。
雷鳴が鳴り響き、突風が吹き荒れた。
雲が荒天の海のようにうねる。
瘤のような分厚い雲が波立つと、それは現れた。
巨大な足――。
それは人のものじゃない。
例えるなら、烏賊や蛸に該当するものだ。
クレーターみたいな吸盤がついた触手が、円を描きながらゆっくりと大地に降りてくる。
青ざめた肌。
黄金色に光る丸い瞳。
口らしき穴には、無数の牙が閃いていた。
その背中には、柳のように開いた羽根が生えている。
もはや、その生物に形容する言葉はない。
あえていうなら、異形だろう。
「な、なんなんだよ! あの化け物は!!」
「化け物とは失礼だな。あれはぼくが飼ってる神話の生物だよ」
「神話……。まさかお前、神獣の召喚が出来るのか?」
「え? まさか出来ないんですか!?」
「で、出来るかぁぁぁあ! そんな高度な……いや、伝説級の魔法なんて」
え? ちょっと待って。
まさか神獣の召喚も、“普通”に出来ないっていうの。
魔導士なのに?
バナシェラの魔導士って、レベルが低いのかな?
ぼくは思い切って尋ねてみた。
「もしかして、あなたは弱いんですか?」
「う、うるさい! やれ! ダークドラゴン!! 神獣を茹で蛸にしてしまえ!」
すると、大きな黒トカゲは顔を上げる。
大きく息を吸い込むと、熱線を吐き出した。
クトゥンの触手があっさりと弾く。
熱線は近くにあった山の頂上を抉り飛ばした。
「な!! ダークドラゴンの熱線が! あっさりと……」
魔導士は膝を突く。
殺意も、そして戦意もどんどん失っていった。
クトゥンは多少怒ったらしい。
そりゃあ神とはいえ、獣だからね。
攻撃されたら、怒るさ。
触手を伸ばす。
大きなトカゲに、そっと優しく巻き付いていった。
トカゲはジタバタともがくけど、無駄な抵抗だ。
羽虫が人間に勝てないのと同じ。
それほど、クトゥンとトカゲには差があった。
咀嚼音も立てず、トカゲを飲み込んでいく。
あーあ。食べちゃった。
最近、餌をやっていなかったからかなあ。
やがて、クトゥンは空へと帰っていく。
完全にいなくなると、雲は晴れ、青々とした空が戻ってきた。
「すいません。ぼくのクトゥンがあなたのトカゲを食っちゃったみたいです」
怒られるかなあ、と思ったけど、魔導士はぼくにすがりついてきた。
涙と唾を迸らせながら、願いを叫ぶ。
「お願いだ! なんでもする!! だから、命だけは……。特に、あいつの餌にだけはしないでくれ」
「え? いや、そんなことはしませんけど。じゃあ、大人しく捕まってくれますか?」
「捕まる! なんだったら、バナシェラ王国の内情だって話す! だから、命だけは助けてくれ!!」
最後は土下座する。
涙を地面に垂らしながら、魔導士は助けてくれと、哀願するのだった。
こんなに怖がって……。
もしかして、蛸とか苦手な人だったのだろうか。
ペットがクトゥルフってwww