7,一夜あけて
遠くから流れる音楽で目が覚めた。
メンデルスゾーンの無言歌 作品19-3 狩りの歌
朝から軽やかな音だこと…ん?
「…ってこれ先生じゃ」
ムクリと起き上がろうとしたが…起き上がれなかった。
背中から抱かれるように腕が巻きついていて身動きがとれなかったのだ。
しかも体中の倦怠感に喉もなんか痛い…。うん啼かされた。
そうだ昨日あの後総司さんの寝室で…い…いたしてしまった…
昨夜のいやもうあれは早朝だろう痴態を思い出し赤面通り越して活火山寸前になる。
なんだあれは…あんな抱かれ方知らないっ!比べちゃいけないけど…文也との営みってなんだったんだと思い知らされた。経験の差っていうのかこれが!?なんかちょっと癪に障るけどとにかく口に出せないほどの痴態を演じたのは間違いなかった。
しかも二人ともあのまま沈んだ様なので勿論裸だ。うん…裸だよ!!
「はぅぁぁぁ!」
「何朝から奇声上げているんだお前は…」
眠そうな声で言いながら頭をくしゃくしゃと撫でられる。
「だって!はだっ…はだっか…!」
「なんなら今からでも?」
「課長のヘンタイッ!!!」
にやりと笑う総司さんは私の鼻をキュっとつまむ。
「いひゃっい…」
「今度課長1回につきペナルティーだな」
「無理ですっ!」
「ペナルティーは何がいいかな」
私はひとまず巻きついた片腕を外しながらスマフォを何処に置いたか考える。
隣の部屋?うん。全然この家の構図がわかんないや。
「お…おはようございます。すみませんちょっと電話したいです」
「おはよう…さっき何か鳴ってたな」
総司さんは起き上がると髪をかき上げながら時計を見た。
「もうすぐ昼だな…まぁ朝まで起きてたしな」
「そ…そーですね」
うつ伏せになって現実に悶える赤面魔人の私はもはや棒読みだ。
そんな私の横で平然としている総司を盗み見る。
寝起きで普段上げている髪は下ろされているので数段若く見える。眼鏡を外している姿も初めてで、その切れ長の瞳だけでも十分お腹一杯になりそうだ。予想していた通りに腕以外も引き締まっている筋肉で歩く彫刻かっ!と内心突っ込みたくなった。
「携帯もってくる」
「あ、ありがとうございます」
私も起き上がり周囲を見渡す。どうしよう、着る物がない。
帰って数日分の衣類まとめないといけないな。むしろ誰に泊めてもらおう。
考えているうちに総司さんがスマフォとミネラルウォーターと一緒に品のよさそうなシェルピンクのワンピースを持ってきてくれた。
「姉の物で悪いけど、よければ着て?」
「あ、ありがとうございます」
スマフォを見るとやはり師事であるドィルヒュエ・シャーノンからの国際電話だった。
さっそく折り返し電話をかけると3コール以内で繋がった。
「おはようございます。沙紀です」
50も半ばに差し掛かった先生の少し太い声が響く。相変わらずお元気だ。
『おお、おはよう沙紀。元気かい?』
「元気ですよ、先生こそお酒ばかり飲んでないですか?」
『妻と同じ事をいうんじゃないよ。私も元気だよ』
「それはなによりです」
『ところで沙紀。来月其方にいくことになったんだよ』
「え?そうなんですか?」
『うん。弟子のリサイタルなんだが急遽自分も参加することになってね』
「わぁ・・・それは楽しみです!久々に先生の演奏私も聴きたいです」
『勿論、沙紀のチケットも用意しておくよ。それでひとつお願いがあるんだ』
「お願いですか?」
『うん。ケンジのお墓にも…是非行きたいとおもってね。こんな機会はなかなかないだろうから』
「お父さんのですか?」
『出来れば沙紀の予定を空けておいてほしいんだがどうだろうか?』
「はい、先生の日程にあわせて予定を空けておきます。父も喜ぶと思います」
『ありがとう。何か困ったことはないかい?』
「大丈夫ですよ。毎回そればかり」
くすりと笑いながら私も毎回同じ返事をする。
『友人の大事な忘れ形見だからね。沙紀には幸せになってほしいんだよ』
これも毎回の事だ。
「大丈夫。元気にやってます。…あぁ実は昨日188を弾かせてもらったんですよ」
『ほぅ?どこかにいったのかい?』
「ちょっとカクテルが飲めるお店に」
