89.王女とおっさん―5
ヴラディオは何も答えず、ただ右腕を前へと突き出した。
すると、それを合図にするように、サリエラがレースを翻しながらバルコニーから飛び降りる。
空中に現れた氷塊を足場にし、階段を下りるような軽やかさで、サリエラは地上に降り立った。
「……どういうつもりだ」
グルゥの口から、怒りと熱が込められた言葉が漏れる。
「貴様のような常識外れの獣を相手にするのだ。最強の兵を使うのは、王として当然のことだろう?」
「ほざけッ!! 娘に戦わせ、自らは高みの見物など……到底許されることではないッ!!」
「それは貴様等のような凡夫の感覚よ。我には王としての大儀がある。それに――」
ヴラディオの口の片端が、歪に歪む。
「こうするのが、最も堪えるだろう? 外では、だいぶ貴様に懐いていたようだからなァ」
ギリギリと、歯の根を噛み締めるグルゥ。
出来ることなら今すぐにでもヴラディオを殴り飛ばしたいが、今のサリエラの前では、その隙は生まれないだろう。
「私が……殺します……お父様……」
虚ろな目のサリエラは、グルゥのことなどとうに忘れてしまったように、感情のない声で呟いた。
その言葉に、グルゥは少なからずショックを受ける。
「サリエラ……なんで、こんなことに……!」
「私の名は、サリーメイア……貴方に、馴れ馴れしく呼ばれる筋合いは……ない……ッ!」
右手から生み出した氷剣を片手に、サリエラは氷上を走る。
華麗ですらあるその一挙手一投足を眺めながら、グルゥは望まぬ戦闘体勢を取った。




