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銀杖と騎士  作者: 三島 至
【第一章】一度目のアレイル
15/22

一度目の魔術師 /マキアス視点

 

 空腹で眠れないのはいつもの事だった。

 粗末な小屋で隙間風に震える深夜、自分の腹の音で目を覚ます。

 もう何日も満たされない胃の催促は、鳴き疲れて、ただの痛みに変わった。

 肌をさすると、浮いたあばらが手にあたる。

 固く所々破れた手は、がさがさと不快な肌触りで、より一層空腹を助長させる。貧相な体の中で、両の掌だけが、不釣合いに豆だらけだった。

 日が昇るまで耐えねばならない。


(嫌な夢だ)


 風が小屋の扉を激しく揺らした事で、急に寒さを自覚した。

 震える肩を抱え込むように丸まって、暖を取る。

 その拍子に、背中にじくじくとした痛みが走った。

 ああ、これは、あの時、あいつらにやられた傷だ――――

 “今”がいつなのか理解する。気温や傷も、過去を忠実になぞっていたから、この後待ち受ける事態にもすぐに思い至った。


(嫌だ、覚めろ、早く覚めろ)


 過去の悪夢に魘されるのは、初めてでは無かった。

 夢の中にいると認識しているからといって、思い通りに事は運ばない。

 再生される記憶に意識を重ねているだけだ。

 決められた流れに逆らう事は出来ない。


(せめて、あいつらが来る前に)


 現実の自分が眠っている世界は、何時頃だろうか。早く本当の朝がきて欲しい。

 悪夢に取り込まれた時、出来るのはこうして祈る事だけだ。


 強い風のせいで木の葉が舞う。それを踏み潰す、かさりと乾いた音がする。

 くすくすと、嘲笑を含んだ囁き声が聞こえた。

 願いも虚しく、冴えるばかりの意識の中、消せないトラウマが近づいてくる。

 声の主は、寝床の入り口を蹴飛ばして、元々腐りかけで脆くなっていた扉を壊した。


「おらっ、寝てんじゃねえよ」


 容赦の無い蹴りが腹にめり込み、勢いよく転がる。

 死んだ振りをしていた方が、まだ良かった。反応を返さなければ、飽きてそのうち居なくなる。だが、この時は我慢出来ずに、咳き込んでしまった。

 全部過去の通りだった。


「昼間あんなに血を出したのに、こいつ、まだ生きているよ」

「ちょうどいいじゃん、魔物の餌にしてやろうぜ。血の匂いに寄ってくるかも」

「どうやって運ぶ?」

「足縛って引きずりゃいいだろ」


 親戚の子供たちは、貧相で愛想の無い少年の事を疎ましく思っているらしかった。

 大人に叱られた時の憂さ晴らし。ただの暇つぶし。自分より下の人間を虐げる事で、優越感に浸るため。

 そんな理由で、子供たちは親に隠れて、少年の体に傷を増やしていった。

 ここを追い出されたら行くあてが無い。一家の誰も、助けてくれる人は居ない。

 子供たちもそれをよく分かっていて、やっている。

 ただ耐えるしかなかった。


(この日は……魔物に襲われて、死にかけた日だ)


 夢はまだ覚めない。

 少年は次に来る衝撃にそなえて、涙が出るほど強く目を瞑った。





「薄汚れたガキだな」


 次に瞼を上げた時、目の前には騎士が立っていた。

 見上げた先に、不機嫌そうな顔がある。


「騎士隊はお前みたいなのを受入れる場所じゃないんだ、さっさと寝床に帰りな」


 少年は王都に居た。

 日に日に酷くなる暴力に耐え切れず、命からがら、親戚の家から逃げ出してきたところだった。

 虐待の痕も、魔物に負わされた傷も、癒えてはいない。だが悠長に休ませてはもらえないのだ。あのままあそこに居れば、いつか殺される。

 優しかった実の両親との思い出だけを、心の拠り所にしていたが、綺麗な記憶は磨り減り過ぎてしまった。

 自分を慈しんでくれる声は、夢の中でさえ、もう聞こえない。

 限界だった。


 狭い世界しか知らず、小汚い身なりの軟弱な少年が、一人で生きていく方法は、さほど残されていない。

 大多数の男児達がそうであるように、漠然と騎士に憧れ、自分もいつかなりたいと思っていた少年にとって、逃げた先の選択は一つだけだった。

 他人なんて信じない。自分の力で生きていけるようにならなければ……そう思って、騎士の登用試験を受けられる歳になるのを、指折り数えて待って、あの地獄から抜け出したのだ。


 少年には後が無かった。帰る場所なんて無い。失敗は許されない。見習いでも何でも良い、何としても試験に受からなければ――――


「僕は騎士にならなきゃいけないんです!」


 追い払おうとする騎士に、必死で縋りつく。


「しつけえな! そもそも年齢詐称するやつに、騎士になる資格はねえよ!」


「ち、違います、応募要項は満たしています。受験資格はあるはずです! ちゃんと試験は受けますから……」


「もうちょっとマシな嘘はつけないのか? 乞食のガキの相手している暇はねえ、さっさと失せろ!」


「こ、乞食って……」


 物を知らない少年でも、自分の体格や服装が他人より劣っている事は分かっていた。だが、乞食呼ばわりされるほど、惨めに見えるとは思っておらず、言われて少なからず心に打撃を受ける。

