第六十一話
後に二・二六事件と呼ばれた陸軍青年将校達が起こした事件は陸軍に多大なる被害を与えた。特に陛下は近衛師団から反乱部隊を出した事を気にかけており、「陸軍から近衛師団を取り上げて宮内省に組み込み、近衛兵団への降格」を自ら言い渡す程である。
岡田内閣は宮内省に禁衛府を設置し降格した近衛兵団と宮内省管轄の皇宮警察を禁衛府に入れた。なお、禁衛府の名称は戦後に半年ほど存在していた禁衛府からである。兵は陸海両方から出された。今回の事件のような事を起こさないために相互監視と陸海軍共に近衛の名誉を持てる事にしたのである。これにより士官への新しい名誉的報酬が増える事になる。
海軍は今回の事件で活躍した海軍陸戦隊の人員を近衛兵団へ入れた事で陸戦隊の地位も高くなる。また、陸軍兵士と陸戦隊兵士の交流が近衛兵団を通じて行われて、それぞれの垣根が低くなるのである。
内閣には一人の犠牲者が出なかった事もあり岡田内閣はそのまま継続となった。この事件後、史実廣田内閣で制定された思想犯保護観察法が岡田内閣の手で制定される。
「とりあえずは安心だがまだ暫くは用心せねばなるまいな」
「確かに」
宮様と岡田は総理官邸でそのように話していた。別に東條達を疑っているわけではあるまい。だが東條達が知らないところで第二、第三の二・二六が行われては堪ったものではない。そのため、海軍省には引き続き陸戦隊が駐屯する事になる。
同年7月、スペインにてマヌエル・アサーニャ率いる左派の人民戦線政府(共和国派)とフランシスコ・フランコを中心とした右派の反乱軍(ナショナリスト派)が激突、約三年あまりの内戦が勃発するのである。
「スペインに支援する事は?」
「特に無いでしょう。支援してはソ連を筆頭にイギリス、アメリカを刺激するかもしれません」
「ふむ、特にソ連を刺激してはシベリアを脅かす事になるかもしれんな……」
二・二六事件後、会合する料亭は頻繁に変える事になり今日は違う料亭だった。
「史実で我が国は何か支援をしたかな?」
「……自分の記憶では何もしていなかったと思います。ただ、人民戦線政府側に国際旅団というのがありましてその旅団に数人いたらしいです」
「となると支援はすべきではないな」
岡田はそう判断した。日本はスペイン内戦に介入する事はなく時を過ごした。史実における成都事件は総領事の再開をする事をしないので発生はしなかったが同年9月の北海事件が発生、国民政府との幾多に及ぶ交渉によって国民政府の陳謝、責任者及び犯人の処罰、被害者遺族に三万元を贈る事等史実通りの展開をした。
しかし同年9月には上海にて上海日本人水兵狙撃事件が発生。前年1935年11月にも上海で中山水兵射殺事件が発生しており日中間の緊張は高まるばかりだった。
「蒋介石め、何を考えているんだ……」
会合で将和は溜め息を吐いた。
「交渉を通じて司法の徹底や居留民保護を図ってはいるが……」
「このままでは史実の通州事件のような悲劇が起きてしまうかもしれません。それだけは避けませんと……」
将和はそう言う。同年11月、日独防共協定が締結する。コミンテルンに対抗する共同防衛をうたっているが日本側としてはドイツの技術力を欲していた。
「アハトアハトとかジェットエンジン等は史実で証明されているしな。出来ればこれを切っ掛けに欲しいところだが……」
将和は新聞を読みながらそう呟く。そして同年12月、張学良、楊虎城らによる蒋介石拉致監禁事件の西安事件が発生。この事件以後、国共合作が促されたとされる。
同年12月31日にはワシントン海軍軍縮条約が失効した。その日、将和は宮様達と共に小さな料亭にいた。
「この年も大変な年でしたな」
「うむ。それと三好君、例の新型戦艦だが……」
「はい、大和型と和製アイオワ型です」
