龍の国JIPANG ~剣の巫女~5
― 第二章 5人の皇子たち -
ここは五色の龍たちの伝説が残る龍の国。
空、火、水、風、土の5つの部族がそれぞれの龍を祀り暮らしている。
空の部族の人々は金の髪、火の部族の人々は赤い髪、水の部族の人々は銀の髪、風の部族の人々は栗色の髪、土の部族の人々は黒髪をしている。太古の昔から5つの部族は絶えず争っていた。しかし、今の皇帝が戦で5つの部族を統一した。そして、それぞれの部族から妃を娶り、5人の皇子が生まれた。
第一皇子、伯は皇后(一の妃)の息子である。年は二十歳。母親が空の部族出身であるため、金の髪に碧い瞳を持つ。温厚な性格でたくさんの人々に慕われているが、昔から体が弱く、書物ばかり読んでいる。各部族の大臣たちからは皇位には向かない、といわれている。
第二皇子、皍は五の妃の息子である。年は二十歳。第一皇子と数日違いで生まれた。五の妃は最後まで皇帝に抵抗し、属することを拒んだ最も獰猛で残忍な地の部族長の娘であり、人質として皇帝に差し出された娘である。皍もまた冷酷で残忍な性格をしており、皆に恐れられている。黒髪に金の瞳をしているが、左目をいつも黒い眼帯で覆っているため、左目は誰も見たことがない。
第三皇子、鷽は二の妃の息子である。年は二十歳。二人の皇子の後、数か月ののちに生まれた。火の部族出身の母を持つため、赤い髪に碧い瞳をしている。幼い頃から武術に長け、人々の信望も厚い。皇位にふさわしい、と推す大臣たちも多い。
第四皇子、逯は三の妃の息子である。年は十九歳。三の妃は水の部族の出身であるため、美しい銀髪と青灰色の瞳を持つ。龍の国一の美男子といわれている。笛が得意である。いつも城を抜け出しては妓楼へ通っている。
第五皇子、澤は四の妃の息子である。年は十七歳。母親が風の部族の出身であるため、栗色の髪と緑の瞳をしている。皇子たちの中で一番年若く皇位からは離れているため、気楽なところがある。幼く、無邪気な性格で、兄たちから愛されている。
「兄上、龍の星が落ちたと聞きました。剣の巫女が南の地より送られてくる、とか。」
逯皇子はそう言って、銀色の髪をかき上げ、城の庭を眺めた。
「私もそのように聞いております。なんでも赤い髪の美しい娘だ、と。鷽兄上の奥方の妹君と聞きました。一度死んだのに、生き返ったそうですよ。火葬したのに、体がまったく燃えなかったそうです。」
澤皇子がいたずらっぽく城壁の淵に足を掛け、庭の様子をうかがっている。第一皇子伯は、その様子を穏やかな瞳で見ていた。
「剣の巫女は千年に一人、といわれる龍の剣の使い手。龍の守護を受けた娘が王に剣を捧げる伝説はまことかどうか…。星読みすらわからぬことだ。果たして本当かどうか…」
伯はそう言って、弟たちへ呆れたように目をやった。二人とも龍の剣の伝説は小さい頃から聞かされてきたおとぎ話であり、興味津々なようすである。剣の巫女の一行が城に到着すると、二人の皇子は興奮して城の庭へ身を乗り出した。
「あれが剣の巫女か。どちらの娘だ?」
「逯兄上、あちらは鷽兄上の奥方の紅香殿ですよ。ほら、今輿をおりた者が…!」
澤は指を差して、思わず息を呑んだ。燃えるような赤い髪の美しい娘を目に捉えると、呆けたように口を開けてみとれた。細くしなやかな身体、透き通るような白い肌、真紅の髪はまっすぐ背中まで流れるように長い。そして大きな瞳は碧く、吸い込まれるようだ。
「なんと美しい…。」
と、声をもらしたのは逯のほうだった。
「たしかに美しい娘だな。嫁をもらう気になったか、逯よ。澤も何という顔をしているのだ。」
伯が笑いをこらえながら、弟たちをからかった。
「いえ、私は。妓楼の女たちのほうが気楽ですよ。龍の剣も私には無用のもの。」
逯は首を振り、腰に差していた笛を手に取った。
「私は龍の剣がどんなものか見てみたいです。不思議な龍の力が宿っている、と聞きます。」
澤は朱花の美しさにみとれたまま、言った。
逯が笛を奏で始めた。
(笛の音が…?)
