第七十一話
10月、神武天皇即位紀元2600年を奉祝して横浜港沖にて紀元二千六百年特別観艦式が開催された。参加した聯合艦隊の艦艇は98隻(596,000トン)と航空機527機が参加してそれぞれ観艦式と海軍航空隊及び観艦式参列艦船搭載機による空中分列式(編隊飛行)が執り行われた。
なお、先導艦は第二艦隊旗艦の高雄だが高雄の艦橋には将和はおらずわざわざ九七式艦攻に搭乗してかつての教え子達と共に陛下を出迎えたのである。
(はぁ、飛ばないと気でも晴れんな……)
九七式艦攻を操縦しつつ将和はそう思う。8月31日まで駐リトアニア在カウナス日本領事館領事代理の杉原千畝がユダヤ人に大量ビザを発給していたが政府はむしろそれを早々と許可しており史実以上のユダヤ人がアメリカや南樺太等に避難したのである。
勿論、ヒトラーはそれに激怒したが対ソ戦を考えると日本の力は必要と判断して苦々しく日本の行動を黙認するのである。
9月23日、日本軍はフランス領インドシナ北部に進駐を開始した。しかし、松岡・アンリー協定が締結されていたにも関わらず、ヴィシー政府は協定を破棄し進駐してきた日本軍の攻撃を開始したのである。
「カエル野郎め、いきなりだと!?」
報告を聞いた東條はヴェルダンでの事を思い出した。
(まさか……あの事をまだ根に持っているのか?)
ヴェルダンでの一連の出来事を根に持っているとしたら? ヴィシー政府の長であるペタンは先の大戦にも参加していた将軍だった。曲がりにも辻褄は合ってしまう事に気付いた東條は頭を抱えた。
多少の戦闘はあったものの、総督のジャン・ドクーにより停戦しその後は難なく進駐が出来たのであった。
そして9月27日、日本はドイツ、イタリアとの間で遂に日独伊三国同盟を締結したのである。最初こそは同盟に反対の立場だった将和だが、ドイツ国内でヒトラーが演説で「かのアトミラールミヨシがいる日本と同盟をすれば我がドイツは無敵である!!」と宣伝をしまくった事もあり日本でも同盟が再燃してしまったのである。
このような経緯もあり将和や宮様らでは同盟の熱を押さえきれなくなり、同盟を締結せざるを得ない状況になったのである。
「三好を担ぎ上げようとするのか……」
ヒトラーのやり口に陛下も苦々しくそう述べるのみだった。なお、一方の将和はというと……。
「はぁ……なっちまったのなら仕方ない。今すぐドイツに譲渡したチハの二両をイタリアに売ろう(イタリアを強化しないとヤバイしな)」
逆転の発想とも言える案を出してドイツも将和を担ぎ上げた事に何も言えずイタリアにチハを譲渡したのである。
そしてこれで一番の勝ち組となったのはイタリアである。
「何という事だ。まさか日本が噂のチハを譲渡してくれるなんて……」
ベニート・ムッソリーニは笑顔になりながらも報告書を見ていた。
「直ぐにライセンス生産をしよう。今の我がイタリア軍の戦車にチハは必要だ」
「しかしドゥーチェ……」
「M13/40でイギリス等に対抗出来ると思うかね?」
「無理ですね」
ムッソリーニの言葉に部下は即答だった。イタリアは直ちにチハのライセンス生産を求めて日本はライセンス生産を許可したのである。なお、陸軍内では「チハの情報が漏れる」と不満を抱いた者も多数いたが東條達は「チハより更に最強な戦車を作られば問題無い」とし新型中戦車の開発が早くも乗り出されたのである。
同年10月31日、バトル・オブ・ブリテンは遂に終わりを告げた。ゲーリングがこれ以上の爆撃は無理だと判断したからであった。ロンドン誤爆後は時折ロンドン空襲をしていたルフトヴァッフェだが基本的には軍需工場を徹底的に叩いていた。ロンドン空襲を強く主張するヒトラーとの対立が日に日に悪化していた事も影響していた。結果としてイギリスは史実より二割増しの被害を出しその影響は東南アジアへの戦力が後にアフリカ方面に抽出され史実より戦力が低下する事になる。
