第13話 これが魔獣なんて“普通”じゃない
ちょっと長めです。
「今日の仕事は手紙を届けることだ」
リナリルさんはカウンターに手紙を置いた。
真っ白な封筒は、赤い蝋で封をされている。
少し匂いがする。
いい香りだけど、リナリルさんのものじゃない。
古い本の香りがする。
そんな朝だった。
カウンター向こうの麗しい受付嬢は、いつも通り物憂げな顔をしながら、ぼくに説明してくれた。
「見てわかったと思うが、あるやんごとなき方の手紙だ。機密保持が重要だから、個人依頼が来た」
「何故、ぼくに?」
「先日、紹介したリーンド卿の紹介だ。……君は相当気に入られたらしい」
「ありがとうございます」
「礼ならリーンド卿にいいたまえ」
今度、お礼を言いにいこう。
もちろん、マッサージもかねて。
次にまで、もっとすごいマッサージが出来るように、筋トレしないと。
「このクエストが終われば、晴れて君は手続き上では1人前の冒険者だ。頑張りたまえ」
「はい。頑張ります」
「場所はここから北にあるノクシェ伯爵領だ。すでにリーンド卿から話を通してもらっている。宛先の場所で『リーンド氏から頼まれた』といえば、先方も気づくはずだ。……念のため地図を書こうか?」
「あ。大丈夫です。自分で調べられますから」
ぼくは【地形走査】を展開する。
えっと……。ノクシェ伯爵領っと……。ああ……あったあった。
浮かんだ街の印を指で押す。
すると、ぼくの身体が薄く消え始めた。
「じゃあ、早速行ってきますね。リナリルさん」
「……ああ。あと、くれぐれも封筒の中身を見るなよ」
「はい!」
ぼくの身体は遠く伯爵領へと転送された。
「転送魔法か……。まったく、相変わらずデタラメなヤツだな」
リナリルさんは髪を掻き上げる。
一瞬見せたキュートな姿を、ぼくが目撃することはなかった。
◆◇◆◇◆
ぼくの転送魔法は成功した。
ノクシェ伯爵領はレジアス王国の北を守る騎士家系の家だ。
頑丈な城壁に囲まれた城塞都市で、規模こそ王都より小さいがたくさんの人が住んでいた。
北の領だけあって、ちょっと肌寒い。
ぼくはすぐに魔法で身体を温めた。
封筒の宛先は、ノクシェ伯爵の屋敷になっている。
おそらく屋敷にいる誰かなんだろう。
早速、屋敷に行き、礼の合い言葉をいった。
「リーンド氏に頼まれてきました」
すると、門兵の人はあっさりとぼくを通してくれた。
部屋で待っていると、綺麗なドレスを着た女の人がやってくる。
腰まで伸びたブロンドの髪に、真っ白な肌。
細身で、腰の辺りがくっとくびれている。
深い緑色の瞳は、パッチリとしていて、どこか喜びに溢れていた。
年はぼくよりも少し上ぐらいだろう。
どうやら伯爵家のご令嬢みたいだ。
「まあ……。冒険者が届けに来るとは聞いていたけど、随分と可愛い冒険者さんね」
「こ、こんにちは」
「そんなに緊張なさらないで。早速、見せていただけるかしら?」
ぼくは封筒を渡した。
ご令嬢はまず封を開けず、鼻を封筒に近づけると大きく息を吸う。
「あの人の匂いだわ」
ぎゅっと封筒を抱きしめた。
差出人を抱きしめているみたいに、幸せそうだった。
ペーパーナイフで丁寧に封筒を切る。
中には2枚の便せんが入っていた。
徐々にご令嬢の顔は明るくなっていく。
すべてを読み終えると、パッと紙吹雪をばらまくみたいに便せんを天井へと放り投げた。
「やったぁぁぁぁあああ!!」
ご令嬢は大きな声を上げる。
近くにいたぼくに駆け寄ると、思いっきり抱きしめた。
見た目と違って、かなり力が強い。
ご令嬢は、はたと自分のしでかした事に気づいた。
慌てて、ぼくから離れる。
気遣いながらも、頬を染めた。
「ご、ごめんなさい……。私、はしたないことを……。貴族の令嬢失格ね。騎士家系だからかしら。どうも感情が抑えられなくて。痛くなかった?」
「大丈夫です。隣に住むお姉さんの方が強かったですから」
「そんなに?」
「はい。ドラゴンを鯖折りで倒してましたから、その人」
「まあ……。ふふふ……。面白い冗談をいう人ね」
本当のことなんだけどな。
なんでみんな、ぼくが村の事を話すと冗談っていうんだろ。
全部事実なのに……。
はっ……。
そうか。この辺りの人にとって、ドラゴンを鯖折りで倒すのなんて当たり前すぎるのかもしれない。
きっと、このご令嬢も「ドラゴンを鯖折りしないと倒せないの? あんなの指1本で倒せるじゃない。冗談にもほどがあるわ」といっているのだろう。
すごい。ドラゴンを指1本でなんて。
「でも、あなた冒険者なんだったら、もっと鍛えた方がいいと思うわ。そんな痩せた身体じゃ。スライムだって倒せないわよ。ふふふ……」
その通り……。ぼくはスライムも倒せない未熟者だ。
もっと頑張らないと……。
「私のフィアンセはとっても強いのよ」
「フィアンセ? 結婚するんですか?」
「ええ……。この手紙はね。その返事なのよ」
