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銀杖と騎士  作者: 三島 至
【序章】二度目の魔術師
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少年と騎士

 

 遠い親戚の家に預けられた少年の扱いは、使用人よりも酷かった。


 一家は五人家族で、小さな一軒家に住んでいる。

 庶民の中では、それなりに裕福な家庭だ。だがその恩恵を少年が受ける事は無い。


 家の者達に親切心は一切無く、彼らは端から、少年を使用人代わりに働かせるつもりだった。

 少年を引き取ったのは、給金を払わずに済むからという理由に過ぎなかった。


 満足な食事を与えられないのは勿論、家の仕事は殆ど少年一人が行っていた。

 彼は自分で服を用意する金も無く、ぼろぼろになった大きさの合わない服をいつまでも着るしかなかった。


 栄養不足で倒れても休ませてもらえ無い。少年にとってそれは当たり前の事だった。

 成長期にそんな生活をしていたため、彼の背は一向に伸びず、年下の親戚の子供よりも幼く見えた。




 五人家族の末の息子が、ある日興奮した様子で帰って来た。

 近隣の町は、森に出る魔物に困らされていたが、それを討伐しに来た騎士を見たと言うのだ。


 騎士は男子なら誰もが憧れる職業である。

 末の息子が話すのを聞いていた少年もまた、例外ではなかった。


 この時、少年は自らが置かれる環境を変えたいと強く願った。

 罪人でも無い自分が、奴隷のような仕打ちを受けている事に不満を覚え、一家に対する恨みも募っていた。


 騎士とは高潔で、公平で、惨めな者にも手を差し伸べてくれる存在だ。

 騎士ならば、ここにいる悪者達から、自分を救ってくれるのではないか。


 夜中、こっそり家を抜け出した少年は、騎士に会うために、魔物が出るという森へ向かった。

 魔物が恐ろしく無いわけでは無かった。

 だが、襲われても助けてくれると、まだ見てもいない騎士を信じ切っていたのだ。


 後悔したのは、森に入って後ろを振り返った時。

 町からの入り口は見当たらず、深い森だけが広がっていた。

 来たばかりなのに、どこから入ったのか分からない。


 迷うには早すぎる。一歩踏み入れてすぐに確認したのだ。

 異常な状況に、少年はここが普通の森では無いという事に思い至った。

 魔術が掛けられた森なのだ。


 両親が生きていた頃、話には聞いた事がある。獲物が入り込んだ瞬間、出口を塞ぐ魔術。

 この森に入ってはいけなかった。

 考えなしで入ってしまった事を悔やむ。少年に帰る術は無い。


 どうする事も出来ず、騎士がいるかもしれないという、一縷の望みにかけて歩く。

 何処からか獣の鳴き声が聞こえ、足がすくんだ。


 一日働き通しで疲れ果て、普段なら死んだように眠る時間に歩いているせいで、空腹でもあった。

 夜は寒い。肩が震えてきて、自分の体を抱きしめながら、唾液を飲み込み、獣では無い人の気配を探った。


 辺りは暗く、良く見えない。進めば進むほど、目は慣れるどころか闇が深くなった。

 両手を前に伸ばし、障害物が無いか、恐る恐る確かめる。

 とうとう疲労が限界にきて、少年は手の感触を伝い、木の根元に座り込んだ。


 精神的にも挫けそうで、このまま眠ってしまいたかったが、寒さと胃を締め付けるような空腹で意識を手放せない。

 それに、実際に眠ってしまっては命が危ないだろうという事も分かっていた。


 何とか体力を回復させようと、目を閉じて、膝を抱える。

 視界を塞いでも、見える黒に大して違いは無かった。

 恐怖が纏わりつく。


 手の皮膚が裂けても、一人だけ外の小屋で寝かされても、一家が食べ残した食事や、腐りかけの食材しか腹に入れられなくても、死にたいわけでは無かった。


