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銀杖と騎士  作者: 三島 至
【第一章】一度目のアレイル
7/22

新しい侍女

「毎日しつこくフィリアンティスカ王女の元へ通っていたヴァレル・エンフィスが、婚約が決まってからは来なくなっていたのですけど……」


 勝手な推量でフィリアンティスカの事を語る銀髪の元侍女は、続けて自分が陥った状況についても訴えた。


「得体の知れない魔術師が、やっと王女を諦めたかと思ってほっとしていたら……どうやらフィリアンティスカ王女は、ヴァレル・エンフィスが言い寄ってこない事に機嫌を悪くされたようで……周りにあたるようになっていたのです。それで、侍女を入れ替えると仰って」


 俯いた拍子にさらりと揺れた長い髪を、見せ付けるように耳に掛けながら、元侍女が視線を送ってくる。

 要約すると、王女の機嫌が悪かったから、八つ当たりで自分は解雇されたのだ、という事らしい。

 アレイルにも分かった事がある。

 この元侍女は、フィリアンティスカの事が嫌いなのだ。

 どうにかして、アレイルにフィリアンティスカの悪印象を植え付けたいのだろう。


「ですからアレイル様、もしかしたらフィリアンティスカ王女は、ヴァレル・エンフィスにも気を移しているかもしれませんわ。こんな事申し上げて良いのか迷いましたけれど……アレイル様の事を思うと、黙っていられなくて」


 彼女の言葉は嘘に塗れている。

 この様子だと、恐らく彼女は自主的に辞めたのでは無く、何か失態をして辞めさせられたのでは無いだろうか。

 フィリアンティスカを貶してアレイルに媚を売る彼女に、王女の侍女は務まらない。

 アレイルの中で元侍女に対する印象が、“自信家の令嬢”から“姫様を悪く言う女”に更新される。

 騎士として、女性には紳士的に接したい所だが、彼女とは分かり合えそうに無いので、早々に突き放そうと決めた。


「魔術師はお嫌いですか?」


 アレイルは、さも同士を見つけたかのような声音を心がけて、彼女に問うた。「得体の知れない魔術師」という言葉を使うのだから、ナイトカリス国の大多数のように、彼女も魔術師撲滅派なのだろう。

 元侍女はしっかりと顔を上げ、簡単に話に乗ってきた。


「ええ、勿論ですわ。ヴァレル・エンフィスが何も無い空間から突然姿を現すのを見る度、恐ろしくって! 一方的に魔術でいいようにされるのでは無いかと、いつも怯えていました。……フィリアンティスカ王女は、魔術師贔屓みたいですけれど」


 アレイルも魔術師嫌いなのだと決め付けているらしい元侍女は、フィリアンティスカの評判を落す事も忘れない。


(一応、毎日ノックはしていたんだけどなー)


 扉が無い所から出るので、ノックの音を響かせてはいるのだが、無駄に怯えさせて魔術師の印象を悪くしてしまったのなら、失敗だったかと思う。しかしいつ見ても元侍女が怖がっているようには見えなかったので、多分これも、多少大げさに言っているのだろう。


「そうでしたか」


 アレイルの返事をどう捉えたのか、元侍女は組んだ両手で胸を押さえ、また伏し目がちになる。


「はい。こう言っては何ですが……アレイル様も、魔術師と通じている王女と婚約させられて、大変お気の毒で、私も胸が痛――」


「魔術師には良き友人が居るのですが……貴女は彼らを大層嫌っているようだ……。残念ですが、私は貴女とは合わないらしい」


 心底同情する、という風に悲痛な顔を貼り付けていた元侍女の言葉が、アレイルの硬質な声によって途切れる。


「……え?」


 何を言われたのか把握出来ていない様子で、元侍女は呆けた声を発した。


「それに、婚約者を貶めるような事を言われて、良い気はしません。フィリアンティスカ様に切り捨てられた貴女の事を、これ以上知りたいとも思わない」


 アレイルの放つ冷たい雰囲気に、元侍女はようやく自分の失言を悟ったようだった。あまり頭の回りが良くないらしい彼女は、取り繕う事もせずに固まっている。顔を青くして、何も言えないでいる彼女に、アレイルは親しみを感じさせない冷たい声で告げた。


「私はフィリアンティスカ様に早くお会いしたいので、失礼します」


 これでもう絡んでは来ないだろう。

 硬直したままの元侍女の横をすり抜ける。

 廊下にはアレイルの靴音だけが響き、元侍女は未だ動き出せていない事が察せられたが、視界から消えた時点で、彼女への関心は失せた。強かな彼女は、きっとすぐに次の標的を見つけるだろう。そこにアレイルもフィリアンティスカもいらない。

 早々に頭の中から余計な情報を排除して、これから会う好きな人の事を考える。久しぶりにフード越しでは無く顔を合わせるフィリアンティスカは、一体どんな瞳でアレイルを見るのだろう。昔から自分を魅了して止まない神秘的な青を思い浮かべながら、アレイルはフィリアンティスカが待つ部屋へと急いだ。