同年11月11日、イギリス海軍はイタリアのタラント港を攻撃しイタリア海軍は史実通りの損害を出した。
「三好中将、タラント港の話は聞きましたか?」
「おぅ山本か」
たまたま海軍省に来ていた将和に山本五十六はそう声を掛けてきた。
「三好中将、日本でもやれるかね?」
「……真珠湾か?」
将和の問いに山本は無言で頷いた。
「僕は対米戦は出来るだけ避けたい。だがいざ戦争となれば国力に劣る日本に勝ち目は無い」
「そしての真珠湾か」
将和はそう言ってお茶を飲む。
「初撃で米太平洋艦隊は叩きたい」
「……安心しろ山本。真珠湾構想は10年以上前から進められている」
「……えっ……?」
唖然とする山本に将和は苦笑しつつ別れるのであった。そして12月、遂に国民党軍が反撃を開始した。
「撃ちまくれ!! 防御線を維持しろ!!」
砲火が激しい中、下士官達が兵士達に叱咤する。陸軍が戦線の縮小を進めていた事で蒋介石は好機と判断したのである。しかし、日本軍も負けてはおらず戦線は破られる事はなかった。
一方、空ではアメリカ義勇軍のフライング・タイガースがP-36を装備して参戦していた。
「P-36!? て事はアメリカが義勇軍を出しやがったな!!」
零戦一一型に乗り込む将弘は愚痴りつつも機首の13.2ミリ機銃をP-36に叩き込んで撃墜させた。
『よくやった将弘』
「そいつはどうもです坂井二曹!!」
列機の坂井からの言葉に将弘はそう答えつつ後方を確認して安全を図る。
「全く……どうなる事やら……」
そうぼやく将弘だった。基地に帰還すると塚原中将らが出迎えた。
「おめでとう三好中尉。撃墜数が70を越えたそうじゃないか」
「はぁ、ありがとうございます」
笑顔の塚原中将に将弘は困惑する。
「祝い品だ、受け取ってくれ」
「はっありがとうございます!!」
将弘は塚原中将からジョニ黒を受け取るのであった。その夜、将弘は塚原中将から貰ったジョニ黒をちびちび飲んでいると既に酔っ払った赤松と坂井らが現れた。
「どうした将弘?」
「……最近思うんです。このまま戦闘機パイロットをしていていいのかと」
「……親父さんか」
「………」
赤松の問いに将弘は無言で頷いた。
「以前までは親父を追い越そうと思っていました。けど最近、戦闘機で親父を追い越すだけで良いのかと思うようになりました」
「……戦闘機に迷っちまったか……」
「……はい」
「偉大過ぎる親父だものなぁ……」
赤松はそう言って将弘が飲んでいたジョニ黒を飲む。
「将弘、悩むのは大いに結構だ。だから悔いの無い事をしろ。俺達はお前の進む道は応援してやる」
「……ありがとうございます赤松さん」
赤松の言葉に涙を流す将弘だった。そして翌年の1941年の幕が開けた。
「……遂にこの年が来たか」
将和は自室にてお茶を飲みつつそう呟く。その時、扉を叩く音がした。
「親父、将弘だ」
「おぅ、入れ」
年始の休暇で将弘は自宅に帰れた。将弘はそのまま父親である将和の部屋を訪れたのである。
「どうした?」
「……戦闘機から転属したい」
「……戦闘機が嫌になったのか?」
「違う!! 戦闘機は好きだ、けどそれでは親父を越えられない。俺は……俺は親父を越したいんだ!!」
バァンと将弘は机を叩く。その衝撃で湯呑みが倒れて残っていたお茶が床に零れた。
「……分かった。俺を越したいのであればそうすれば良いさ。ただしだ」
グイッと将和は将弘の胸倉を掴む。
「……死ぬな。生きて生きて必ず帰ってこい」
「……あぁ!!」
将和の言葉に将弘は力強く頷くのである。部屋を出る将弘に将和はポツリと呟いた。
「一皮剥けたじゃないか……」
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