番外編その二
『九五式軽戦車』
1936年(昭和11年)、千葉陸軍戦車学校にて東條や永田、杉山達がとある軽戦車の視察に来ていた。
「こいつがハ号か」
東條達の前には前年の1935年(昭和10年)に仮制式化された軽戦車――九五式軽戦車が鎮座していた。
「こいつがあれば我が陸軍の初期戦車部隊は必ず活躍するだろう」
杉山は満足そうに頷く。
「山縣閣下のお陰だな」
「あぁ。山縣閣下が港湾施設整備を強く薦めていなかったら今頃このハ号は史実通りだな」
今は亡き山縣有朋は生前、戦車が活躍する事を予見(裏には将和もいた)し自身の権限を使って港湾施設整備を推奨していた。「国内のみであれば良いが戦車は海外でも使用出来る上歩兵の支援にも活用出来る」山縣は亡くなる前でそう言い続け戦車部隊の後援者をしていた。
その一環で港湾施設整備である。戦車を輸送船に載せるにはガントリークレーンが必要なのだが史実だと15トン程が限度であった。山縣による根強い努力によりガントリークレーンの荷揚げは最大35トンまでは向上した。しかし、全国の港とはいかず小樽、石巻、横浜、名古屋、大阪、神戸、広島(宇品)、小倉に初期は限定されてしまうのであったが徐々にその数を増やしていくのである。
なお、平時なので商業港の神戸等は拡張をされた事などで海運企業の商船も大きくなっており少しながらの貿易を拡大出来た。そのようなおまけ付きも有りながらの今日の三好世界の日本である。
「それでハ号はどんな感じに仕上がった?」
「まぁ待て。今書類を渡す」
急かす東條に待ったをかける杉山は東條達に書類を渡す。九五式軽戦車は以下の性能であった。
九五式軽戦車
全長 4.50メートル
車体長 上に同じ
全幅 2.10メートル
全高 2.45メートル
重量 12.5トン
懸架方式 シーソー式連動懸架
速度 45キロ
行動距離 230キロ
主砲 45口径37ミリ戦車砲×1
副武装 九五式車載重機関銃×2
装甲 最大装甲前面40ミリ(前面傾斜45°)
エンジン ガソリン水冷V型8気筒250馬力
乗員4名
性能はこのようになっていた。
「素晴らしいの一言だな」
「こいつと開発中の試作中戦車を組み合わせれば……」
「ただ、試作中戦車の方はやはり費用が……」
「ソ連の戦車師団に対抗せねばならん。多少の費用増加は仕方ない」
東條はそう言うが後に制式採用される九七式中戦車の費用に陸軍首脳部らが驚愕するのだがそれはまだ先の話である。
なお、この九五式軽戦車――ハ号であるが陸軍の戦車部隊は元より海軍陸戦隊にも供与され陸軍では編成されなかった軽戦車大隊が六個も編成(一個中隊×16両で二個中隊で一個大隊を編成)され、後にハ号の代わりとなる九八式中戦車――チホに更新されるまで活躍する事になる。
また、友好関係にあったタイにも80両近くが輸出されタイ陸軍戦車部隊の初期を支える事になる。この時に陸軍は先行として6両を輸出して不具合を確かめての改修を施してからタイに輸出している。
「まぁ今はハ号の活躍を祈ろうではないか」
東條達はハ号を見ながらそう頷き合うのであった。
『航空母艦加賀』
加賀の改装は史実通りの日から開始された。史実と比べると排煙方式は最初から湾曲煙突式にして機関上部右舷に設置しているのでその分の費用を他に回せる事にできた。
また、この時の将和は航空本部長だったが乗艦した艦で某PCゲームの影響もあり加賀好きだった事も幸いしたのか(なお、他にも長波や高雄好きだったりする)「少しでも改装費用に……」とカンパに回ったりしている。なお、それは母艦パイロットや加賀乗員も自らカンパをして加賀の改装費用を献上するという珍事にまで発展する。
まぁそれはさておき、将和は加賀の改装が行われている佐世保海軍工廠を訪れていた。
「今はまだ改装が始まった段階ですので改装らしい改装はまだしていません」
「まぁ都合が付けれた日は今日だったからな」
艦本の関係者達と共に将和は加賀を見学していく。
「予定ではどの感じだ?」
「予定表は……これです」
関係者から渡された紙を将和は一目する。
航空母艦加賀
排水量
45000トン
全長
255メートル
全幅
34メートル
機関
九五式艦本式重油専焼水管缶8基、艦本式タービン4基
速力
32.8ノット
兵装
八九式十二.七サンチ連装高角砲八基
二五ミリ三連装機銃二十基
搭載機数
搭載機
常用機 戦闘機36機(露天係止6機)艦爆27機 艦攻27機 偵察6機 補用12機(各3機ずつ)
「ふむ、20サンチ砲は全て降ろしているな」
「はい、格納庫の広さを確保するためなら20サンチ砲は入りませんからね。それに前部も改装前は四本あったの柱のうち、急遽後ろ二本を撤去してまで格納庫を拡げてますからね」
史実の加賀と赤城の艦首付近には飛行甲板を支える四本の支柱があった。この加賀もほぼ史実通りの改装だったが上記で説明したカンパ珍事件を受けて改装費用が当初より増大した結果、格納庫を更に拡張して四本の支柱を取り付ける予定を急遽格納庫側の二本を撤去する事態にまで発展してしまう。
だがそれが無ければ加賀の搭載機数も増える事はなかったであろう。なお、残った二本の支柱は太くする事で後の新型機の発艦に対処する事にしたが結局は更に二本増えて史実通りの四本に戻る事になるのはまだ将和らが知らない事である。
ちなみに飛行甲板前部に空母用カタパルトの溝を作る工事も史実通り行われている。
「ま、何はともあれ楽しみだな……」
将和は加賀を見ながらそう呟くのであった。
ご意見やご感想などお待ちしています