 羞恥から、顔に熱が集まるのを感じた。ついでに、周囲の視線が集まるのも感じ取り、居たたまれず、背を丸める事しか出来ない。

 騎士とは、もっと優しいものだと思っていた――――少年は自分の理想と、騎士の実情がかけ離れている事を知る。

 高潔で、公正で、強く、礼儀正しく、きっと自分のような者にも、分け隔てなく手を差し伸べてくれる……そんなものは、ただの幻想だったのだ。


 少年はひとまず、その場から逃げるように引き返した。

 恥ずかしい、帰りたい、でも帰れない。このまま諦める訳にはいかない。

 もしかしたら、たまたま、あの騎士の虫の居所が悪かったのかもしれない。そうやって自分を励まして、今度は道行く騎士に声を掛ける事にした。

 その相手が良くなかった。

 少年が騎士の登用試験を受けたいと言うと、その騎士は、暴言を吐きながら、剣の柄で少年の頭に殴りかかってきたのだ。


 続け様に、腹を蹴られ、少年は一気に親戚達からの暴力を思い出した。精神が引っ張られていき、体が抵抗する事を忘れる。騎士にあるまじき理不尽な行為にも、文句一つ言えず、されるがままであった。


(これは後から知った事だけど……僕が声を掛けたのは、貴族出身の実力も無い、横柄な騎士だった)