 ヴァレルとして会いに行く時は、いつも転移魔術を使っていたため、普通に扉の前に立つのは新鮮に感じる。

 最初にアレイルを待ち構えていたのは、見慣れた古参の侍女、ケイラ・アロンストだった。

 ケイラとはヴァレルの方で面識がある。(と言ってもケイラはヴァレルの素顔を知らないのだが。)

 ケイラは三十代半ばで、ありふれた茶髪の女性だ。背が低いため、十代の少女のように若々しく見えるが、落ち着いた言動と常に浮かべる静かな笑みが、歳相応に感じさせる。

 ケイラの夫、ディアン・アロンストは、ヴァレル・エンフィスの部下だ。つまり、魔術師なのである。以前愛妻家のディランに紹介されてから、ヴァレルはケイラと話す機会が度々あった。


 フィリアンティスカの侍女は少ないながら割合入れ替わりが激しいのだが、ケイラだけは別であった。

 夫が魔術師であるからか、ケイラには魔術師に対する偏見が無い。魔術師を悪く言わない事と、微笑みを絶やさないケイラの穏やかな雰囲気が、フィリアンティスカの気に召したらしかった。


「フィリアンティスカ様を呼んで参ります、中でお待ち頂けますか」


 ふんわりと目を細めたケイラに、王族専用の広間へ通される。

 聞いた話によると、ここによく王子達も集まっているらしい。王子、王女個人の部屋へ立ち入る訳では無く、王族共有の広間へ各々が出向いては、居合わせた相手と会話しているという事だ。

 部屋を出る前、ケイラが「ふふ……」と溢した。「皆様結構な頻度で集まっているのですよ。兄弟仲がよろしくて」


 アレイルは、次期国王のアズヴィラン王子の顔は知っている。だが、フィリアンティスカの双子の弟であるセティユーク王子は、人前に顔を出さないので、見たことが無い。

 彼らがアレイルとフィリアンティスカの逢瀬に乱入する可能性もあるのか……と、アズヴィランとまだ見ぬセティユークが突然入って来る所を想像しつつ、体が沈む柔らかいソファに腰を掛けた。



 やってきたフィリアンティスカは、新しい侍女を伴っていた。恐らく先ほど会った銀髪の元侍女の代わりだろう。

 知っている人物だったので、アレイルは一瞬目を見張った。

 侍女服を纏い、王女の側にひっそりと控える女性は、無表情でアレイルを見返した。

 目鼻立ちの整った、くっきりとした輪郭に、ありふれた茶色の髪。癖の無い真っ直ぐな髪は一つに束ねて丸く括られているため、そのすべらかな指通りは傍目からは分からない。だが良く手入れされたその髪を梳いた事があるアレイルは、実感を持って知っていた。

 茶髪は珍しくも無く、最も好まれるのは男女共に金髪なので、遠目からでは目に留まりづらい。しかし髪色を除けば、非の打ち所の無い容姿と言えるだろう。


(姫様の新しい侍女になるなんて話、聞いていないぞ……リシェアーナ)


 白磁の肌とは、正にリシェアーナの事だ。

 そして翡翠の瞳は、アレイルと同じ。


 侍女よりもまずは王女だ。気を逸らし、フィリアンティスカに目を向ける。フィリアンティスカは、例文をなぞっただけのような淡白な挨拶をアレイルと交わした。

 フィリアンティスカの表情は、ヴァレルに口説かれている時と何ら変わらない。


(何が、それは無いな、だよ……)


 ――自分で否定したくせに。

 アレイルは、自分が僅かでも希望を抱いていた事を、胸の内で皮肉った。

 銀髪の元侍女が言っていた事にも、ほんの少し真実が含まれていたら良いのにと、淡く期待していた事に、フィリアンティスカと顔を合わせて気付いた。

 久しぶりに会って、フィリアンティスカの眼差しが、変わっていたら良いのに。他の令嬢達が向けてくるような目で、アレイルを見ててくれれば良いのにと。そう思っていたのだと知る。


 アレイルはヴァレルの時とは違い、淡々と当たり障りの無い話をしながら、必死である衝動を抑えていた。


(気を抜くとヴァレルみたいに口説いてしまいそうだ……)


