2,深夜残業
40分前後で会社に入ると営業部では4名とも電話対応中であった。
「お疲れさまです」
返事に期待する事もなく課長デクスに向かう。
課長である小暮総司は一言でいうとモテる。
容姿もさることながらいろんな意味でハイスペックなのだ。
神様は自分の好み全部詰め込んで作ったんじゃなかろうかなんて想像する。
小暮は電話しながら横目で私を確認すると机においてある書類を私にヒラヒラをかざす。それを受け取ると自分のデスクに向かい内容を確認する。
読みながら頭を抱えていると根源の相沢が電話を終えたのか私に走りよってくる。
「一之瀬さぁ~ん!!!」
涙を流さんばかりに走りよってくる彼に思わず毒づくのは許して欲しい。
「相沢ぁ…ふざけてんのかあんたは!!」
「申し訳ございません。本当にすみません。こんなミスするなんて」
「国内ならまだしも…」
資料を見る限り国外がいくつか入っている、このメンバーで対応できるのは私と課長くらいだろうか。
元々2課から引き継いだ案件だったので3課の私たちには承認後に対応することになった。そうでなければこんなミスはしていなかったはずだ。
それでも相沢がFAXする前にでも確認するべきだったと反省する。
この課のメンバーでは英語は必須である。がその他の国に関して言えば何人かのグループで対応を行っている。
課長以外の3人を見る限り一人は中国を担当しているので資料内でその他の国に関しては未だノータッチなのだろうと想像できる。
電話を終えた課長が資料を見つつ私に指示を寄こす。
「一之瀬、EUの方頼めるか」
「了解しました」
私が担当する国は…オランダ、スペイン、ドイツか。
私は早速デスクに向かい時差を確認する。
相手の担当者を確認しつつ資料を見ながら案件の検討をはじめる。
英語圏だったら楽であったがドイツ語が混じるのでさらりと頭の中で業務用語を出しつつ簡単に用件を箇条書きしていく。
この課に配属されて凡そ4年。
もともと帰国子女である自分にとって翻訳やら通訳はまさに天職であったといえよう。
高校2年に帰国し父親の知人の伝でそこそこの私立に無事編入した。
外国生活が長かったために日本に帰国してから大分カルチャーショックを受けた部分があったが、そんな私に周囲は優しかった。
外交官だった父親が厳しく語学を学ばせてくれたお陰で既に英語、オランダ語、フランス語、ドイツ語、イタリア語はマスターしていた為更に生かすべく都内の国立大学へ入学した。
お陰で今では10ヶ国語を華麗に操れる。今後はアジア諸国も習いたいともおもっている。
「相沢、受注の確認とれたのかして。時間あるから全部まとめるわ」
「あ、はい。助かります」
「あ、皆さん小腹すいてたら適当に買ってきたので召し上がってくださいねー」
「「ありがとう~助かる」」
キーボードを操作しつつ自分もカロリーメイトを口にする。
片手で食べれるものを意識して購入してきた。
食事に時間を取られている余裕が無い。口と手を動かしてとっとと帰宅するのだ。
「これ課長に見てもらってOKなら終わり…かな?」
相沢に書類一式を渡し目頭を押さえる。時間で言うと今はもう深夜2時になる。
外国相手だと時差を考慮してこんな深夜残業にもなるが正直今日はかなり疲れている。
肉体的にはたいしたこと無いが今日の自分は精神的な打撃が多い分早く帰って寝たかった。アロマでささくれ立った心を癒したい。
小暮は書類に目を通し、実際の契約内容を確認しながら漸く判を押した。
「皆、ご苦労だった。これで上にまわせる。相沢は週明けに始末書だ」
「わ、わかりました」
「失敗は誰にでもある。それを生かすのも殺すのも自分自身だ。いつまでも悔やんでいたって何も生み出せないぞ」
「はっ…はいっ」
まさに飴と鞭である。小暮の仕事量は下っ端の自分に比べると雲泥の差があるほど多いが自分に対してとてもストイックなほど厳しい。
そして部下に対してもそうである。妥協は許さない。ついてこれる部下はその分限られてくる。この営業3課はある意味そんな小暮についていける者だけの精鋭集団でもあった。彼についていけば自ずと自分の能力があがる。
そんな自分もどれだけ泣かされ無茶振りされたことか。移動願いを出そうと本気で考えたのも一度や二度じゃない。
「あー俺今日せっかく彼女と会う約束してたのになぁ~」
と呟くのは巻き込まれた同僚。
「まぁ、これ貸しな?旨いもの期待してるし?」
とニヤニヤと笑いながらコートを羽織りつつ帰路の支度をする。
ネチネチ言うのも今だけだ、禍根を残さないのも我が課のいいところだ。皆月曜には忘れているはずだ。
「美味しい場所探しておきます!」
「期待してる」
「一之瀬さんもわざわざありがとうございました。本当に助かりました」
「いえいえ、知らずに月曜までいってたら私が酷い目にあったからいいわよ」
グループで分業してるといえ、主に翻訳を必要とするやり取りはこの課では私が中心に行っていた。
特に急を要する案件は即座に対応できるスキルをもっていなければ結果が出せない。
それを判断した上での小暮からの電話だったのだと理解している。
ドイツ語に関して言えば自分以上の語学力がある人間はここにはいないと自負しているのでそれに対応するのは自分の役目だとも自覚している。
「さて、こんな時間だがどこかで食べて帰るか?」
一人は彼女と連絡を取ったのかそのまま彼女の元へ帰っていった。
勿論相沢は強制である拒否権などない。
さて、私はどうしようか…
コートを羽織りながらポケットのスマフォを見ると…
「うげッ…」
蛙のような声を発した相手(自分である)に一斉に集中する。
「どしたんですか?」
首を傾げながら聞いてくる相沢に苦笑いしながら小刻みに手を振ってみせる。
「いや…なんでもない。私も同行させて頂きます」
業務の間サイレントにしていたスマフォには、先ほど別れたはずである文也からの着信が10件以上入っていた。