第五十二話
1927年六月、南京事件の終わりが見えた事で日本に平穏はそれなりに戻った。しかし、関東州を奉天軍に攻め来られた事で関東軍は更なる増強する事で対処する事になった。関東軍には一個旅団、一個戦車中隊が新たに配備される事になる。
関東軍は戦車の速度に若干の不満を持ち(それでも時速27キロ)、騎兵用若しくは偵察に使用出来る軽戦車、軽装甲車の開発を上層部に具申していた。
また騎兵聯隊も軍縮によって削減された軍馬の代わりとして装甲車の配備を求めており陸軍は騎兵聯隊用として装甲車の開発に乗り出したのである。この装甲車が後に八九式重装甲車となるのであった。
また、八六式中戦車の活躍を耳にしたシベリア帝政国も輸入してほしいと陸軍に話を持ち掛ける事もあったりする。
だがまだ生産が僅か二個中隊しかない状況だったがライセンス生産を許可し八六式中戦車の増産を決定するのであった。
そして将和であるが将和はこの時、フランスに向かっていたのであった。
「フランスで鋼索横張り式の着艦制動装置を搭載した空母が完成した。短期出張で悪いが出来ばえを見てきてくれ」
上層部から直々の命令に将和は頷き、客船にてフランスへ向かっていたのだ。なお、将和の来仏にフランス政府は厳重態勢を敷いていたりする。
「はぁ、また外国か。何か語学がドンドン増えてる気がするな……」
途中から入校した海兵学校で英語に四苦八苦していた将和だったが長谷川らの力を借りてタイムスリップ前より遥かに向上していたのだ。(それでも片言程度)
七月上旬、フランスに到着した将和は盛大に歓迎されながらも就役したばかりの空母ベアルンにて着艦訓練が行われたのである。なお、着艦にはイギリスから借りたソッピースキャメルで使用された。
「どうでした大佐?」
十回程着艦して飛行甲板に降りた将和に連絡員が聞く。
「うん、この着艦装置は実に良いぞ。直ぐに日本に言ってこの着艦制動装置を取り入れるように連絡してくれ」
「分かりました!!」
縦張り式より横張り式のが着艦しやすい。将和はそう判断して(元から思っていた)上層部に具申した。上層部も将和の具申に首を縦に振り横張り式のが建造中である加賀、赤城(天城が優先されてまだ就役していない)への導入が決定された。
また、五月に就役したばかりの天城にも導入が決定される。なお、天城は加賀と赤城にて導入される三段式空母ではなくグローリアス級と同等の二段式が導入されている。これは二段式と三段式のどちらが有効かを検証するためでもあった。
まぁ両方とも下段、中段は役に立たずそのため上段が主に使用されるのである。
そして短期出張から帰還した将和は就役したばかりの空母天城を旗艦にして鳳翔と共に第一航空戦隊を編成するのであった。それに伴い、将和は少将へ昇進した。
「将官か……まさか此処にまでなるとはなぁ……」
タチアナの長女レティと夕夏の長女紫と遊びながらそう呟いた。ちなみに夕夏とタチアナはそれぞれ第四子と第二子を妊娠していたりする。
なお、八月二四日には島根県美保関沖にて行われた第八回基本演習(夜間無灯火演習)にて軽巡神通と第二七駆逐隊の駆逐艦蕨が衝突して駆逐艦蕨が沈没した。更に衝突を避けようとした軽巡那珂も第二七駆逐隊の駆逐艦葦と衝突して那珂は艦首を、葦は艦尾を大破してしまう事件が起きた。
美保関事件と呼ばれる事件は神通艦長の水城大佐が判決前に自決してしまうが聨合艦隊司令長官の加藤寛治大将にも責任の一部はあると判決が下り加藤は司令長官の座を追われたのであった。
「水城大佐はやはり自決を……」
「済まぬ。我々が無闇に発言すれば水城大佐を擁護していると逆に追い込まれてしまう危険もあった」
九月、会合の料亭で将和の言葉に山本はそう陳謝した。
「いえ、ですが加藤を更迭しただけでも御の字かもしれません。それにこの事件を期に早期救助に救命胴衣の全艦全員分配備を急がせるのも手です」