『そんな場所にあるのか』
「私も驚きました。しかもそこのマスター私の師事を一発で当てちゃったんです」
『それは…私も興味深いな』
「時間があれば是非ご一緒にいきましょう」
『そうだね、是非いってみたいよ』
ドィルヒュエ・シャーノンと父との関係はあまり詳しく聞いたことはないが、父が若い頃にドイツ留学した際に知り合った友人だという話は父から聞いたことがあった。長い付き合いだなとおもう。
父母の死後、一番親身になってくれたのは先生ご夫妻だった。
ドイツからわざわざ日本に訪れてくれた程だ。
有名な演奏家でもある彼も普段から飄々としているがとても多忙な人だ。そんな人が自分たちのためだけに日本まで来てくれて、あの時はどれほど泣きついただろうか。
姉はピアノではなくバレエを習っていたのであまり先生とは交流がなかったのだが、あまりにも親戚とは疎遠にしていたため先生に頼る形になり姉妹揃ってとても感謝していた。財産等の管理も先生の伝で良い弁護士に恵まれた。
幼かった姉妹には神様のような人である。勿論今でもとても尊敬している。
「電話、終わった?」
「あ、はい。終わりました」
どうやら電話の間にシャワーを浴びていたらしい。髪がぬれている。
「沙紀もシャワー浴びておいで」
浴室に案内してもらい「これも姉のだけど」といって大量のサンプルを置かれた。
「お姉さん?よく来られるんですか?」
「よくでもないけど、たまに来ては飯とか作っていったりはするかな?」
「仲がいいんですね」
「来るときは大体厄介な事頼まれるがな…」
苦笑いしながら総司さんは浴室を後にした。
姉弟かぁ…いいな。
私と姉もとても仲が良かった。
姉は雰囲気も容姿もとてもふわりとした人でどちらかというと母親に似ていた。
私のくっきりとした目元や輪郭は父親似。二人に共通してたのは母親譲りの低身長だろうか。父は180を悠に超えていた。
普段穏やかな姉だったがバレエを始めると途端に情熱的になる。
うまく踊れないと悔し涙を流しながらでも踊り続ける芯は強い人だった。
それが何故あんな最悪な結末を迎えてしまったのか…今になっても謎と後悔ばかりだ。
借りたワンピースは膝丈のAラインワンピースで私が普段着ないような色だからか、なんだか気恥ずかしかった。
普段はどちらかというと濃い目のパンツスーツが多い分余計だ。
「可愛いよ」
「…ちょっと恥ずかしいです」
「会社では着なくていい。変に目立つと後で困るから」
「へっ?目立つって誰がですが」
「気付いていないならそれでいい」
なにか一人で納得したようにコーヒーを差し出してくれた。
「さて昼飯は外で取るとして、今日の予定だ」
「どっちにしても一度帰らないとなにもないんで。あ泊まる所も考えないと…」
そう言うと総司さんは眉間に皺を寄せた。
「泊まるのはここで問題ないだろう?」
「それは…ご迷惑というか」
「まだわかってないようだな、沙紀は俺の何だ?」
思考が固まる。何だと言われて何て答えればいいのか…
なかなか口に出せないでいると総司がテーブルに置かれている私の手を握る。
「俺の何?」
「え…っと…かの…じょ?」
「何で疑問系」
またクツクツと笑い出す。
「すみません。どういっていいのか分からないんです」
苦笑いするのは私の番だ。
別れてその日のうちに新しい人っていうのは世間一般ではありなんだろうかと。
正直に言おう。3課課長の小暮総司という人物は私には出来すぎな人物なのだ。
つまり「想定外の人物」まさに「高嶺の花」のようなものでこんな関係になるという事すら考えた事がなかった。
しかも別れたその日のうちにだ。
自分がどうしたいのか正直全くわからない。勿論嫌いなわけでもない。
今まで付き合ってきたのが文也一人だけだったので恋愛スキルは底辺なのだろう。
と、掻い摘んで総司に伝えると彼は笑った。
「なるほどな、でも沙紀が負い目を感じる必要はない」
「そうでしょうか…」
「このチャンスを逃して後悔するのはむしろ俺だからな」
「チャンスですか」
「何年お前を見てきたとおもう…」
「それこそこっちが聞きたいですよ!いつからですか!」
「そのうちな」
またはぐらかされた…。