 いつもみたいに、「ご機嫌如何ですか、姫様」と言って、「今日もお可愛らしい」と褒めちぎって、思うままに彼女の魅力を舌に乗せて語りたくなる。

 そんな言動をすれば、すぐに勘付かれてしまうだろう。今はヴァレル・エンフィスでは無い。アレイル・クラヴィストとして、正体を悟られるような態度は控えなければ。


「ところで、新しい侍女を雇い入れたのですね」


 頃合いを見て気になっていた話題を振ってみる。

 フィリアンティスカは「ああ……」と後ろに立つ侍女を振り返った。「彼女は、貴方の妹だったわね」

 リシェアーナ・クラヴィストは、アレイルの実の妹である。


「前の侍女はどうされたのですか?」


「綺麗な銀髪の彼女の事なら、辞めてもらったわ」


「理由をお聞きしても……何か不手際でもあったのでしょうか」


「別にそういう訳では無いわ。私とは合わなかっただけよ」


 彼女の返事はやはりつれないが、ヴァレルを相手にする時よりは口数が多い。

 婚約者ともなると沢山喋ってくれるのだな……と、アレイルはささやか過ぎる幸せを噛み締める。

 全く好意を感じられないやり取りだが、めげるような事でも無い。

 彼女が望んでいなくても、相手を嫌っていたとしても、フィリアンティスカはアレイルと結婚するのだから。


「フィリアンティスカ様、私達はいずれ夫婦になるのですから、どうか私の事は愛称で呼んで下さいませんか」


 ――ヴァレル、と呼んで下さると嬉しいです。

 ヴァレルの時、いつも駄目元で頼んでいた事を、アレイルの時にも試してみる。

 妹が居る場で多少気恥ずかしい思いはあったが、自分から行動を起こさなくては、いつまで経ってもフィリアンティスカとの関係は進展しないのだ。

 これまでそっけないながらも、間を置かずに返事をしていたフィリアンティスカが沈黙した。


(いきなり攻め過ぎたか……?)


 少々強気だったアレイルは少し不安になった。


「……何と?」


 聞き返され、アレイルは「今なんつった?(意訳)」と言われたのかと思い、かなり焦った。

 無論顔には出さないが、己の失敗に歯噛みしながら「互いを愛称で呼び合うのは、お嫌ですか」と平静な声で言い直す。


「……何と、お呼びすればいいの」


 フィリアンティスカも言葉を付け加えて再度告げたため、アレイルはようやく彼女の言葉の意味を正しく理解した。先ほどの「何と」も同じ事を聞きたかったのだろう。先走って「何でもありません」と訂正しなくて良かったと安堵した。


「私の名前はアレイルですから、どうか『レイ』と」


「そう」


 フィリアンティスカは、小さく返して目を伏せる。

 これは了承と取って良いのだろうか。アレイルは逡巡する。迷いの中で、――それにしても、今日は長く話してくれるので、彼女の「そう」という極短い返事を久しぶりに聞いたな――等という取るに足りない事を考えていた。


「じゃあ、私の事も愛称で良い」


 “フィリアンティスカ”、だと長いでしょう。と彼女は表情を変えずに言うのだが、アレイルは歓喜と複雑な心情がないまぜになった。たった一度頼んだだけで許して貰えた愛称は、ヴァレルが数年かけても成し遂げられなかった事なのだ。


「呼び方は、貴方が決めて」


 その上こんな栄誉を与えられるのだから、婚約者という立場はつくづく凄いものだと、アレイルは思った。


「フィリアンティスカ様ですから……では、フィスカでどうでしょう」


 今考えましたとばかりに言った。だが実際には、ずっと前から考えていた事である。

 彼女と愛称を呼び合えるとしたら――自分の事は、レイと呼んで欲しい。そして、「フィリアンティスカ」は、普通なら「フィリア」だろうが、血縁者にも呼ばれていない、アレイルだけの愛称が欲しかった。だから、最初と最後を取って「フィスカ」と呼ばせてもらおう。甘い雰囲気の時は、「フィティ」なんて呼んでもいいかも知れない――と、叶いそうも無い悲しい妄想をしていた頃、決めていたのだ。


「……それで構わないわ」


 少し間があったが、念願の許可が出た。


(……結構良い感じじゃないか?)


 “クールな騎士隊副隊長”が聞いて呆れる程、年下の婚約者に翻弄されている。

 フィリアンティスカの方が余程クールだ。

 嫌われているかも知れないが、少なくとも、歩み寄る努力はしてくれるらしい。

 浮かれたアレイルは、もう一つ大胆な行動に出た。


「フィスカ、私は貴女の婚約者ですが、恋人にもなりたいのです」


 席を立つと、少し離れて向かいに座るフィリアンティスカの前まで移動する。

 跪いて見上げると、フィリアンティスカは怪訝な顔をしていた。やっている事はヴァレルと同じだが、騎士服を着ているので多少の格好はつくはずだ。騎士らしく、恭しく王女の手を取る。


「私は、貴女と恋人になって、恋愛をしたい」


 フィリアンティスカにとっては、国王に命じられた政略結婚でも、アレイルにとっては、恋愛抜きではいられない。

 意味を噛み砕くように、段々とフィリアンティスカの睫毛が上がっていった。


「結婚するのですから、構いませんよね」


 素顔の時に、社交辞令抜きで女性を口説いたのは初めてだ。

 軽く指先に口付けて、そっと離した。

 顔が赤く染まっていたら良いなと、彼女の顔を盗み見たが、氷のような無表情が目に入ったため、先は長そうだ……と誤魔化すように苦笑した。





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