「おめでとうございます!」
「ありがとう。でも、心配……。お父様から反対されてて。けれど、彼は約束してくれたわ。絶対お父さんを説得するって」
愛おしそうにご令嬢は、また手紙を抱きしめた。
とっても幸せそうだ。
いいなあ。ぼくもいつかリナリルさんと……。
いやいや、何を考えているんだ。
集中しろ。
王都に帰るまでがクエストだ。
がたっ……。
物音がして、ぼくとご令嬢さんは入口のドアを見た。
外が騒がしい。
人がドタドタと慌てて走る音が聞こえる。
すると、扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、ご令嬢と一緒の髪の色をした壮年の男の人だ。
立派な口ひげをし、鋭い眼光を放っていた。
いまから戦場にでも行くのだろうか。
鉄の塊――じゃなかった――甲冑を着ている。
「ジェシカ! ここにいたのか。うん? 客人か?」
「リーンド様の使者ですわ。お茶会の知らせを持ってきてくれたのよ、お父様」
「本当か? 変な虫と密通でもしているのではないか?」
ギロリと睨み、厳しい表情を浮かべる。
ジェシカさんは慌てて取り繕った。
「まさか……。それよりもお父様、その格好は?」
「そうだ。逃げろ、ジェシカ」
「逃げる?」
「魔獣の群れが、この伯爵領に迫っている。見たこともない数だ」
「魔獣の群れ……。しかし、ここには多くの勇敢な騎士がいるではないですか」
「それでも無理だ! すでに領民は避難を始めている。お前も逃げるんだ」
「お父様はどうするのですか?」
「家臣たちと一緒に魔獣を駆逐する。……心配するな。私は死なぬよ」
「そんなお父様……」
ジェシカさんはお父さんをひしと抱きしめた。
さめざめと涙を流す。
娘の涙を見て、お父さんももらい泣きを始めた。
「お父様……。今までお父様に隠してきたことをお話しします。実は――」
「良い。……魔獣を追い払ったら、ゆっくり聞くとしよう」
「しかし――!」
反論しようとするジェシカさんの肩にそっと手を置く。
ずっと硬かったお父さんの表情が、急に柔らかくなった。
娘を真っ直ぐ見て、微笑む。
「もし、私に何か会った時は、お前の好きなようにしなさい。私はお前を信じているから」
「お父様……」
ジェシカさんはお父さんともう1度抱き合った。
その匂いを頭の裏にまで刻むように大きく吸い込む。
やがて迎えに来た従者たちによって、ジェシカさんは屋敷の外へと連れ出された。
「冒険者……。お前はどうする?」
「ぼくも戦います!」
「逃げてもかまわんのだぞ」
「いえ。微力ながらお手伝いします」
ぼくはまだ半人前だけど冒険者だ。
魔獣を倒すことが使命みたいな職業なのに、その現場から逃げることは出来ない。
それにジェシカさんとお父さんを、もう1度会わせてあげたい。
親子の別れに、ちょっと涙に滲んでいた瞳を、ぼくは拭った
◆◇◆◇◆
ノクシェ伯爵領を守る騎士達は、城壁に登る。
矢を番え、大砲を用意し、魔法士たちは呪文を唱えた。
準備万端だ。
ぼくもノクシェ伯爵とともに壁を登る。
空気が張り詰めていた。
みな、真剣に北を見つめている。
少し肌寒いくらいなのに、その額には汗が浮かんでいた。
「見えたぞ……。魔獣が来た」
ノクシェ伯爵は口を結ぶ。
心の中に浮かんだ恐怖を押し込んでいるかのようだ。
西日を受けながら、北の空に黒い点が浮かぶ。
1つだけじゃない。
2つ、3つと増えていく。
次第に、それは空を埋め尽くしていった。
羽根を動かし、城塞に向かって真っ直ぐ飛んでくる。
「ぎゃあああああああ!!」
まだ距離があるというのに、獣の声が聞こえてきた。
その声を聞いて、騎士さんたちは「おお……」とどよめく。
ノクシェ伯爵は「落ち着け」といって、家臣たちの動揺を押さえ込んだ。
ぼくは【千里眼】で、遠くの方を観察する。
空に飛んでいたのは、いつかの空飛ぶトカゲだった。
あれれ? どこにも魔獣がいないぞ。
右を見ても、左を見てもいない。
もちろん、正面にもだ。
【千里眼】の倍率を上げ、地平の彼方まで観察したけど、魔獣はいない。
苦虫をかみつぶしたような領主の横顔を見ながら、ぼくは尋ねた。
「あのぅ……。魔獣ってどこにいるんですか?」
「ん? 見えんのか? ほら、北の空に無数に飛んでいるではないか?」
ノクシェ伯爵は指を差す。
けれど、何度探してもどこにもいない。
見えるのは、あの大きな蝙蝠だけだ。
「すいません。ぼくには……」
「そなた、目が悪いのか? ほら! あれだ! わからんか?」
「いえ。全然!」
「よく見ろ! ふざけておるのか?」
「いいえ。割と真剣にいってるんですけど……」
「ぎゃああああああ!!」
またトカゲたちが嘶く。
ああ。もううるさいなあ。
あと、そんなにいたら魔獣が見えないじゃないか。
ぼくは手を掲げた。
【閃神爆光刃】!!
