第五十八話
今年もよろしくお願いします
1933年8月、将和は陸軍の東條達と共に史実より三年も早くに開校された千葉陸軍戦車学校に来ていた。
「海軍の関係者ですが宜しいので?」
「なに、海軍さんにも陸戦隊は有りますからな。装甲車とか陸海共通にするのも手でしょうな」
「確かに」
そして将和ら一行の前に数両の戦闘車両が現れた。
「これは……」
「ククク。三好少将のその顔が見たかった」
現れた戦闘車両に唖然とする将和に東條らはニヤリと笑う。
「九二式砲戦車。略記号はホイだ」
東條にそう説明された九二式砲戦車はゴゴゴと走行をしている。肝心の戦車砲は36口径はあり砲戦車としては史実のマルダー3に近い形である。
「戦闘で損傷や故障した八六式を元に三八式野砲を搭載したのだ。まぁ速度は25キロだが改造からの砲戦車だからそこは目を瞑るがな」
「成る程。関東軍に配備を?」
「既に砲戦車一個中隊九両を配備している」
なお、この砲戦車は後の支那事変にてその真価を発揮するのである。
「対戦車砲弾として徹甲弾の開発を急がしているが……原型砲の三八式野砲の初速がな……」
三八式野砲はフランスが1897年に採用したM1897 75ミリ野砲のライセンス生産の野砲である。何せ日露戦争前の野砲なので砲口初速は500m/s と低かった。
「海軍さんの技術協力で徹甲弾の威力は上がったが頭打ちだな」
史実陸軍の破甲榴弾では到底アウトなので将和から史実の徹甲弾等の性能を聞いて新型徹甲弾を開発中であった。そして開発したのが九二式徹甲弾である。この九二式徹甲弾は所謂被帽付徹甲弾であり三八式野砲で貫通能力は1000メートル/約41ミリ、500メートル/53ミリ、200メートル/60ミリとなっていた。だがこの貫通能力では米英の戦車は元より独ソの戦車にも対戦車戦は真正面から太刀打ち出来ない。そのため新型野砲の九〇式野砲の貫通能力は九二式徹甲弾を使用して1000メートル/69ミリ、500メートル/78ミリ、200メートル/86ミリとなっていた。
「史実の一式よりマシにはしたいものだな」
「そうですね(それは欧州や欧米等から大量に技術者や工作機械を手に入れないとアカンのだが……)」
心の中でそう思う将和である。後に仮帽付徹甲弾も開発されるのであった。なお、この開発で海軍が協力した事で海軍も徹甲弾の改良が行われる事になる。また、陸軍は野砲を牽引する砲兵トラクターも開発に熱心だった。新型野砲の九〇式野砲は三八式野砲と比べて重量が過大だったので九〇式野砲を牽引する牽引車が欲しいのである。
これも故障等で武装を外した八六式中戦車で牽引して研究が進められている。更に工兵部隊にも武装を外した八六式中戦車が研究のため存在していた。
理由はブルドーザーの開発研究である。既に戦車の正面に排土板を取り付けて国内で実験をしておりブルドーザーの開発研究には史実通り小松製作所が手を挙げていた。
なお、この開発研究で史実より早くに小松一型均土機(コマツブルドーザーG40)が1939年に陸海に制式採用され終戦までに800両近くが生産され各地で工兵隊が活躍する源となる。また、シベリア帝政国もライセンス生産で300両程を保有する事になる。
(ま、今は開発開発又開発だな)
そう思う将和だった。そして同年12月、将和は中将に昇進、第三戦隊司令官から海軍航空本部長に異動した。史実では加藤隆義が本部長で航空戦力の開発計画をしていたが将和がその役を担う事になる。
「一に航空機、二に航空機、三四が無くて五に航空機の開発だ」
将和は各部署の部長課長達にそう訓示する。将和は来るべき日に備えての航空機研究をさせるのである。
「調達費用を抑えるためにネジ等の部品の規格統一の調整をする」
ww1にて消耗戦を体験している将和は規格統一を進めるがこの時は各工場は異なる工作機械を使用していた事もあり断念せざるをえなかった。だが将和の動きは陸軍も賛成しており、後に山下奉文と井上成美が本部長の時に陸海共同で実現する事になる。
また、将和は艦上戦闘機の開発にも力を入れた。将和が就任した時は七試艦上戦闘機で堀越二郎技師の一号機が墜落して二号機の飛行を控えていた時期だった。