第三次海軍軍備補充計画――通称マル3計画は軍縮条約から脱退後に行われる初の建艦計画である。見るべき点は戦艦が後の大和型の他のにも新たに四隻の戦艦の建艦計画が加えられていた。
将和が述べた和製アイオワ型こそがこの四隻の建艦計画である。この四隻は金剛型の代艦である。そのため金剛型は史実で行われた第二次改装は行っていない。
和製アイオワ型となるのが主砲を41サンチ三連装砲を三基搭載するからであり、船体も一号艦――大和型を縮小した形となっている。ちなみに工期縮小のため煙突位置や艦橋も大和型に似せているので戦争中、アメリカ海軍は「同型の戦艦が六隻もいる」と誤認する珍事もある。
「確かに史実では金剛型は数次の改装によって大東亜で活躍しました。しかし、活躍するだけでは駄目なんです。ガ島で滅多撃ちにされて二戦艦喪失なんてのは避けるべきなんですよ」
「うむ……」
旧式と新式、どちらが良いかは自ずと分かるものである。
「マル2の蒼龍は再来年の竣工だったな」
「はい、昭和13年の予定です」
第二次補充計画――通称マル2計画で建艦中の空母は蒼龍と飛龍があった。この二隻は史実だと約一万トン級の中型空母であったが、この世界ではワシントン軍縮条約での空母保有枠が14万トンもあった事で二空母は元より史実の龍驤も変わっていた。
龍驤は史実の蒼龍をモチーフに設計、建艦されており1935年に就役している。蒼龍と飛龍はその龍驤の若干拡大版であり性能は以下の通りだった。
『航空母艦蒼龍
基準排水量
21000トン
全長
238メートル
全幅
26メートル
機関
九五式艦本式重油専焼水管缶8基、艦本式タービン4基
速力
34.9ノット
兵装
九七式十二.七サンチ連装両用砲六基
大型連装機銃六基
二五ミリ三連装機銃十二基
搭載機数
常用69機(艦戦24機 艦爆27機 艦攻18機)
補用6機』
機関の九五式艦本式重油専焼水管缶は以前から研究開発していた新型の缶であり性能として400°C、圧力40kgf/㎝2である。史実天津風に搭載されたボイラーと言えば分かりやすい。
通称はロ号改であり開戦時までには殆どの艦艇の機関になっている程である。ちなみに大型連装機銃とはボフォース40ミリ機関砲の事であり今はライセンス交渉の最終段階にまできていた。
そして九七式十二.七サンチ連装両用砲とは史実で海軍が開発した五式12.7サンチ高角砲の事である。四十口径八九式12.7サンチ高角砲が1932年に制式採用されてから二年後の1934年に開発が指示された。三年式12.7サンチ砲とのコストを考えて両用砲とする事で決定されたのだ。流石に初速等は三年式が上だったが八九式よりかは勝っていたので改修を行いつつ1937年に制式採用された。
この両用砲は駆逐艦を初め戦艦等にも搭載され日本海軍の傑作小口径砲とうたわれるのである。
「蒼龍と飛龍が加われば心強いものだな」
宮様は満足そうに頷くのである。なお、金剛型代艦のうち一隻は大神工廠での建艦が決定されている。
年が明けて1937年が始まる。三好家は久々に一家が勢揃いしていた。
「兵学校はどうだ将弘?」
「あぁ、何とかやれてるよ。来年で卒業だよ」
「そうか、頑張れよ」
中学を卒業後、将和の長男将弘は海軍兵学校に入った。将和が理由を聞くと「親父の背中を追いたかった」との事。ちなみに将弘の同期には史実シドニー湾攻撃で甲標的艇長として参加、戦死した松尾中佐や蒼龍戦闘機パイロットの藤田少佐等がいる。
「マサヒロさん、どうぞ」
「あぁ」
セシルから醤油を受け取る将弘。将弘は何も言ってないがセシルは直ぐに醤油を取り将弘に渡したのだ。
「あらあらぁ♪」
「どうした?」
「面白い事よ」
二人の息が合った光景に頬笑む夕夏とタチアナ、将和はまだ気付いていないのである。
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