朱花は笛の音に気づき、ふと視線を上げた。そして、三人の皇子たちがこちらを見ていることに気づいた。金髪の青年と銀髪の青年、そして、少し彼らよりも少し年若い栗色の髪をした少年。
(これまたイケメンぞろいだわ…)
などと考えてしまい、あわてて考えを頭からかき消した。
「お帰りなさいませ。」
金色の波打つような髪をした美しい少女が鷽皇子の前で一礼した。鷽はふっと笑みをこぼして少女に歩み寄った。
「琉那か。久しぶりだな。皆、集まっているのか。」
「はい、城に集まっておいでです。しかし、皍兄上は数日前に帰還なされましたが、どこへいらっしゃるのやら…。」
「皍兄上は変わり者だからな。また城のどこかで昼寝でもしているのではないか?」
鷽は口の端を少し釣り上げた。鷽にとって二人の兄は年が数カ月しか違わない。兄上、と形式上呼んではいるが、一度も兄と思ったことはなかった。お互い母親が違うし、離れて育ったせいもある。
「紅香お姉様もお久しぶりです。遠路、お疲れ様でした。」
琉那は義姉に礼を取った。紅香も一礼した。そして、琉那は視線を朱花へ向けてきた。上から下まで品定めするかのように朱花の姿を目に捉えた。
「あなたが朱花殿ですか?」
「あ、はい。はじめまして。あ、あの、あなたは…?」
鋭い視線を受け、朱花は戸惑った。なんだか睨まれているような気がする。
(何か、悪いことでもした…?あ、おじき、忘れてた!)
「こ、こんにちはー!」
慌ててぺこりと頭を下げたが、周りの者たちがみんな目を丸くしているのがわかった。學皇子も紅香も、朱花の不自然な動きに驚いているようだった。
「こちらは龍の国の皇女、琉那様よ。」
姉の紅香が朱花に小声で耳打ちした。
(おうじょさま…?)
朱花は自分とたいして年の変わらない少女をもう一度見た。長い波打つような金髪が本当に美しい。まるで西洋人形のようだ、と思った。
「長旅で疲れていることでしょう。さあ、湯浴みでもして、ゆっくりなさるがよい…」
琉那は朱花に労いの言葉をかけたが、目はとても冷ややかだった。
(この娘が本当に剣の巫女なのかしら…?)
龍の国の皇帝の宮殿には、とても美しい入浴場があった。あちらこちらに岩場があり、そこには色とりどりの露天風呂があった。朱花はそのうちの桃色の湯に案内された。重かった豪華な衣装は外され、白い肌着一枚になった。女官たちが静かにその場を離れていき、そして朱花ひとりとなった。
(ああ、やっと身軽になったわ…)
ふう、とため息をついた。砂漠の旅の間はずっと輿に乗っていたので、窮屈で仕方がなかった。宮殿に着いてからもたくさんの女官たちにかしずかれ、全く自由がなかったため、いいかげん疲れていたのだ。
(それにしても、この肌着のままお風呂には入らないわよね…?)
この世界の習わしはよくわからない。朱花の記憶もとぎれとぎれで、お風呂の入り方までは覚えていなかった。朱花は白い肌着に手をかけた。
(ふつう脱ぐわよね…?)
朱花は肌着を脱ぎ、白い全身をあらわにした。そして、ゆっくりと不思議な桃色の湯の中に身を入れた。
(素敵…。こんな露天風呂見たことない…。)
桃色のお湯を手ですくってみる。白い湯気が立った。日本ではよく入浴剤を入れてお風呂に入っていたが、とても入浴剤を使っているようにはみえない。おそらく天然の色なのだろう、と思った。
(それにしても、なんて広いの。あちらのお風呂は何色かしら…?)
向こうのほうにも湯気が立っているのが見えた。朱花は桃色の湯を出て、岩場を歩いていった。その先には不思議な水色の湯があった。なんだかいい香りもする。
(うわぁ…、なんてきれい…!)