「第四艦隊事件か?」
「はい。特に駆逐艦に早期配備し演習時に着用すれば犠牲者も減らせる可能性はあります」
「ふむ、それは検討しよう。兵は一朝一夕で出来やしないからな」
宮様がそう言って頷いた。これ以降、特に駆逐艦には救命胴衣が全員配備されるのであった。
「それと来年一月には岡部金治郎がマグネトロンの特許を取得します」
「その前後に岡部に接触して官民一体のプロジェクトチームを発足してしようと思う」
「妥当な線ですね」
「八木・宇田アンテナの二の舞にしたくはないしな」
原の言葉に将和は頷いた。なお、このプロジェクトチームの発足により後に八木・宇田アンテナを発明した八木秀次、宇田新太郎を迎えて特許の取得に成功。レーダー技術は一部を除き海外流出を防ぐ事になる。一部というのは将和がアンテナの英文論文の発表年を知らなかった事で後で気付いて慌てて二人の確保に奔走した経緯があったのだ。
「あの過ちを繰り返してはならない」
宮様の言葉に原や将和達は強く頷くのであった。そして1928年一月、岡部金治郎がマグネトロンの特許を取得する前後に政府は海外流出を抑えるのであった。
そして五月、済南事件は発生……しなかった。そもそも済南に日本の居留民は居なかった。その理由として前年の南京事件が絡んでいたからである。原内閣は青島に出来る租界に居留民を移動させていた。
済南にいた日本人居留民は政府の方針に最初は反対していたが「南京事件を忘れたのか? あいつらはその気になれば平気で手のひら返しをして骨の髄までしゃぶり尽くすぞ」との言葉に漸く受け入れたのである。
この行動に蒋介石は特に気にしなかった。彼等にしてみれば自分らの土地が勝手に返ってくるわけだ、このため第二次北伐をしていた蒋介石は北伐を完遂させる事に成功した。
だがこの北伐も地方の軍閥勢力を残存させたままでの妥協的な中国統一なので凝りが残されたのである。一方、海軍では新たに空母赤城と加賀が就役して二個航空戦隊を編成していた。
第一航空戦隊は司令官を将和にしたまま旗艦を空母加賀に変更、僚艦は赤城である。第二航空戦隊は航空畑を関わりがある高橋三吉少将が就任。旗艦を天城にして僚艦は鳳翔であった。
八月、フランスのパリにてパリ不戦条約が締結された。なお、この時に日本は蒋介石の中華民国正統政府と認める動きをした。日本は中国の権益を何れ放棄する予定にしていたからだ。その代わりの権益はシベリア帝政国に向けられていた。
十一月十日、昭和天皇の即位の礼が挙行、十四日には大嘗祭が行われた。そして十六日、将和は帝国ホテルにて陛下と対面していた。
「……三好よ」
「はっ」
「祖父の代から国のために全身全霊で尽くしていた事、真に感謝致す」
「勿体無き御言葉です」
「朕も天皇になったからには全力を尽くそう。これからも宜しく頼む」
「ははっ」
昭和天皇の言葉に将和は今までの事を思い出し、泣きながら頭を下げるのであった。
「それで、来年は世界恐慌……か」
「はい。代案かはどうかは分かりませんが……」
「話を聞こう」
陛下をも含めた会合が始まる。将和は代案を達磨こと高橋是清に説明する。
「むぅ……」
「金本位制は復帰しない事か……」
「はい。追い打ちをかける事になります」
「よろしい、その方向でしてみよう。日本も打撃を受けたくないからな」
高橋は頷いたのである。そして1929年一月、ヨシフ・スターリンがレフ・トロツキーを国外追放させた。これによりスターリンの独裁体制が完成するのである。
三月には現首相官邸が竣工したり九月にダイヤ改正が行われたりしたが十月二四日、ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落をしたのである。
世界恐慌の引き金であった。
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