6,絆されて
そして現在。
こともあろうか小暮のマンションである。
ちょっとまて私、どうしてここにいる!?
その辺で落としてくれといったはずなんだが即効で却下された。
エレベーターに乗りつつ徐々に冷静を取り戻してきたが、私いいんだろうか?
「散らかってて悪いな。適当に座ってくれ」
「いや…あの全然キレイです。むしろご迷惑じゃ…」
「その辺に捨てて問題起こされる方が大迷惑だ」
「問題って…」
小暮はにやりと笑うとネクタイを緩める。
「僕は優しい上司だとおもうぞ?」
「はぁ…」
「何か?」
「いやぁ…課長の彼女様に申し訳ないと…」
普通嫌でしょ。いくら部下でも女を自宅に上げるとか。
少なくとも私は嫌である。そんなに人間できてないから。
「そんな相手がいたら一之瀬を上げたりしないよ」
「へっ!?」
「驚くことか?」
「驚きますよ!むしろいないとかなんでですか!課長ならよりどりみどりでしょうに!」小暮がムッと不機嫌な顔になる。
「その辺の誰かじゃ意味無いだろう」
「まぁ…そうですけど」
「狙っているのは一人だけだ」
「おおぅ…!なんか弱み握ったみたいで新鮮ですっ!」
「何を言っているんだお前は…」
「課長の思い人を是非に事情聴取…なんちゃって?」
おどけて見せると小暮ははぁ…とため息を吐く。
「ミネラルウォーターでも飲むか?」
「すみません、ありがたいです」
冷蔵庫から出された500のペットボトルを受け取る。
3人座れるようなローソファーがあったがそこには座らずソファーの下にちょこんと腰を下ろす。ファーのようなふわふわなカーペットが気持ちよい。
「それで、どうするんだ今後」
突然である。もう少し現実逃避させて欲しかった。
「んー。とりあえず週末は友人の家にでも転がろうかなと思いますが…」
「相手と話すつもりはないのか?」
「話しですか?ありませんね」
私はきっぱりと答える。
「即答だな」
ペットボトルをポコポコっと押しながら自分の気持ちを整理する。
「冷たいのかもしれないですけど…私にとって浮気は禁忌なんです。一度でも裏切ったらそこで終わり…たとえ5年付き合ったといっても。正直もうダメなんです、一気に気持ちは氷点下ですね」
あははと苦笑いしながら小暮を見る。
「やせ我慢とかじゃなく?」
「ないですね」
「それもまた即答だな。何か過去にあったのか?」
「誘導尋問ですか?」
「その潔さが気になる」
「…」
一呼吸置いて小暮を見る。プライベートはかなり謎な人ではあるが、この人は信用できるとこれまでの付き合いで確信している。大学時代の友人以外には初めて話す事だ。
「姉がいました…」
「過去形か…」
「はい。5年前に亡くなりました。自殺ですよ、まじで笑えない…」
姉の由紀は私より3歳年上だった。
結婚を控えた相手がいたが、そいつがまた最低最悪なクソ野郎だった。
姉以外にも関係を持っていた女性が複数人いたのが露見したのは結婚式1ヶ月前。
「最終的に結婚しても関係を続けるそぶりを姉にしたらしくて、泥沼ですよ」
「最低なやつだな」
「はい。でも…それでも姉は好きだって言うんです。亡くなったのは式の一週間前でした。遺書もなかったんでその理由は私には結局分からないままです」
「…それでその男は?」
「葬式にすら姿を見せなかったですよ?」
「人間のクズだな…」
「本当に。一度だけ街で偶然あったんで思わす殴っちゃいましたけどね」
ブッと飲みかけていたミネラルウォーターを噴出しそうになった小暮は驚いた様子で私をまじまじと見た。
「殴ったっていっても平手ですよ?」
「意外とやるんだな」
「姉はもう唯一の肉親でしたから…」
「…そうだったな」
姉の亡くなる一年前に両親も既に交通事故で亡くなっていた。
姉と結婚しようとした理由は、両親の遺産だったのではないかと今は推測している。
外交官だった父親は私たち姉妹にかなりの遺産を残してくれていた。
「なので浮気は私の中で100%『悪』です」
「なるほどな…」
「課長のなかでは浮気はアリなんですか?」
「いきなり僕に振るなよ…」
「ここまで話したんです。今後の参考にお願いします?」
首を傾げながら悪げもなく答えを促す。
「なしだな」
「課長もまた即答ですね?」
「少なくとも僕ならちゃんと相手に終わりを告げて次に進むだろうな」
「成る程。新しい恋の前に終わらせる恋か…」
「ダメか?」
「いえ、むしろそれが当たり前だと思います。気持ちなんて変わっちゃうから仕方ないと思います。そのままずるずる続けるなんで所詮偽善でしかない」
ペットボトルの中身を空にするとはぁーとため息をはく。
「幸せがにげるぞ?」
「大丈夫です。逃げたらまた捕まえますから」
「男前すぎるだろ」
笑いながら小暮は私の横に腰をかけて後ろのソファーに背を預ける。
なんだかいつも以上の至近距離でかなり緊張するのだが…。
「課長、なんで横ですか…」
「ソファーを一人で占領するつもりか」
「申し訳ありません」
暖かくなった室内のお陰か再び眠気が襲ってきたような気がする。
このままここで眠ってもいいものだろうかとテーブルに頬を預けて横にいる小暮を観察する。
本当にどこから見てもいい男だとおもう。
身長も180を超えているであろう、私は155だから身長差でかなり見上げることになる。
細身だがひょろいわけではない夏場に見た筋肉の程よく着いた腕は全身も鍛えているであろうと想像がつく。細い切れ長の二重の瞳もすっと通った鼻筋も少し薄めの唇も、よくよく見るとどこまでも整った容姿だ。
オプションされているテンプル部分がシルバーのツーポイント眼鏡がなおさら憎らしいほど似合っている。
そして止めのバリトンの響く声だ。まじで憎らしいほど整ってるわ…。
仕事になるとストイックが増して鬼畜になるのが難だが…。怒った時は声ですら人を殺せるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながらウトウトしてきた私に小暮は気づいたのか聞いてくる。
「僕の顔がそんなに見てて楽しいのか?」
楽しい?何のことだろう。はて?とおもったのが顔に出ていたのか小暮が噴出す。
「一之瀬、顔がにやけているぞ?」
「いつもそんな笑顔だと仕事中も眼福なんですけどね~」
どんな顔してるのか今更どうでもいいやとまどろむ意識で答える。
「眼福か…」
「眼福ですねぇ~…いつもそれでお願いしますよ皆喜びますよ~?」
近づいてきた眼福の手がすっと私の頬を撫でる。
「一之瀬…」
思考がまどろんでいたが冷やりとした頬で一気に覚醒する。
「か…課長?」
「なんだ?」
「か…顔が近いです」
急いで起き上がるが頬に当てられた小暮の手はそのままだ。
片手を床について少し後ずさりするがそうすると小暮がまた距離を縮める。
え…何?どういう事?
