完全な徹夜、略して完徹
ボスが行ってしまうと、葉が様子を見に来た。だいたい医療班をまとめるのは葉の仕事だし、何ら不自然はないんだけど……やっぱり、気まずい。あの時、朦朧とする意識の中でうっすらとあの出来事を見ていた。まるで映画でも観るように。聴覚も普通にあったから、あの言葉も聞いていた。
あの時は何もかもが客観的で、そういう事など微塵も感じなかったのに、今顔を見たらあの時の温もりを思い出して……
「……みむ、どうしたの」
「え!? いえ、別になんでもないです」
「敬語」
「あっ、ごめん」
「……元気?」
「うん、元気」
「じゃあ2日分の仕事」
「えっ」
目の前に大量の資料が置かれ、少し戸惑う。その資料の1番上には何か書き込まれていたため、次を確認しようと、おそるおそるめくってみる。……あれ、おかしい。何枚めくっても書いてある。しかもボクはこんなに字が綺麗じゃない。流れるような英語も書けない。……しかもこれ、ローマ字を使っているけれど、何語だ……?
「すごいでしょ」
「す……ごい、葉がやってくれたの?」
「いや。オレじゃない。……ボスが」
「え? そんな、ボスって忙しいんじゃ」
「あー、ボス寝てないからね」
そう平然と言ってのける葉に対し、こちらはすごくビックリしています。「さっき平気そうだった?」と言う葉にコクリと首を縦に振ると、葉は少し眉をしかめ、小さな声で呟いた。
「あの野郎、誠が演技力高いとかほざいていたくせに、自分の方が高いんじゃないの? さっきよろけて出てったくせに」
「え? え?」
「みむが潜入に行ってる時も1晩寝てないらしいし、それからみむが目を覚まさなかった2日間。ずっと起きてて、お前のそばにいたし。お前の分の仕事もしてたし。最終的にはお前に話しかけだすから気が狂ったかと思った」
「完徹3連……!?」
「さすがにボスでもキツかったみたいだけど。でも仕事は完璧、不備どころか誤字すらない」
「そんな、普段のボクよりすごい……」
「……そういやみむ、ボス変な事言わなかった?」
「え、どうして?」
「完徹3連したから、あの人 頭狂ってたまにイタリア語しゃべりだす」
「イタリア語……そう言えば。ヴォナノッテ、イルミオカオルって言ってたけど」
「……は?」
「え? なんかおかしな事言った?」
「いや、なんでもない。それ、おやすみ、香ってことだから」
元気そうだし、そろそろ行くと言ってドアへ歩き出すが、ふと振り返ると、
「そういやお前、誠はもっとヤバいことしてたから」
「え、ヤバい?」
「アイツ、1晩中素手で戦ってただろ? すごく疲れてるって言うのにボスがいない間ずっとお前の手握ってたのアイツだから。しかも完徹でな。今もそこら辺にいるんじゃない?」
そう言って葉は部屋の隅をチラリと見やると、そのままスタスタと歩いていってしまった。
香と別れ、人のいない廊下まで歩いていった葉は、ドン、と力任せに壁を殴った。
「なんなんだよ、あのクソ野郎。なにが『おやすみ、“俺の”香』だよ。香がわからないからって好き勝手いいやがって……」
言葉にすればするほど、何故か、訳のわからないほどイライラして、また壁を殴る。ヒリヒリと痛む拳を知らないフリして、苛立ちに身を任せた。何故こんなにイライラするのだろう。本当に訳が分からない。確かに、ボスからすれば“俺の香”というのは間違った表現ではない。それでも、ただただイラついた。
「とにかく、アイツを寝かせないと」
早く、寝かせないと。みむが起きたから多分寝ると思うけど、まだ、みむが万全じゃないから、みむの仕事もする気だろう。はぁ、ムカつく。それぐらいオレがやるし。顔面に1発ぶち込みたい気持ちもあるが、あれでもオレ達のボスだから、それは叶わない。だから、とにかく寝かせないと。これ以上何か変なことを言ったら、本気で殴りそうだ。
ついでに、誠とか言うクソ野郎も寝かせないと。あれがとち狂ったら、何語を喋るのか気になるが、今はそれどころじゃない。これ以上寝なかったら、身体壊すレベルでヤバい。確かに、自分を責めたい気持ちは、痛いほどわかるんだけど、さ。