叩かれたら痛い
「ボス、何ぼーっとしてるんですか?」
頭を叩かれゆっくりと左右を見る。執務室、とでも言われるべき場所の黒い革椅子に腰掛けた俺は、少し寝かけていたようだ。テレビで社長が座っていそうな机に肘をつき、手を組んで前を見上げると、少々不機嫌そうな面持ちの翔がこちらを睨んでいた。
「Mi dispiace , non devi preoccuparti.(ごめん、気にすんな)」
「Sono preoccupato , non stai bene.(気にしますよ、あなたは大丈夫じゃありません)」
あぁ、昔から変わらず、その口から流れるように紡ぎだされるイタリア語はとても綺麗だ。そうだ、翔は俺の唯一の兄弟なんだ。唯一の、と言うと翔しかいなかったように聞こえるかもしれないが、昔はあと2人、弟がいた。まぁ、もうこの世にはいない。当然のように死んでいった。1人は、頭を撃ち抜かれて、1人は、俺の代わりに爆弾で木っ端微塵。思い出すだけで吐きそうになる光景が、目の前をチラつく。ヤバい、もうそろそろ幻覚か?
「だーかーら、ぼーっとしないでくださいよ!」
荒々しく、先程よりも強く頭を叩かれ、頭をさすりながら視線をあげる。
「Cosa è successo? (どうした?)」
「どうした? じゃないんですよ、イタリア語で話されたら部下が混乱するんです」
そう言ってまた頭を叩かれる。少しは手加減をしろ、と声を上げたいが、翔の言っていることは正論だ。正しすぎて言い返す余地もない。でも何か言い返してやりたくて、頭を抱えていた時、唐突に扉が開いた。
「葉さん、扉はちゃんとノックしてくださいよ」
どうやら葉のようだ。翔に戒められ、後ろ手に扉を2回叩く。そんな葉の様子に溜息をつきながらもコーヒーを入れようとする翔を右手で止め、葉はぶっきらぼうに……少し、イラついたように呟いた。
「……クソボス、さっさと寝ろ」
「ちょっと葉さん? ここではこんなのでもボスなんです。少し敬意というものを……」
「翔も思ってんでしょ? このままだとヤバいって」
「そうですけど」
「だからさっさと寝ろ。これ以上寝ぼけてみむにおかしな事言うんじゃねぇ」
香に、おかしな事? なにも言ってないけど……あ、もしかして、嫉妬してる? 俺が、「俺の香」って言った事? そう考えると、思わず口元が緩む。あんな鉄仮面被った、不器用で毒舌、心にいつも壁作ってそうな葉が、香のためにわざわざ俺の所まで寝かせに来るなんて想像出来なかった。
「おい、なにニヤついてんだよ。別に香のためとかじゃないから」
「へぇ、珍しいな。葉が人の為にここまで行動するなんて」
「……違うから。別に、オレの為だし」
「へぇ〜、かっわいいの〜」
「チッ、酔っぱらいかよ」
今、多分俺は人をからかうように顔面に笑みを浮かべていると思う。だって、今の葉の顔は酔っぱらったおじさんにウザ絡みされたような、苦い顔をしているから。とにかく、さっさとそいつ寝かせてよ、と翔に言うと、早足で帰ってしまった。チラと横を向くと翔と目が合って、笑ったら、今度はグーで頭を殴られた。