 一家を恨んでも、境遇を理不尽だと嘆いても、まだ生きていたかった。


 両親の顔を思い出す。

 父親が抱きかかえてくれて、母が微笑んでくれた過去を思う。

 生きている内は二度と会えない二人に、もう少し待ってくれ、と少年は祈った。


 意識が朦朧としかけていた時、一際大きく獣が鳴いた。

 恐ろしさに少年は固まる。

 目を開けた時、少年のいる所はやけに明るくなっていた。

 月が出ているのだと気付く前に、目前まで迫っている獣の姿に全身が総毛立つ。

 近くに来ている事に気が付かなかった。


 初めて見る魔物は、家畜をもっとおぞましくした見た目で、全身から黒々とした煙を噴出している。

 少年の三倍はある巨体で、不気味な唸り声をあげて、じりじりと寄って来る。

 声も出せず、瞼を下ろして死の恐怖から逃れる事も出来ず、目を見開いたまま、迫る魔物を待つことしか出来なかった。


 分厚い何かが切れるような音がした。

 目を閉じていなかったため、少年はその音の正体をはっきりと視認出来た。

 少年が凭れ掛かっている木の背後から、長剣が飛び出し、魔物の肉を突き刺したのだ。


 体の中心を貫かれた魔物は動きを止めて、剣が引き抜かれると、傷口から黒い煙が血の様に溢れ出た。

 瘴気のような煙が、流れては空中で消えていく。

 やがて、黒い霧に包まれるように、魔物の姿が消滅した。

 少年は、倒された魔物が死体を残さないという事を、この時初めて知った。


 魔物が居なくなった所で、ようやくじっくりと、剣を持って木の背後から現れた人物を見る事が出来た。

 月明かりに照らされ、黄金に輝く髪を持つその人が、剣を鞘に収めて、少年を見やる。


「大丈夫か」


 正面を向けたその人の服装が、涙でぼやける視界に入る。

 少年は体の内が熱くなるような心地がした。


(騎士だ……!!)


 騎士に助けられたという事実に、胸一杯に喜びと興奮が広がる。

 騎士が屈んで、少年と目を合わせた。まだ若い男だった。少年と言ってもいいかもしれない。

 短い金髪と、瞳は深い緑色の、麗しい容貌をしていた。


「何故ここに子供がいる。この森は魔術が掛かっているから、立ち入り禁止になっているはずだが……誰かに聞かなかったのか?」


「騎士に会えると思って……」


 憧れの騎士が目の前にいる事で、思わず正直に答えてしまう。

 騎士は怪訝そうに眉を顰めた。


「確かに、討伐依頼があって近隣の町に騎士は来ているが、この森は関係無い。魔術の影響で、入ったら出られないが、逆に魔物も出てこないからな。……知らなかったのか」


 少年は驚いて、「え……でも……」と、曖昧な事しか言えなかった。

 一家の末息子は、確かにこの森の話をしていたのだ。

 話していたのを聞いていただけだが、普段少年は外の話を聞かせてもらえないので、聞き逃すまいと耳を澄ませていた。だから間違いない。


 どういう事だと考えながら、騎士の「入ったら出られない」という発言が気になった。

 騎士も出られないのなら、共倒れだ。

 不安が顔に出ていたのだろう。少年を安心させるように、騎士は付け加えた。


「但し、魔術の心得がある者は別だ。出る術を持っていない人間が入ったら出てこられないという話だ。俺は騎士だが、魔術も使える」


 少年は騎士の頼もしい言葉に心底ほっとした。


「何で騎士がここにいるんですか?」


 討伐依頼の森がここではないなら、この騎士がいる理由は何なのだろうと、少年は尋ねた。


「子供や老人が、行方不明になっていると報告があった。皆生活に困窮している者ばかりだ。この森に迷い込んだか、自殺でも考えて自ら入ったか……適任が居なかったから、俺が先に調べていた。そうしたら、君が居た。君は自殺志願者か?」


