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第六十三話





 8月13日夜に勃発した第二次上海事変にて海軍は上海租界と第三艦隊、現地居留民を支援するために三日間に渡る長距離爆撃を敢行した。後に渡洋爆撃と名付けられる事になるが海軍では爆撃隊の被害に頭を抱えていた。


「そんな被害があるはずは無い!! 三好中将の陰謀だ!!」


 そう軍令部内で叫ぶのは作戦課部員の三和義勇中佐である。三和は戦闘機無用論に心髄傾いて戦闘機搭乗員縮小計画を推進しようとしていたが将和ら戦闘機パイロット出身将官らが反対していた事で事あるごとに衝突していた。しまいには史実にて柴田武雄に発言する「海軍は伝統的に攻撃精神であり一機でも攻撃機、爆撃機を増やすべきである。中将は戦闘機を過大評価している。それでも日本人か!!」を将和に発して将和が「そんな伝統的な精神があるか糞ボケ!! 海軍は日本を守るためにあるんだ!!」と三和に右ストレートを叩き込んで病院送りにしてしまう強打事件も発生してしまう。

 三和を病院送りにした将和も悪いが上官に対しての反抗的な発言は無視出来ないとして宮様は将和に三和の治療費を請求し三和へは将和に謝罪でとりあえずは鉾を納めたがそれ以来は戦闘機パイロットと爆撃機パイロットで戦闘機無用論が絶え間なく論争が続けられていた。

 しかし、今回の被害で無用論派に爆撃機で戦闘機に対処する事は出来ないと認識されるようになる。

 また、15日には空母加賀から攻撃隊を出して杭州空襲をさせたがこの時、加賀では戦闘機隊長の柴田が「八九式艦攻だけでも護衛機を出すべき」と具申したが分隊長が「旋回機銃だけでも大丈夫だ」と強硬に反対した。日頃から戦闘機無用論を高らかに叫んでいた分隊長達は名誉挽回に燃えておりしまいには将和の自室にまで押し掛けてくる程であった。

 これに対して将和は攻撃隊を二波に分ける事にした。第一次攻撃隊は八九式艦攻16機に九四式艦爆16機で第二次攻撃隊に九六式艦攻13機、九六式艦戦12機で上手く調律した。

 結果としては戦闘機がいない第一次攻撃隊は被害が続出した。八九式艦攻は未帰還9機、九四式艦爆は未帰還4機を出したのである。しかも戦闘機の護衛を強硬に反対した分隊長は帰っては来なかった。

 対して第二次攻撃隊は九六式艦戦の護衛もあり逆に敵戦闘機4機を落として帰ってくる程である。この結果、戦闘機無用論は空母部隊の方でも払拭されたのである。


(多少、史実と損害は違うがまぁ許容範囲内だろう)


 宮様は総長室で椅子に座りながらそう思っていた。


(三和があれだけ騒ぐか……やはり前の三好との事が原因か。場合によっては取り除くか)


 良からぬ事を考える宮様であった。後に三和は戦闘機無用論を更に推し進めようとしたが宮様の手引きにより佐世保鎮守府付にされるのである。

 それは兎も角、戦闘機無用論は完全に払拭された事で戦闘機パイロットの養成が急務となり予科練(海軍飛行予科練習生)の募集枠も拡大され四等水兵で水兵服だったのも二等水兵で濃紺の詰襟制服(通称七つボタン)を導入したのである。

 さて、上海の方であるが第一機動部隊が投入された事で航空戦力は倍増した。特に加賀は九六式艦戦を搭載していた事もあり飛行分隊長中島正大尉らが中華民国空軍のP-26やP-36を圧倒したのである。

 8月23日には白川義則大将を司令官にした上海派遣軍の二個師団(第三師団と第十一師団)が上海北部沿岸に第三戦隊戦艦榛名と霧島の艦砲射撃の支援の元、上陸を開始した。

 この時、第一機動部隊は上陸支援のため攻撃隊を発艦させようと風上に艦首を向けていた。


「上空警戒は厳とせよ」


 将和は機動部隊上空に警戒機を上げつつ発艦させようとした。しかし、見張り員が叫んだ。


「龍驤後方に急降下!!」

「何!?」


 龍驤の六時方向から二機の中華民国空軍ノースロップガンマ2Eが急降下していた。そしてガンマ2Eは腹に抱えた250キロ爆弾を投入、250キロ爆弾は龍驤の飛行甲板に吸い込まれるように二発が命中した。


