僕は13時間の命
午前9時にカーテンを開いて彼女を起こすのが僕の役目。
彼女はいつも早く眠るのに、どうしてか毎日遅くまで寝ているから大変だ。けれど起こさないといつも彼女は眠ったままになってしまう。
カーテンを開けて朝の日差しを取り入れて、お茶の準備をする。
彼女が目を擦って起き上がったのを見て、朝のいつも通りの挨拶を。
「おはよう、今日もいい天気だよ、アンリエッタ」
彼女の返答はいつも変わらない。
それを聞きながら、僕もいつも通りの返答を返す。
にこり、笑う。それに彼女も、にこりと笑う。
満足してお茶を注いで彼女へと渡した。
「カモミールのお茶にしてみたんだ、どうかな」
彼女は一瞬だけ不思議そうな顔をして、お茶を恐る恐る飲む。気に入ったようで、顔を輝かせていた。その笑顔一つだけで、僕は今日も頑張れるんだ。
僕の淡い恋心に、彼女は気付かない。きっとずっと、気付かないんだろう。でも、それで良いんだよ。
僕は君の執事だから。
今日の朝ご飯は君の大好きなスクランブルエッグに燻製タラのスープだって、良かったね。美味しいって食べる君を、見てるのも僕の役目。嬉しい役目。
お昼になって、おやつとティータイム。
赤や黄色の薔薇の咲く庭で、テーブルに座ってのティータイム。今日は珍しくお日様が顔を出したから、きっと彼女も嬉しいだろうな。
けど、いつも思うけど、その後の昼食はどこに入るんだろうねってぐらい食べる。
オレンジジャムと生クリームを挟んだスコーンにサンドイッチ。
さくらんぼのジャムのかかったシフォンケーキにベリーのたっぷり入ったパウンドケーキ。
君はいつもそれを紅茶と一緒にぱくぱくぺろりと平らげて、お昼ご飯まで本を読む。分からない字や言葉が多いみたいで、僕に聞いてくるけれど。僕が分からない事だって、きっと君は知っているはずなんだ。
でも、それを隠して聞いてくる君は、とっても可愛らしい。
僕が一日をずっと暇そうにしているって、そんな理由で話しかけてきているんだとしても、だ。実はそんなに暇じゃないんだよ、アンリエッタ。
でも君のくるくる動く表情を見ているのも好きだから、そんな事言わないけれど。
僕の淡い恋心に、彼女は気付かない。きっとずっと、気付かないんだろう。でも、それで良いんだよ。僕は君の執事だから。
今日のお昼ご飯は君の嫌いなカボチャとお野菜のシチューパイだって、ごめんね。美味しくないなぁって言いながらも食べる君を、僕は見ていた。
夜になって、彼女は夕食の時間。
ながーいテーブルの端っこで、ロウソクの光だけで行う晩餐会は、彼女のお気に入り。
一人だけで寂しくないの、と聞いたら、「君がいるもの」と返されたのはいい思い出だ。うん、だからって無防備にぱくつく姿を見せられても、僕が対処に困るだけなんだけど。
今日の御夕飯は………あれ、書いてないや。またコックの奴、サボったな。困るからやめて欲しい。
えーと、そうだ、今日はシチューがお昼だったから、軽くする予定だったんだ。
マフィンにシェパーズパイ。今日の君の夜ご飯。パイ生地を捏ねるに捏ねて、厚めに切る。
羊のお肉を使うから、臭みを取るためにコックと一緒に作っていく。彼女は僕が作ると喜んでくれるから。…今日のも喜んでくれると良いんだけど。
ロウソクの光に照らされる彼女はいつも綺麗。
あぁ、でも今日がもう終わっちゃう。残念だなぁ、もうちょっと一日が長くなれば良いのに。
そんな事を思っていたらちょっと焦がしてしまった。………ごめんよ、アンリエッタ。
焦げてない部分だけを出したら、案の定彼女はちょっとだけ首を傾げて問い掛けてきた。
これ、小さいわって、君いつも大きさ測ってるの?
はしたないからやめなさい、と言ったらしょんぼりされた。…悪い事してる気になるから、その顔だけはやめて欲しい。でも、僕だって怒る時は怒るんだよ。
訳を話して、ちょっぴりばかねぇって言われて。
それだけで僕は救われた気持ちになれるのです。
お風呂に入って、侍女達にそうとう甘やかされたらしい。彼女の髪も手先も爪の一本に至るまで、綺麗に磨き上げられていた。
いつもの事なのだけれど、今日は彼女もご機嫌だから、きっと侍女達もやりやすかったんだろう。
あぁ綺麗だね、と笑えば、彼女がひらひらと踊る。
一息吐いて暖炉の傍で本を読む彼女の目蓋が落ち始めた。
うとうと、うとうと。こっくり、こっくり。舟を漕ぎ始めたら、そぅっと抱きかかえてベッドまで運ぶ。
ふかふかの天蓋付きの、白いレースとピンク色のフリルの付いた可愛いって彼女が言うベッド。枕はこれまた可愛いと言う水玉模様とフリルの付いた大きい枕。
彼女が三人くらい入りそうな大きなベッドに、いつも彼女は一人で眠っている。
抱きかかえると、白いシルクのネグリジェを着た彼女からは、ふんわりと甘い花の匂いがした。
それにどきりとして顔を振る。その刺激で目を擦った彼女をベッドまで運んで、頭を撫でる。
可愛い寝顔を見つめて、今日もぴったり午後11時。
「おやすみ、アンリエッタ」
そう言って、向こう側に街の光が見える窓のカーテンを閉める。
おやすみなさい、と返ってくる言葉の代わりに静かな寝息がすぅすぅと響いていた。それに笑いながら、そっと暖炉の火を消して、電気をぱちんと消す。
ゆっくりと扉を閉じて、はぁと天井を仰ぎ見る。
そうでもしないと、泣いてしまいそうだ。
あぁ、明日の朝のお茶を入れないと。でもそれよりもまずは、君に言わなければ。
僕の眦から、涙が一滴、零れ落ちた。
今日も一日、ありがとう、それから。
「さよなら、アンリエッタ」
午前9時にカーテンを開いて彼女を起こすのが僕の役目。
彼女はいつも早く眠るのに、どうしてか毎日遅くまで寝ているから大変だ。けれど起こさないといつも彼女は眠ったままになってしまう。
カーテンを開けて朝の日差しを取り入れて、お茶の準備をする。
彼女が目を擦って起き上がったのを見て、朝のいつも通りの挨拶を。
「おはよう、今日もいい天気だよ、アンリエッタ」
「あなたはだぁれ?」
その言葉に、にこり笑う。
「僕は君の執事の、レオンです」
―――あぁ、また昨日の僕が、死んだ。