 首を振って否定する。


「今、住んでいる家の子供が、この森に騎士が居るって話をしていたから、会いたくて、来たんだ」


「……討伐の話は広く行き渡るようにしている筈だが。君は家から出ないのか?」


「殆ど出られないし、会話をしたのも久しぶりだよ」


「……行方不明者は、口減らしの可能性も高いな。自分の意思で消えた訳では無いかも知れない」


 騎士が呟いた声は、少年の耳には入らなかった。


「何はともあれ、帰ろう。送っていく。立てるか」


 手を差し伸べられたが、少年は立ち上がれない。腰が抜けていた。

 羞恥心に俯くと、騎士が「抱えるのと、おぶるの、どちらがいい」と聞くので、「おぶるほうで……」と返す。騎士は少年の汚れた体を持ち上げると、背に乗せた。


 想像よりも若い騎士だったが、少年にとって彼は期待以上に格好良い騎士だった。


「家に、帰りたくないんじゃないか」


 内心を見透かされたような言葉に、少年は騎士の肩につかまる手に力を込めた。

 肩にかかる力に、騎士はそれを肯定と取ったようだ。


「さっきは言っていなかったが、この森には入れない人間も居る。魔力を持っていないと、魔術がかかった入り口を見つけられない。普通の人間には、ここはただの森に過ぎず、魔力を持つ者にとっては、魔物がうろつく危険な森だ。君が迷い込んだという事は、少なくとも君は魔術を使う才能があるという事なんだ」


「魔術……」


 騎士に並び、国に仕える魔術師の存在も知ってはいたが、いまいち想像が出来ない。


「俺が推薦すれば、魔術師見習いから始められる。勿論楽では無いが、衣食住は保障されるし、給金も出る。今住んでいる家を出る事になるが、自立した生活を送る事も出来る」


 少年にも騎士の言いたい事が分かった。

 みすぼらしい格好と、無知さ、背負った時あまりに軽い少年の体に、彼の現状も概ね理解出来たのだろう。


 騎士に会えば、自分を救い出してくれるのではないかと、期待した。

 それは間違ってはいなかったのだ。


「どうする?」


 この人が連れ出してくれるなら、何も不安に思わない。

 しかし、魔術の才能がある、と言われたのは嬉しかったが、少年は騎士になりたかった。

 それでも、今の親戚の家から離れて、自分のために働けるなら、こんなに良い条件は無い。

 それに今死にかけたばかりの、こんなにみっともない自分が、騎士になりたいと言うのは恥ずかしいとも思った。

 だから、少年は頷いた。


「魔術師になりたい」


 森を出ると、騎士は「よし」と言って笑った。


「あと、頼みがあるんだが、俺が魔術を使える事は秘密にしておいてくれ」


 少年は理由が分からず、ただ瞬きをして続きを待った。


「魔術を使える奴は大抵魔術師団に所属しているんだ。俺は騎士だから、魔術が使える事は知られていない」


「ばれると何かまずいの?」


「魔術師団と騎士隊はそんなに仲が良くないんだよ。使えない事にしておいた方が、都合がいいんだ。まあ、こうやって必要になれば、こっそり使うけどな」


 騎士に聞かれるまま、少年は家までの道程を案内する。

 別れ難い気持ちになっていた。

 家の裏口まで運んでくれたので、「そっちじゃなくて、いつも外の小屋で寝てるから……」と、側にある小汚い小屋を指し示す。綺麗な騎士に、自分の寝床を教えるのは情けなく思った。

 騎士は動かず、裏口の前で、小声で少年に話しかける。


「さっきの話だが、森に騎士がいるって言った子供、君とは反りが合わないんじゃないか」


 反りが合わないどころでは無い。

 少年は一家全員から虐げられている。


「行儀は良くないが、少し耳を澄ませてみろ」


 目配せすると、騎士は少年を乗せたまま、木で出来た扉に片手の掌をあてた。

 木の木目に沿って光が漏れる。手から淡く発光していた。


(本当に、騎士なのに魔術を使えるんだ)