「りゅ、龍驤が……」


 加賀の艦橋から将和は爆発を起こす龍驤を唖然としながら見ていた。飛行甲板には待機していた八九式艦攻や九四式艦爆が搭載していた爆弾の誘爆により吹き飛ばされていた。更に250キロ爆弾の一発はエレベーターに直撃しておりエレベーターは破壊され龍驤は瞬く間に炎上したのである。


「消火急げ!!」


 龍驤艦長の阿部勝雄大佐は消火作業に当たらせるが消火の目処は立たなかった。しかし、大陸に近い事もあり阿部大佐は龍驤を擱座させて沈没の回避をした。


「………(ミッドウェーの南雲の気分が少しだけ分かった気がするな……)」


 加賀の艦橋にいた将和は龍驤の炎上を見つつそう思った。


(だがこれで応急部門に関しては史実より良くなるかもしれないな)


 その後、将和の言う通りに応急部門が早期に立ち上げられ空母は元より艦艇の消火装置の開発が急がれる。

 また、根本的に空母の飛行甲板に装甲を貼らせる事も研究が急がれた。研究としての結果が後に装甲空母として大鳳が解放型格納庫を施した翔鶴型が就役する。

 上海派遣軍の上陸で9月上旬までには上海陸戦隊本部前面から中国軍を駆逐する事に成功する。しかし、同時期に中国側は第二次国共合作が成立と中国軍の優勢な火力とドイツ軍事顧問団によるトーチカ構築と作戦によって上海派遣軍は大苦戦をしていた。


「くっ、やはりトーチカ群か……」


 報告を受けた白川大将は顔を歪ませる。榛名と霧島が定期的に艦砲射撃をしてトーチカ群を破壊しているが破壊を免れているトーチカ群も多々あった。

 長谷川は戦艦の増援を要請、GF司令部は二戦隊の扶桑、山城を上海に派遣した。なお、大破して擱座していた龍驤は9月上旬までに上海を離れて三駆の護衛の元、内地へ帰還している。その入れ替りとして改装工事が終了した天城を護衛して将和の第一機動部隊に加わったのである。

 将和の第一機動部隊は陸軍の支援要請を汲まなく行っており上海上空の制空権は完全に日本側の物だった。支援爆撃もできる限り行っており史実における上海派遣軍の損害も史実より下回っていた。


「艦攻隊に500キロや800キロ爆弾を搭載させて出撃させるのが良かったのかもしれないな……」

「確かに。大型爆弾だとトーチカ群も破壊しやすいですからな」


 将和の言葉に第一機動部隊参謀長の近藤信竹少将は納得したように頷いた。


「問題はパイロット達の疲労です。特に加賀隊の疲労は激しいかと」


 二航戦司令官の小沢はそう報告する。


「……赤城と龍驤の飛行隊を加賀に編入させよう。加賀隊は内地に帰還だな」

「やはりそれが妥当ですな」


 近藤らは頷き、加賀隊の交代が決まるのである。交代した赤城、龍驤隊は加賀隊に「負けられぬ!!」と一層の活躍をするのであった。

 10月10日、上海派遣軍はゼークトラインに攻撃を開始した。派遣軍は九五式軽戦車二個中隊、八六式中戦車二個中隊の増援もあり何と一日で各所の突破に成功し10月24日には最大の目標だった上海近郊の要衝大場鎮の攻略した。大場鎮を落とした事で上海はほぼ日本軍の制圧下になった。

 だが中国軍は蘇州河の南岸に陣地を構えており第三師団と増援の第九師団は強力なトーチカのため先に進む事は出来なかったのである。

 その頃の将和の第一機動部隊は上海の沖合いにて大規模な回避訓練をしていた。龍驤の大破を重く受け止めていた将和は三戦隊司令官の南雲に頼み込んで操艦技術に磨きをかけていたのだ。


「頼む南雲。俺に操艦技術を教えてくれ」

「わ、分かりましたから土下座はやめてください!!」


 三戦隊旗艦の榛名にまで出向いた将和は南雲に土下座をして南雲が慌てる珍事件もあったが将和は南雲の指導の元、操艦技術に磨いたのである。後に空母艦長は爆弾魚雷回避のための操艦訓練は必須となるのである。







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