一条の光が、空を切り裂く。
空気を焼きながら一直線に進むと、1匹の蝙蝠が貫いた。
ぼくはそのまま手を振る。
横にスライドさせると、次々と切り裂いていった。
炎を上げ、蝙蝠たちは落下していく。
気がつけば、無数にあった黒点は消滅していた。
ふー。すっきりした。
これで魔獣を探せるぞ。
ぼくは【千里眼】を起動する。
あれ? やっぱりどこにもいないんだけど……。
「あの……」
ぼくはもう1度教えてもらおうと、ノクシェ伯爵に向き直る。
すると領主様は、がくんと顎を開けて固まっていた。
「ど、どうしたんですか?」
「……ど、どうしたって、君ね。一体何を?」
「いえ? 何も……。ただ魔獣がよく見えなかったから、あの空飛ぶトカゲを殲滅しただけですけど」
「違う! トカゲではない! あれが魔獣なのだ!!」
「いやいや……。あんなの魔獣じゃないですよ。ぼくの村ではもっと大きなものを――」
「君はどこの出身だ?」
「英雄村ですけど……」
「聞いたこともないな。相当な田舎なのか? いや、それはともかく、あれは立派な魔獣だ! 君はたった今、ここにいる精鋭揃いの騎士達が、束になって戦っても勝てなかった魔獣を、一瞬にして消し飛ばしたのだ!」
「え? じゃ、じゃあ……。あれがこの辺りでは“普通”サイズってことですか?」
「そうだ。あれが“普通”なんだ。そして、君がやった行いは、“普通”じゃないんだ」
ガーン!
うそ! あれが魔獣なの?
この辺りの?
あんなにちっこいの魔獣なの?
ぼくの村の周りでは、山みたいに大きいのに!?
一体どうやったら、あんなに小さくなれるんだよ。
じゃ、じゃあ、もしかしたら、大きな黒いトカゲも、大きな猫も魔獣だったってことなのかな?
信じられない。
この辺りの魔獣って、こんなに弱いのか?
それが普通なの?
呆然とするぼくの手を、ノクシェ伯爵は握った。
「ありがとう、英雄よ」
「え、英雄!?」
「当たり前だ。このノクシェ領を救ってくれた君は、領民すべての恩人だ!」
「お父様!!」
大きな声が聞こえる。
旅装をしたジェシカさんが、城壁の下で立っていた。
どうやら逃げなかったらしい。
お父さんのことが心配だったのだろう。
城壁を登ってくる。ひしと伯爵と抱き合った。
感動の対面だ。ぼくは思わずうるっと来てしまった。
「ご無事でよかった」
「彼のおかげだ。ジェシカ、彼はとても強い冒険者だぞ」
「見ていましたわ」
ジェシカさんはぼくの手を取る。
ぎゅっと力強く握ると、ぼくに顔を近づけた。
濃い緑色の瞳をキラキラさせる。
「父を助けてくれてありがとう。お名前を伺ってもいいかしら」
「え、エイス・フィガロです」
「エイス……エイス様ね」
「さ、“様”?」
「エイス様。私と結婚して下さい」
は?
はああああああああああああ!!!!
ちょちょちょちょちょっと待って!
いきなり何をいいだすの、この人。
確かジェシカさんって婚約者がいるんだよね。
ぼく、その人の手紙を届けにきたはずだけど。
「わたくし、強い殿方が大好きですの! どうか。わたくしの思いに応えていただけませんか?」
「ちょっと待ってください! ぼくはただ村人で、冒険者で」
「身分なんて関係ありませんわ」
「そもそも伯爵が許して――」
「いいだろう。認めよう」
あっさり認めちゃったよ!
うんうんって、滅茶苦茶深く頷いてるよ、伯爵。
「さあ、返事を! わたくし、結構気が短いほうですの」
え?
いや、ダメだ!
ぼ、ぼくにはリナリルさんという……。
というか、絶対こんなの“普通”じゃないよぉぉぉ!!
果たしてリナリルとの三角関係の行方は?(いや、そんな話じゃないので……)