いちじく猫
猫には九つの命があるという。
例えば、海で溺れた若い娘。例えば、陸で轢かれた年老いた老人。
例えば、山で落ちた若い男。例えば、丘で身罷った侘びしい老婆。
例えば、まだ小さく幼い子。例えば、病で死んだ哀しく若い少女。
例えば―――
もうよそう。これ以上挙げても、キリがないから。
ともかく、それらの命を集め終えてようやく、わたしはきちんと猫の魂を得られるのだと、家の近くに居た年嵩の猫にわたしは教わった。
わたしは別に、そんなものを集めなくったって、良かったのだ。
人の魂を持ったまま、猫の振りをして生きていく事に、なんの罰が当たるものか。当たるわけがない。
人の魂は、もろい。
繊細な情に揺れ動き、いたずらに他者を傷付ける。だから、人の魂を持っているけれど、わたしは猫のまんまでのんびりと生きていく事が、とても気楽なように思えた。
けれども、だからこそ、猫には猫の魂が、必要だったのだ。
それを知ったのは、わたしの飼い主である坊やが、心臓の病で倒れてからだった。
あっけない。人の命は、あっけなく、終わる。
その事に、人の魂のままでは、耐えられない。猫であれば、余計、なおさらの事だった。わたしはこの時まで知る事はなかったけれど、人の悲しみというのは、人の姿をしていなければ、到底、耐えうるものではない。
わたしは、ひどく恐ろしくなった。悲しくて、苦しかった。同時に、坊やを助けようと、決めた。
年嵩の猫に教わった通りに、わたしは坊やのために八つの命を、からがら集めた。どうにかしたくて、ひたすらに集めた。
時に追い出され、時に蹴られ、時に傷付けられ。けれどどうしたって、集めなくてはと、闇雲にあちこちばたばたと走り回って、命たちを集めた。
八つの命を集めた後、ようやくわたしは坊やに会いに行った。
もうこの頃には、すっかり年も変わっていて、坊やは青年になっていた。
「にゃあ」
一声。そう鳴いてすり寄った体には温かさがない。慰めるように傍へと寄って、わたしはわたしを、切り、離した。
―――ふ、と青年が目を覚ます。
「何だか…あたたかいな…」
ぽつり、そう呟いて、いつの間にか傍らに寄り添っていた、久しく触れていなかった温もりに手を伸ばす。
いつの間に戻ってきたのだろう。毛並みは薄汚れて、見る影もないけれど、自分の傍に居た、あの賢い猫だと青年は何故だか分かった。
にゃあ。いつもと変わらないはずの、けれどいつもとは違う鳴き声に、青年は首を傾げる。
そういえば、いつも感じる胸の痛みが、今は遠い。それに気付いた青年は、身を起こして、猫を撫でた。
「…まるで君が、命をくれたみたいだね」
猫はその言葉に応える事なく、尻尾をぱたりと振って、ひとつ、あくびを零す。
「いつもの賢い君は、どこへ行ってしまったんだろう?」
くすくす笑いながら猫を撫でる青年の後ろで、遠く、チリンと微かな音が鳴った。誰の耳に届く事もなく、やがて風にさらわれて、消えていったのだった。