第六十二話
1937年(昭和12年)、この年も日本においては大変な年となるのは史実でも同じ事である。
1937年6月、ソ連にて『赤軍の至宝』『赤いナポレオン』と呼ばれたミハイル・トゥハチェフスキー元帥がスターリンによって粛清され、赤軍での大粛清は翌年の1938年まで続くのである。
(それでも史実だとソ連は対独戦に勝つからな……油断ならない相手だ)
シベリア経由からもたらされる報告書を読みながら将和はそう思う。
そして同年7月7日、豊台に駐屯していた日本軍支那駐屯軍第3大隊(第7、8、9中隊、第3機関銃中隊)および歩兵砲隊は、北平の西南端から10余キロにある盧溝橋東北方の荒蕪地で演習を実施した。ちなみにこの演習については日本軍は7月4日夜、中国側に通知済みであった。
しかし、第3大隊第8中隊(中隊長は清水節郎大尉)が夜間演習を実施中、一発の銃声が響き渡り中隊の上空を銃弾が通過した。
「今の銃声は何だ!?」
「中国軍陣地からの銃声です!!」
「何だと!?」
中隊からの急報を受けた大隊長一木少佐は連隊長の牟田口大佐に連絡した。
「直ちに一文字山へ出動!! 夜明け後に宛平県城の営長と交渉だ!!」
そう言って電話を切る牟田口。
「くそ、戦車があれば一緒に突っ込むんだが……」
「無茶言わんでください」
牟田口の呟きにそう答える副官であった。その後の展開は史実通りとなっていた。
「……このままですと通州が危ない。直ちに居留民保護で部隊を送るか居留民の引き揚げが必要です」
「うむ、直ちに撤退させよう」
「ですが護衛部隊を送る事になると防共自治政府の保安隊が早期に暴発する恐れもあります」
「しかし部隊を送らねば居留民は史実と同様の末路になるぞ!!」
「それは承知しています。ですが保安隊を刺激してはいけません」
「……こんな事なら防共自治政府なんぞ作るのではなかったな……」
「……一つだけ策は有ります」
「何……?」
「空の神兵です」
そして岡田総理は記者会見にて「北京〜天津間の邦人保護の為で増援派兵を行う」と公表。国民党側にも通知して一個旅団を満州から呼び寄せてその準備をしていた。また、飛行場にもある部隊が進駐していた。一方の通州では引き揚げに基づき居留民の退去準備が行われていた。
しかし、冀東防共自治政府の保安総隊の張慶余と張硯田は約4000の兵力で29日0200頃に通州を攻撃したのである。
「保安隊が攻撃してきます!!」
「応戦だ!! 奴等を叩きのめせ!!」
前日に通州入りして増強していた三個小隊の警備隊は少ないながらも直ちに応戦し通信隊が状況を知らせた。
「直ちに応援を送れ!! 第一空挺隊出撃だ!!」
報せを聞いた支那駐屯軍司令官の香月清司中将はそう発した。臨時飛行場から予め発動機を温めていたJu52(即応のため)を装備した輸送隊が次々と離陸して通州方面に向かうのである。
『第一空挺隊』、それは陸海軍が共同して創設した空挺部隊である。陸軍の仮想敵国であるソ連が空挺部隊を創設した事をソ連に潜入している諜報員からの情報で知り陸軍は空挺部隊の創設に向けだした。折しも海軍も陸戦隊による空挺部隊を思案していた事もあり兵器等の共通化を図り陸海軍混成の第一空挺隊が1937年に創設された。ちなみに空挺隊の創設には将和も関与している。
空挺隊の輸送を行うのはドイツから輸入したJu52 15機である。なお空挺隊の兵の武器は全て短機関銃のMP18が装備されていた。規模は一個大隊がJu52が15機しかないのでピストン輸送である。
約一個中隊の空挺隊を載せた輸送隊は事件発生から僅か30分で通州上空に到着した。
「我々空挺隊の初陣だ!! 必ず成功させるぞ!!」
『オオォォォ!!』
「降下降下降下ァ!!」
真夜中の通州上空を約一個中隊分のパラシュートが乱舞した。
「小隊長!! 空挺隊です!!」
「よーし、時間稼ぎには成功したな……」
腹を負傷した小隊長がそう呟く。既に警備隊は二個小隊が全滅して戦死、残った一個小隊は居留民の男性達と何とか奮戦していた。
「死んでもこの場所は死守するぞ!!」
一方、保安隊は突然の空挺隊の登場に驚いていた。
「馬鹿な、早すぎる!?」
「どうする、このままでは我々は……」
「……それでもたかが一個中隊程度だろう。数で押し通す!!」
保安隊は初期の動揺後は直ぐに態勢を立て直して立て籠る警備隊と降下してきた空挺隊を攻撃する。しかし、空挺隊の兵は全て短機関銃であるため逆に返り討ちに合う兵も少なくなかった。
