寒い夜に
日が沈み、冷たい満月が窓から覗く病室の中。眩しいほどの月明かりが安眠を妨げる。うつらうつらと眠りに落ちては目が覚め、また浅い眠りにつく。室温は決して低いわけでもなく、やわらかで分厚い羽毛布団にくるまっているにも関わらず、感覚的には肌寒い。そんな寝るには不向きな空間で、ボクは仰向けに寝転んでいた。
何回か寝て覚めてを繰り返した時、手にそれまで無かったものを感じた。大きくて、手をそっと包み込むような温かさと安心感。目を瞑ったまま、指1つ動かさぬまま、その感覚に身を委ねる。敵ならば、こんな事をする前に殺されるだろう。ここに入れるのは組の人間だけだ。組が攻め込まれ、ここまで敵が侵入しているとは考えなかった。そうではない確信があった。何故なら、敵が来たにしては恐ろしく静かだからだ。病室に響くのは、自分の呼吸音と、そばにいる誰かの呼吸音。それと、自らの心臓の鼓動が静かに聞こえるだけだった。
誰かがそばにいて、手を握ってくれる。それだけで、こんなに心強いなんて知らなかった。ふと、葉の言葉が頭をよぎる。
「ずっとお前の手握ってたのアイツだから」
アイツとは、誠の事だ。なら今、手を握ってくれているのは誠なのかもしれない。ボスかもしれないけれど、ボスはボクの体調が悪い時は、ボクのベッドに腰掛けて、優しく頭を撫でてくれる。今触れている手は、ボクの手を両手で包み込んだまま、動こうとはしなかった。
「……誠」
寝言のようにボソリと呟くと、手を握る力が一瞬グッと強くなって、静かだった病室に、ガタリと物が落ちる音がした。そっと、瞼を開いて、ぼやけた焦点を誠にあわせる。もう一度、唇を小さく動かして繰り返した。
「誠」
慌てて手を離して逃げ去ろうとする誠の手を握る力を強めた。起きている時に会いに来てくれないんだから、今喋るしかないじゃないか。
「なんで逃げんの」
誠は黙りこくったまま目すら合わせてくれない。その弱気な態度に少し苛立って、上体を起こして布団をグシャリと音がしそうなほど強く握った。誠を真っ直ぐに見つめ、語気を強めてもう一度問うと、依然として目は合わせないが、小さな声で答えた。
「俺のせいで。俺のせいで香が傷ついたから」
「別にお前のせいじゃないし」
「俺は香を守りきれなかった」
「守られなくてもいいし」
「香に怖い事を経験させてしまった」
「全然平気だし」
「…………」
「何」
「なんで、俺の言うことにいちいち反論するんだ」
チラともう一度誠を見ると、いつの間にか軽く睨みつけるような目線でボクを見ていた。その表情に、ボクを見つめてくれる目に満足して、ニヤリと意地悪そうに笑んだボクの顔に気づいたのか、誠は虚をつかれたようにポカンとしていた。
「なんでって、お前が間違った事言ってるからだろ」
「間違った……?」
「あぁ、そうだよ。お前は間違ってる。ボクはお前のせいで怪我したんじゃないし、ボクはお前に守られなくてもいいし、怖いことも経験していない」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
緩んでいた表情筋を引き締め、真剣な表情で誠をじっと見る。投げ出していた足を引き寄せ、三角座りのような姿勢になり、布団を抱き枕代わりに捕まえる。誠が何も言わないので、目を顔ごと背け、吐き出すように呟いた。
「寒い」
「そんな格好をしているからだろ? ちゃんと布団を被らないから……」
「被ってても寒いから言ってんだよ」
「じゃあ室温を上げてくる」
「違うんだよ、バカ。本当は知ってんだろ?」
「やれやれ、仕方ない子猫ちゃんだ……」
布団を戻し、上体を静かに倒す。誠はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイに手をかけた。シャツのボタンを数個外すと、ベッドに潜り込む。今寝ているベッドは、幸いな事に広いから2人寝ても余裕があった。
「そのカッコのまま寝るの?」
「あぁ、着替えている時間がもったいないからな。お前を待たせたくない」
「あっそ」
右向きに寝返りをうって、誠の方をむく。開けたシャツの胸元から覗く鎖骨と、鍛え上げた胸筋のラインが月明かりに影を落としていた。その胸に頭を預け、目を瞑った。布団の中に温もりがある事は、それだけで眠気を誘う。力強く抱きしめてくれる腕も、間近で感じる穏やかな息遣いも、額から伝わる温かな鼓動も、初めて感じた感覚だ。眩しい月明かりを誠の大きくてたくましい身体で隠して、ゆっくり寝よう。
誠がそっと、「あまり男を煽らないでくれ」と小さく呟いた言葉は、眠くて眠くてとろけてしまいそうな香の意識には届かなかった。