表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
フロウラーズ奇譚  作者: 山路 桐生
1/7

いちじく猫

 猫には九つの命があるという。

 例えば、海で溺れた若い娘。例えば、陸で轢かれた年老いた老人。

 例えば、山で落ちた若い男。例えば、丘で身罷った侘びしい老婆。

 例えば、まだ小さく幼い子。例えば、病で死んだ哀しく若い少女。

 例えば―――

 もうよそう。これ以上挙げても、キリがないから。

 ともかく、それらの命を集め終えてようやく、わたしはきちんと猫の魂を得られるのだと、家の近くに居た年嵩の猫にわたしは教わった。

 わたしは別に、そんなものを集めなくったって、良かったのだ。

 人の魂を持ったまま、猫の振りをして生きていく事に、なんの罰が当たるものか。当たるわけがない。

 人の魂は、もろい。

 繊細な情に揺れ動き、いたずらに他者を傷付ける。だから、人の魂を持っているけれど、わたしは猫のまんまでのんびりと生きていく事が、とても気楽なように思えた。

 けれども、だからこそ、猫には猫の魂が、必要だったのだ。

 それを知ったのは、わたしの飼い主である坊やが、心臓の病で倒れてからだった。

 あっけない。人の命は、あっけなく、終わる。

 その事に、人の魂のままでは、耐えられない。猫であれば、余計、なおさらの事だった。わたしはこの時まで知る事はなかったけれど、人の悲しみというのは、人の姿をしていなければ、到底、耐えうるものではない。

 わたしは、ひどく恐ろしくなった。悲しくて、苦しかった。同時に、坊やを助けようと、決めた。

 年嵩の猫に教わった通りに、わたしは坊やのために八つの命を、からがら集めた。どうにかしたくて、ひたすらに集めた。

 時に追い出され、時に蹴られ、時に傷付けられ。けれどどうしたって、集めなくてはと、闇雲にあちこちばたばたと走り回って、命たちを集めた。

 八つの命を集めた後、ようやくわたしは坊やに会いに行った。

 もうこの頃には、すっかり年も変わっていて、坊やは青年になっていた。

「にゃあ」

 一声。そう鳴いてすり寄った体には温かさがない。慰めるように傍へと寄って、わたしはわたしを、切り、離した。


―――ふ、と青年が目を覚ます。

「何だか…あたたかいな…」

 ぽつり、そう呟いて、いつの間にか傍らに寄り添っていた、久しく触れていなかった温もりに手を伸ばす。

 いつの間に戻ってきたのだろう。毛並みは薄汚れて、見る影もないけれど、自分の傍に居た、あの賢い猫だと青年は何故だか分かった。

 にゃあ。いつもと変わらないはずの、けれどいつもとは違う鳴き声に、青年は首を傾げる。

 そういえば、いつも感じる胸の痛みが、今は遠い。それに気付いた青年は、身を起こして、猫を撫でた。

「…まるで君が、命をくれたみたいだね」

 猫はその言葉に応える事なく、尻尾をぱたりと振って、ひとつ、あくびを零す。

「いつもの賢い君は、どこへ行ってしまったんだろう?」

 くすくす笑いながら猫を撫でる青年の後ろで、遠く、チリンと微かな音が鳴った。誰の耳に届く事もなく、やがて風にさらわれて、消えていったのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