そして空挺隊と警備隊が合流して本格的に立て籠る事態になる。報告を聞いた保安隊は焦った。このままでは確実に待っているのは死である。彼等の脳裏には撤退の二文字が浮かんでいた。それを決定的にさせたのは保安隊の兵からの報告であった。
「飛行機の爆音が近づいてきます!!」
新たに空挺隊を載せた輸送隊が直ぐ近くまで来ていた。この報告を聞いた保安隊は撤退する事にした。
「直ちに撤退!! 第29軍に合流する!!」
保安隊は0450には撤退を開始した。なお、逃走中の保安隊約300人程を支那駐屯軍が攻撃したりする。
通州事件は空挺部隊の投入で史実のような事にはならずに済んだが警備隊の二個小隊は全滅して戦死、更に最初の奇襲攻撃で不意を突かれ居留民15名が虐殺されてしまうのである。
(クソ!! 確かに史実を考えたら被害は少ない……確かに少ないが……)
報告を聞いた将和は嫌な予感を覚えた。これでは……。
「支那事変の始まりじゃないか……」
同年8月9日、上海で大山海軍中尉と斎藤水兵が狙撃される大山事件が発生、両軍は一触即発の状態となり情勢が緊迫となる。そんな中、将和は宮様に呼ばれて総長室に入室する。
「三好君、君には艦隊長官として上海に行ってもらう」
「上海にですか?」
「あぁ。第二次上海事変ももうすぐであろう?」
「はい、記憶によれば8月13日から10月26日です」
「それの支援だ。艦艇は空母加賀、龍驤、鳳翔を主力とする機動部隊だ」
「……まさか宮様……」
「そうだ、貴官を第一機動部隊司令官とする」
「待ってください。自分をですか?」
「そうだ。君には実積も経験も十分ある。私はそう判断したのだよ」
「……あの時から比べると今の自分には考えられない事ですね」
「君は自分の事を過小評価していないかね? 我々は一切の贔屓もしていない事は確かだ」
「……分かりました。宮様がそこまで言われるのであれば承ります」
「……ありがとう」
8月13日、海軍は人事異動を発表。空母を主力とする第一機動部隊の創設を発令しその初代司令官には三好将和中将を充てるとした。この発表に航空関係者や将和が指導していたかつてのパイロット達は大いに喜んだ。
「三好の旦那の元で働けるなら死んでも本望よ!!」
下士官や兵達に関わりなく接する将和には日頃から人気もあった事でこれが将和の人気である。
第一機動部隊は空母加賀、天城、赤城、龍驤、鳳翔を主力とする空母部隊であるが天城と赤城は近代化改装中であり空母は三隻である。
護衛艦艇は以下の艦艇である。
第三戦隊
戦艦榛名 霧島
第四戦隊
重巡高雄 愛宕
第三水雷戦隊
軽巡五十鈴
第二駆逐隊
峯風 澤風 矢風 沖風
第三駆逐隊
汐風 夕風 太刀風 帆風
第五駆逐隊
朝風 春風 松風 旗風の艦艇で編成されていた。
また、各司令官だが第三戦隊には史実より早くに南雲忠一少将が就任、龍驤と鳳翔の第二航空戦隊司令官には小沢治三郎少将が、三水戦司令官には後藤英次少将が就任している。
そして人事異動発令の同日、上海にて遂に日中両軍の戦闘が開始された。更に同日夜には第三艦隊司令長官の長谷川中将が各航空部隊に敵航空部隊の撃滅と敵航空基地への攻撃を命じた。後の渡洋爆撃である。
「馬鹿な!? 艦戦を搭載した我々が到着するまで爆撃はやめろ!! 爆撃隊は護衛がいない丸裸だぞ!! 爆撃隊を無駄死にさせる気か!!」
渡洋爆撃の発令を旗艦加賀で聞いた将和は直ぐに長谷川に「爆撃はやめろ」と電文を発した。しかし、長谷川はそれを黙殺した。
「三好、お前は上海の状況を分かっていない!!」
出雲の長官室で長谷川は溜め息を吐いていた。将和に付き添っていた長谷川も航空戦の事は熟知しているし渡洋爆撃で爆撃隊が丸裸になるのは分かっていた。しかし、上海の中国軍はその数を増やしていた。
「爆撃隊の被害は俺の責任だ。恨むなら俺を恨め将和……」
長谷川はそう呟いた。一方の将和も爆撃隊の被害を無くすべく孤軍奮闘していた。
「小沢の龍驤を先に出撃させろ!! 護衛には五駆を充てるんだ!!」
将和も史実の事を考えて念のためとして龍驤と五駆に即応態勢を取らせていた。
「(やっといて良かったな……)頼むぞ小沢」
先に出撃する龍驤と五駆に敬礼をする将和だが彼等は間に合わず、渡洋爆撃は史実通りに敢行し15日までの損害は史実通りとなった。
しかし、16日の爆撃には龍驤が間に合い九四式艦戦の護衛で南京爆撃に向かった六機の護衛に成功するのであった。
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