「七試艦上戦闘機が不合格の場合は九〇式を改造して全金属単葉戦闘機が出るまでの繋ぎ目とする」
将和は中島飛行機に内々に打診したので中島飛行機は大慌てになりながらも九四式艦上戦闘機(史実九五式艦上戦闘機)の開発に乗り出す。そして結果的に七試艦上戦闘機が不採用となり海軍は九四式艦上戦闘機を一時的に採用する事になる。
「航空本部長は戦闘機パイロットでありながら複葉機を採用するのか」
井上成美等は悪態をついたが将和の元部下達の小沢達は事情を知っていたので擁護に回っていた程である。まぁそれは後の事であるが、1934年5月27日、将和は東郷が入院している病院を訪れた。
「……東郷長官……」
「おいどんはもう長官では無いでごわす……」
ベッドに横たわる東郷は将和の問いにそう答えた。部屋には東郷と将和しかいない。
「おはんのためにもう少し生きるつもりだったがやはり無理なようでごわす」
「長官……」
東郷の言葉に将和は涙を流す。
「三好中将、日本を頼むでごわす。おはんの人生を台無しにしてしまったのぅ……」
「いえ、今の人生は満足していますよ」
「そうか……。陛下を筆頭に殿下や岡田君達は三好中将の味方でごわす。必ず相談するようにの」
「はい。勿論です」
「うむ。あぁ、おいどんが死んだ後に君宛に数種類の荷物が届く事になる。楽しみにしておくがよい」
「……はっ」
「……日本を頼むでごわす」
「……はい」
そして同年5月30日、東郷は満86歳で死去するのである。6月5日の国葬後の6月10日に東郷から将和宛の荷物が届いた。
「これは……」
中身は戦艦三笠の主砲から製造された三笠長剣一本、甲種三笠短剣一本だった。そして東郷から手紙もあった。手紙と言ってもただ一文しか無く「よろしく頼む」と書かれているだけである。
「……分かりました」
将和はゆっくりと頷くのであった。そして同年に将和は三菱航空機と中島飛行機に九試単座戦闘機の試作を指示した。
要求性能は大体が史実通りだったが兵装に主翼13.2ミリ機銃二門となっていた。史実を考えるとソ連の高速爆撃機を対処するには7.7ミリでは力不足なのは明白である。ただ、13.2ミリ搭載は後の改良型でも良いとしていた事もあり13.2ミリは四号艦戦の時になる。
1935年の初飛行時、将和も各務ヶ原に赴いて飛行する一号機を地上から見ていた。
「綺麗な機体だ……」
将和は一号機を見ながらそう呟いた。他の者達は200ノットを越えた辺りで歓声をあげている程である。
「堀越さん」
「三好中将」
将和は堀越技師に歩み寄り握手をする。
「ご苦労様でした」
「ありがとうございます。三好中将も乗られますか?」
堀越の言葉はただの冗談だったのだろう。しかし、将和は頷いた。
「ありがとう。ならば直ぐに飛行服に着替えてきます」
「……えっ?」
将和は直ぐ様飛行服に着替えて一号機に乗り込んで離陸するのであった。同年6月、九試単座戦闘機の採用会議に将和は出席していた。
「二号機のテストを行いましたが九四式と比べて旋回性能の悪さがあります」
そう発言したのは横須賀航空隊分隊長の源田実大尉である。
「小官としましては九四式の方が優秀かと思います」
「源田大尉、俺は乗ったが九四式より優秀だと思うぞ」
源田の言葉に将和はそう返した。横須賀空教頭の大西は将和の言葉に驚いた。
「隊長……本部長も乗られたので?」
「あぁ。確かに九四式のが旋回性能は良いだろうが所詮複葉機だ。これからの戦は単葉戦闘機が主力になる」
「ですが九四式のが優秀でしょう」
「旋回性能だけが空戦で戦うわけではないぞ」
源田も負けじと反論するが源田よりも遥かに空戦経験がある将和の言葉に源田は口をつぐんでしまう。
「……だが空戦の検証をせずに一本に絞るのは貴官も納得せんだろう。明日、飛んでみたまえ」
なお、その後の展開は史実通りであり源田は九試単戦の熱心な支持者となるのであった。
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