朱花は水色の湯に身を入れた。次の瞬間、ハッと身を固くした。水色の湯気のかげに人がいることに気づいた。男の人だ。逞しい背中に大きな傷跡があった。まるでなにか獣の爪に引っ掻かれたような傷だ。濡れた黒髪が横顔にかかっていたが、端正な顔立ちをしているのがわかった。
「誰だ…⁉」
男が朱花に気づいた。よく通るが冷たい感じのする声だった。
「え、あ、あの…」
朱花は答えに迷っていると、男はしっかりと振り返って朱花を見つめた。朱花は息を呑んだ。左目は前髪で隠れていたが、男の右目は不思議な色をしていた。金色の瞳…!
(龍の目…!)
朱花はなぜかそう思った。
「ここは皇族しか入れぬ場所だ。お前は誰だ⁉」
男は冷ややかな目で朱花を見た。
「わ、私は…」
と言いかけて、朱花は我に返った。自分は衣をつけていない。裸だ。
(ぎゃー!どうしよう!ここ、男湯⁉)
恥ずかしさのあまり、ドブン、と湯の中に身を沈めた。すると男があっという間にお湯の中から朱花を抱き上げた。
「赤い髪だな。火の部族の娘か。」
「きゃー!離して!」
男の腕の中でもがいたが、屈強な肉体はびくともしなかった。抵抗するよりまず自分の裸を隠さなければ、と朱花は白い胸を抱きしめるように腕で覆って身をすくめた。そして、男を恐る恐る見上げた。男は朱花の裸を見ても全く動じた様子はなく、冷ややかな目を向けていた。切れ長で整っているが、とても冷たい目をしていた。朱花はその金色の目に吸い込まれそうな気がした。
(なんで目がそらせないのかしら…?)
いつの間にか羞恥心はなくなり、朱花はそっと男の前髪に手をやった。すると男の表情が少しだけ動いた。朱花は男の濡れた前髪に触れた。そして前髪を手で分けて、隠れている左目をあらわにさせた。
(これは…!)
朱花は驚いた。左目も右目と同じような美しい金色の目をしていた。しかし、左目の周りの皮膚が青く、まるで鱗がついているかのようだった。
(やはり、龍の目…!)
朱花は男の左目の周りを手でなぞった。男は朱花の行動に戸惑っていた。
「お前、私が怖くないのか…?」
男は朱花の手を制止し、ぐっと掴んだ。なぜだか互いに目がそらせなかった。男は左目が熱くなるのを感じた。左目が疼く。全身の血が沸き上がるようだ。
「お前、何者だ…?」
男に問われ、朱花が答えようと口を開きかけたその瞬間、朱花の唇は男によって塞がれた。朱花ははじめ何が起きたのかわからなかったが、唇と唇が重なり合い、男が自分に口づけしていることに気づいた。
「や、やめて…!」
男の胸板をたたき、抵抗するが、逃れることはできなかった。長い長い口づけの後、ようやく男は朱花を解放した。ザブン、と湯の中に身を投じ、朱花は叫んだ。
「なんて人なの!あやまりなさいよ!初対面の相手に普通そういうことする⁉」
「お前、剣の巫女だろう。鷽が連れて来た娘だな。」
男は白い着物を手に取り、身にまとった。
「お前、名は?」
「朱花よ。あなたこそ誰なの⁉」
「第二皇子、皍だ。悪いが今のことはあやまらない。お前が誘った。そんな姿で近づくからだ。」
「誘った、ですって…⁉ そんな姿って…」
ハッと、自分が今何も身に着けていないことに改めて気づく。朱花は恥ずかしさが込み上げてきて、何も言えなくなった。
「次は途中でやめないから覚悟しておけ。」
皍皇子はそう言って唇の端を上げた。朱花は顔を真っ赤にしてお湯の中でうずくまった。皍は黒い眼帯を手にするとそれを左目にあてて覆った。
「どうして左目を隠すの…?」
朱花は思わず聞いてしまった。その質問に驚いたように、皍皇子は振り返った。
「この目は呪われているのだ。見るものすべての命を奪う。この目を見て平気なのはお前くらいだ。」
「え…⁉」
「皆がお前を剣の巫女だと言うが、私にはどうでもよいことだ。だが、この目を恐れぬお前は本当に龍の娘なのかもしれぬな…。」
皍はそう言うと、朱花に背を向け去っていった。
(あの人が、第二皇子、皍様…。)
朱花は火照る身体を抱きしめるようにして、皍の背中を見送った。