戦後編(ネタに近し)
最近、文が出ないので戦後編を考えてみた。
あくまでもネタなので本当にこうなるかは未定です。
1945年8月15日、日本とアメリカは和平停戦でハワイオアフ島にて合意しハワイ条約が締結した。しかし、それを良しとしない国もあった。
ソビエトである。ソビエト――スターリンは日米の停戦に激怒しアメリカに支払うはずだったレンドリースの料金を踏み倒して更に日本へ宣戦布告をするのである。
予めソ連参戦に備えてきた日本は満州から整然と撤退するが逆上陸としてカムチャツカ半島に上陸。新型の四式戦車を先頭にソ連軍戦車部隊を蹴散らした。
結果としてはソ連は満州、半島とシベリアを得たがカムチャツカ半島方面を失う羽目になる。
スイスでの外交を通して日ソ条約の締結で全ての戦争は終わりに迎えた。将和の戦いはそこで終わった、少なくとも本人はそう思った。
半島で米ソの支援を受けた北と南が独立したが1950年、史実通りに戦争が勃発した。
将和の予想以上に北は奮戦し釜山が陥落、南の臨時亡命政権は福岡に逃げ込み博多一帯を占拠する博多事件が発生。南の暴走に日米は翻弄するも博多事件の首謀者達を全員処罰した事で事なきを得た。
北は日本が南を支援したと判断して日本にも宣戦布告、ソ連のウラジオにいたウラジオ艦隊は義勇艦隊として北に参戦する。義勇艦隊は対馬に上陸して一時占拠した。
GF長官になっていた将和は第一、第二艦隊を出動させた。
「東郷長官、貴方もあの時はこんな気持ちだったんですか?」
1951年5月27日、将和は第一艦隊旗艦出雲に座乗して日本海にいた。
「敵艦隊との距離約三万六千!」
「三好長官、どちら側で合戦をなさるのですか!?」
(………)
将和の脳裏にはあの時の海戦が思い出された。そうだ、あの時も俺は三笠の艦橋に……。
「この昂る気持ち……東郷長官も経験したのかな……?」
「三好長官……?」
第一戦隊司令官の松田少将の問いかけに将和は右手を挙げた。
そして挙げた右手を左へ倒した。
『ッ!?』
将和の意図は艦橋にいた全員が読めた。空かさず出雲艦長東藤晃大佐は伝声管に向かって叫んだ。
「とぉーりかぁーじ!!一杯!!」
『とぉーりかぁーじ!!一杯!!』
出雲を先頭に第一艦隊はあの時と同じくウラジオ艦隊の目前で取舵を選択、出雲が取舵をしたところを基準に各艦はダンサーの如く取舵をするのである。
そして将和は再び伝説を作らせた。
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