「か…課長…酔ってるんですか?」
「酔っていた方がいいか?」
「質問を質問で返すのはずるいです」
小暮は目を細めてそのまま私の頬を撫でる。
「酔ってても、シラフでも、お前のことしか考えてないよ」
「っ…」
なんて殺し文句を言うんだこの人は!
「俺は聖人君子でもなんでもないんでね、付け入るべきタイミングを逃すほどの善人じゃないんだ」
にこりと笑いながらもう片方の手も私の頬に添える。
きっと酔いのせい以外で真っ赤になってる私の顔が冷たい課長の手で少し熱を冷ます。
「いっ…意味がわかりませんっ。しかも一人称俺になってるしっ!」
「素の自分をさらけ出した方がいいだろ?これからの付き合いもあるしな。眼福だろ?」
「もっと意味がわかりません~~!!」
「はっきりと言った方がいいか?」
「何をですかっ!」
もう一歩後ずさりしようとしたところで腕がかくりと力をなくし重力に従うべくごとんと床に倒れこんでしまう。この状態でこの状況である、今の私はかなりてんぱってる。
小暮は体重をかけないように私に被さるように距離を縮める。
「か…ちょ…」
「さっきも言ったろう?」
「ふぇ…?」
「狙っているのはずっと一人だけ。一之瀬お…前だけだ」
「ええっ…!?」
顎を上に向けられてそっと生暖かい何かが振れた…そっと振れるだけの唇と唇。
今の…キス?私課長にキス…された?
「あっ…」
「目ぐらい瞑れよ?」
「だっ…だって…まっ…」
「俺じゃダメか?…嫌か?」
倒れたせいで外れたバレッタのお陰で床に私の髪の毛が広がる。結構髪質は自分でも気に入っているのだ。だから手入れも丁寧にしている。
片肘を床につきながらそっと自慢の髪を撫でるその仕草がまた格好良くて、もう片方で私の唇にふれている。
「とっ突然すぎて混乱してますっ!」
「俺にしてみれば全然突然じゃないんだがな?」
「いつからなんですかっ…」
「いつからだろうなぁ~」
なんて曖昧に答えられてさらに混乱する。
「他なんて目に入らないくらい沙紀しか見てなかったよ」
「課長…」
「いつも髪留めしてるからな…俺の手で外した姿を見たかった」
いちいち色っぽい台詞が私の脳を焼ききりそうだ。
なんでこんな優良物件が私に愛を囁いてるの!?冗談でしょ!?
「おい?思考が駄々漏れでるぞ」
優しい手が髪を掬い上げる。
「今がお買い得の優良物件はいかがかな?お姫様…」
クツクツと笑いながらもそっと唇がまた私の唇にふれる。今度はさっきとちがう啄ばむ様に何度も色んな角度から。
「は…ぁ…かちょ…」
「俺の名前は?」
「ふぇ…?」
チュっとリップ音と立てて上唇を吸われる。
「俺の名前はなんだ?」
ふわりとした意識の中で小暮の名前を思い出す。
「総司…さん…」
「いい子だ、沙紀」
そういうと課長…総司さんはおいかぶさるように私を抱きしめ深い口付けを落とした。
今度は深い深い激しい口付け。咥内を蹂躙されるような荒い行為に私の意識はもはやきれぎれ状態だ。
「まっ…」
「もう待てないな」
「だって…私別れたばかり…」
「尚更とっとと唾付けとかないとダメだろう?」
そういい終わるとまた深い口付けが始まる。
ダメだ…口でも全然適わない。
このままじゃ流されちゃう。どうしよう…。
でも本当は私、嬉しいかもしれない。しれないじゃない…嬉しいんだ。
ここまで自分を必要だとおもってくれる。自分を愛しいとおもってくれる人がいるのが嬉しい。それがこの人…小暮総司であることがもっと嬉しいと感じている。
気づくと自然に両腕を総司の背中に回していた。
「沙紀?」
「私…全然可愛くないですよ?」
「俺のお姫様は誰よりも可愛いよ」
「意地っ張りで素直でもないですよ?」
「お仕置きのし甲斐があるなぁ」
ホロホロと静かに流れ出す涙を唇で吸い取りながら優しく髪を撫で上げる。
「私のこと…ずっと好きでいてくれますか?」
「お姫様の仰せの通りに、めちゃくちゃに…甘えさせてあげるよ」
口付けが合図の様に二人の甘い逢瀬が始まる。