 感心しながら見ていると、少年の耳に聞き覚えのある、囁き声が届いた。


『あの愚図、やっぱり森へ行ったな』

『嘘だって気付かれなかったのか?』


 一人は末の息子、もう一人は長男の声だった。


『気付くもんか。学校にも行ってなくて、家から一歩も出ないんだから』


『あの魔術がかかった森だろ。二度と出てこられないっていう……』


『そう。あいつ汚いし、とろいし、目障りなんだよ。母ちゃんに言ったら、雑用係だからって捨てようとしないし、じゃあ勝手に居なくなってもらうしかないじゃん』


『だけど、こんな夜中に騎士がいるって考えるほど馬鹿か?』


『昼間に討伐するって事も知らねえもん、あいつ。さっき小屋覗いてきたら居なかったから、そんぐらい馬鹿なんだよ』


 少年は知らず、歯軋りをしていた。

 内容が頭に入ってくるにつれて、悔しさが込み上げてくる。

 彼らの思惑にまんまと乗せられた恥ずかしさと怒りに、騎士の肩に添えている少年の手が震え、爪が食い込むほど強く握りこんだ。


「君さえ良ければ、明日にでも連れて行けるが、どうだろう」


 騎士が自分を案じてくれている事が分かった。

 騙されたのだと教えてくれた騎士は、扉から手を離すと少年を背負い直し、小屋に向かう。

 扉から離れた事で、光と囁き声は消えていた。


「何も持たなくていい。魔術師団は万年人材不足だ。スカウトしたくても中々見付からないから、歓迎されるだろう」


 少年に断る理由は無かった。



 小屋で数時間眠りにつき、朝日で目を覚ます。

 少年は覚醒してすぐに昨晩の出来事を思い出したが、夢ではないかと不安に思った。

 ふと、いつもより日が高い事に気付いた。

 寝たのが遅かったため、寝坊してしまったようだ。

 少年は慌てて小屋を飛び出し、一家の食事を用意しに家に向かった。


 裏口の扉を、叱責を恐れて、そっと開ける。

 長女と母親の短い悲鳴が聞こえた。

 長男と末の息子も何か喚いている。

 父親の声は聞こえないが、絶句しているような雰囲気があった。

 中は騒がしい。寝坊したとはいえ、まだ全員が起き出す時間では無い。

 何事かと様子を窺えば、昨日見た、金髪に緑瞳の騎士が家の中に立っていた。

 ぎょっとする。幻では無い。思わず目を擦り、もう一度見る。

 夢ではなかったのだ。


 騎士は少年が顔を出している事に気が付き、ふっと微笑んだ。また長女が声をあげる。母親は溜息を吐いた。

 少年がどぎまぎしていると、騎士は一家に向き直り、「あの少年の身柄を引き受けたい」と言った。


 少年が驚いている間に、騎士は昨日話したのと同じような内容を、彼らにも説明した。


 息子達が「なんであいつが」「どうやって騎士と知り合ったんだよ」「俺も騎士にしてください」と納得いかない様子で、文句を言っている。

 見目麗しい騎士に媚びるように、長女も何やら話しかけているが、相手にされていない。

 父親と母親は取り入ろうとしたり、少年を引き渡す条件をつけたりしているが、騎士が一蹴した。


「不当な扱いを受けている子供を保護するだけだ。あなた方は本来、罰せられるべき立場にある。貴重な人材を使い潰そうとしていた事を考えれば、その罪はさらに重くなる」


 暗に、大人しく引き渡せば厳重注意で見逃してやる、と言う。

 結局一家には何も与えずに、少年だけが保護される形となった。





 これまでの漠然とした憧れは、あの日から助けてくれた騎士に向けられるようになった。

 少年は努力して、やがて立派な魔術師になったが、騎士隊の副隊長にまで上り詰めたその人への恩を忘れる事は無かった。





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