 こんなの騎士じゃない……絶望感を最後に意識を手放そうとした時、手を叩くような音と同時に、攻撃が止んだ。

 立っている事も出来ず、地面に倒れていた少年の前に、第三者の影が差す。

 横柄な騎士の、まさに少年に殴り掛かろうとしていた手を、誰かが受け止めていた。


「何をしている」


「く、クラヴィスト小隊長!」


 今日の悪夢は少しだけ、いつもと違った。

 普段は一番酷い所を通り過ぎた辺りで終わるのに、まだ夢が続いている。

 実際にあった過去を辿るなら……きっとあの人が助けに来てくれたはずだ。


 小隊長と呼ばれた別の騎士が、少年を庇うように側でしゃがみ込んだ。

 顎に手が触れる感覚があった。どうやら、顔を確認されているらしい。


「受付担当の騎士が、年齢確認もせずに騎士志願者を追い返したと聞いて探しているのだが……彼がそうなのではないか?」


「え!? いやでも、どう見ても子供ですよ」


「騎士ともあろう者が、どう見ても無関係の子供だと思ったのに、こんなに傷め付けたのか」


 横柄な騎士は、「それは……その」と口ごもると、ばつが悪そうに、目を泳がせた。彼の暴力は、ただの八つ当たりだ。決して褒められた事では無い。

 小隊長は呆れたように嘆息すると、「……処分は追って連絡する。持ち場へ戻れ」と冷たい声を出した。

 これ以上逆鱗に触れたくないと言うように、横柄な騎士は慌てて少年と小隊長から離れて行った。


「痛い……」


 残った僅かな力で身じろぎすると、地面に顔が擦れて、思わず声が漏れた。顔も相当殴られたから、だいぶ人相がおかしくなっているかもしれない。

 少年は腫れぼったい瞼を、苦労してこじ開けた。

 するとそこには、息が止まるほど美しい青年の顔。

 金髪に緑瞳の騎士が、間近で顔をしかめていた。


 世の中は不平等だ。

 だがこれは、あまりにも、格差があり過ぎる。

 助けてくれたから、この騎士はいい人なのだろう。そう思うのに、少年は少し荒んだ気持ちになった。


 何で、自分ばかり、不幸な目に合うのだろう――

 情け無くて、勇気も砕け散って、緊張の糸が完全に切れてしまった。

 自然と涙が零れ出す。親戚の子供達に、どんなに苛められても、泣かなかったのに。

 無言で、ぽろぽろと涙を流す少年を見て、騎士は腫れた少年の頬を、労わるように包み込んだ。


 不思議な事が起こった。金髪の騎士が触れた所から、すっと痛みが引いたのだ。口の中を満たしていた、血の味が消えている。

 腫れも引いて、まともに喋れるようにもなった。


「い、今……何をしたんですか……?」


 何をされたのか、本気で分からなかった。助けてもらった礼も忘れて、呆然と聞くと、無表情に近かった綺麗な顔が、ふっと微笑んだ。


「秘密だ」


 同性でも思わず見惚れてしまうような笑顔が、この時少年の脳裏に焼き付いた。


「ところで、君は騎士志願者か?」


「は、い。マキアスといいます」


「そうか。私はアレイル・クラヴィスト。騎士隊の小隊長だ。マキアス、君の年齢は……」


「えっと――」


 年齢を伝えると、アレイルは意外そうな顔をした。

 先ほどの騎士達の反応といい、やはり自分は幼く見られるらしい。

 彼はマキアスに手を貸して立ち上がらせると、案内するように振り返りながら、歩き出した。


「年齢は……満たしているようだし、後は君の実力次第だ。受からなければ、それまでだろう」


 てっきり、ひ弱そうだから、やんわり追い返されるのでは無いかと思ったのだが、アレイルは試験会場まで連れて行ってくれるようだった。


「試験、受けても良いんですか?」


「応募要項は満たしているからな。ただし公平に審査するから、結果が芳しく無くても、どうにか折り合いを付けてくれ」


 想像していたような、理想の騎士に助けられ、マキアスは胸が一杯になる。


「あ……ありがとう、ございます……」


 これで、立派な騎士になれれば良かったのだが、そう上手くはいかなかった。

 アレイルの執り成しで、マキアスは何とか騎士の登用試験を受ける事を許されたのだが、単純に実力不足で、実技試験に合格出来なかったのだ。


 試験に落ちはしたが、最初ほど切羽詰ったような気持ちでは無かった。

 死んだ訳では無いのだから、まだやり直せる。騎士になる事だけが全てでは無い。

 彼のような騎士が居るなら、これも良い経験として、前を向いて頑張ろうと思えたのだ。

 これまでの騎士への漠然とした憧れは、助けてもらった時から、アレイル個人へと向けるようになった。


 マキアスの体はボロボロのままだったが、どこか晴れやかな気持ちで、試験会場を後にする。

 出来れば、またいつかアレイルに会いたい。間接的にでも、彼の役に立つ仕事がしたい。何か無いだろうか――そう考えている時に、また新手に声を掛けられた。


「ああ~、君、君! マキアス君だよね!」


 男とも女とも、若いとも老いているとも、判断がつかない、奇妙な声だった。

 振り返ると、灰色のフードを目深に被り、口元以外を隠した、長身の怪しい人物が立っている。


「……どちら様ですか」


「これは失礼、俺は魔術師団団長の、ヴァレル・エンフィス。是非君を魔術師団にスカウトしたい」


「……結構です」


 確かに仕事を探してはいるが、見るからに胡散臭い。それに、魔術師に良い噂は聞かなかった。


「待って待って待って、そんなあからさまに嫌そうな顔して逃げないで! 君の才能を見込んで是非に、って推薦されたんだよ。騎士隊小隊長の、アレイル・クラヴィストに」


「……は」


 今しがた考えていた人物の名前が上がって、ヴァレルの話に耳を傾ける気になり、少し足を止めた。


「騎士の試験は残念ながら落ちちゃったみたいだから、魔術師団にどうだろう、って。気を悪くしたら申し訳無いんだけど、マキアス君、魔術師の才能があるよ」


「アレイルさんがそう言ったんですか?」


「彼もそうだし、俺も思っているよ」


 ヴァレルの表情は窺えないのだが、あの時のアレイルのように、微笑んでいる気がする。

 今まで、つい先ほどアレイルに会うまで向けられた事の無い、マキアスを受入れようとする態度だった。


「君と仕事がしたいってね」


 ――アレイルも、マキアスと仕事がしたいと思ってくれている……

 怪しいヴァレルの言う事など、鵜呑みにするべきでは無いと思う。

 だがこれ以上無い殺し文句に、マキアスは頷かざるを得なかった。


「……僕で、よければ……」


「えっ! いいの?」


 あまりに早い決断に、ヴァレルも思わず、といった風に聞き返してくる。


「どうせ、帰るところ、ありませんから」


 落ち着いて考えてみれば、願っても無い就職先であった。

 魔術師団は、騎士隊と同じく、王宮にほど近い所で仕事をするので、市井で働き口を探すよりずっと良い。魔術師として励んでいる方が、アレイルの役に立てる日がくるかもしれない。


「歓迎するよ、マキアス君」


 だから少年――マキアスは、魔術師になった。






 ※




 息を切らせて、魔術師塔の執務室の扉を開ける。


「……すみませんっ、遅れました」


 いつもより長い夢から覚めてみれば、日はとうに昇っていて、皆が仕事を始める時間になっていた。

 こんな失態は久しぶりである。


「あれ~、おはよう、マキアス君。遅刻なんて珍しいね。寝坊?」


 これまた珍しく、神出鬼没のヴァレルが、朝から執務室に詰めていた。彼はマキアスに向かって、ひらひらと手を振る。


「ええ、まあ……すみませんでした、すぐに仕事を……」


「そんな焦らなくても大丈夫だよ~、今日は俺ちょっと時間あるから。いい夢見られた?」


 聞かれて、少し考える。悪夢を見た日はいつも、内容をしっかりと覚えていた。

 今日も覚えていたが、その中味は、悪いものばかりでも無かった。


(昨日、アレイルさんの話をしたからかな……)


 親戚に植え付けられたトラウマも、魔物に殺されかけた恐怖も、確かに残っている。

 だが、マキアスは今の自分を嫌いでは無かった。


「……そうですね。多分、いい夢でした」


 いつもよりは、と付け加えて、マキアスは今日の業務に取り掛かるのだった。






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