第四十八話
一月から皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)のご成婚で日本中が沸き立つ中の四月、政府は将和を世界大戦とシベリア紛争、撃墜王の功績を讃えて男爵の爵位を叙せられる事とシベリアのニコライ二世の娘であるタチアナ皇女との結婚を公表した。
なお、将和は部下の小沢達を集めて前もってタチアナと結婚する事を伝えている。
「皇女、隊長の事をよく見てましたからね」
「夕夏さん公認なら納得ですね」
「というよりよく隊長を落とせましたね」
「浮気したら夕夏さんに報告ですね」
「いつ夜戦するんですか?」(真顔
「最後の奴は誰だ!!」
小沢達は将和に祝福をするのであった。なお、最後に発言した吉良は飲み代を全部奢るはめになるのである。
「そういえば隊長はいつ頃異動ですか?」
「二十日に異動だな」
将和は二月には軽巡五十鈴艦長に内定していた。二月の中旬から心得として五十鈴に乗艦して堀悌吉大佐から操艦の手解きを習練していたのである。
「飛行隊長から艦長ですか。大変ですねぇ」
「空母の艦長は飛行パイロットじゃなければ出来んからな」
日本もアメリカ同様に空母の艦長はパイロット出身者がする事に決まっていた。しかし、パイロットはまだ少ないので大正十八年頃(まだ昭和では無いのでこのように表現)から導入する事になっていた。
「お前らも空母の艦長に進むだろう?」
「そうですね」
将和の言葉に塚原達は頷く。
「吉良が空母の艦長になったら他艦と衝突しそうだな」
「酷いですよ隊長」
『ははは』
憤慨する吉良に皆が笑うのであった。なお、将和の自宅はタチアナの事を考えてまたしても取り壊しとなり和洋折衷の屋敷を建設していた。それなりに大きい屋敷ではあるがメイドは一人しかいない。その一人がなんと夕夏である。
「旦那様、お帰りなさいませ」
メイド服で将和を出迎える夕夏に将和は無言で親指を立てるのである。なお、それを目撃したタチアナが夜戦で追撃戦をしたのは言うまでもない。そのおかげかは知らないが同年七月にタチアナの妊娠が判明する。(妊娠三ヶ月)
それはさておき、八八艦隊の夢が潰えた海軍は巡洋艦等の補助艦艇に力を入れていた。特に知床型給油艦が史実より同型艦が七隻から十二隻に増えていた。これは亡き加藤友三郎による将和らへの遺産だった。そもそも計画当時では海軍が保有する給油艦は大小合わせて四隻である。
加藤は十二隻を保有させて初期の外国からの重油輸送を大量にさせようとしていた。特に北樺太のオハ油田を保有していた事も大量建造に踏み切る要因の一つであった。
後に知床型は1930年代にボイラーと主機関の改装も施すが以下のものである。
知床型給油艦
基準排水量 15000トン
全長 150メートル
全幅 18メートル
ボイラー 宮原式五基(後にロ号式へ交換)
主機関 艦本式タービン一基
出力 12000馬力
速力 19ノット
航続距離 8000海里
登載能力 重油8250トン
以下史実通り
同型艦 1 野登呂(後に水上機母艦へ) 2 知床 3 襟裳 4 佐多 5 鶴見 6 尻矢 7 石廊 8 積丹 9 竜飛 10 珠洲 11 茅柴 12 白神
また、野登呂型給油艦として予算が成立したが給糧艦へと変更された給糧艦間宮の性能も以下のものである。
給糧艦間宮
基準排水量 17000トン
全長 155メートル
全幅 20メートル
ボイラー ロ号式八基
主機関 艦本式タービン一基
出力 12000馬力
速力 18ノット
航続距離 9000~12000海里
補給物件 重油2100トン 石炭1500トン 清水830トン 20000人の一月分の食料補給。
この加藤のおかげで日本は後の戦争の時に重油輸送は幾分か楽になるのである。また、海軍工廠や陸軍の兵器工廠、三菱等に雇われたドイツ人技術者が大量にいた。
ルール占領等によりドイツはマルクの価値が一兆分の一にまで暴落しハイパーインフレーションに陥ったのだ。飛行機や艦艇建造に携わっていた工員達は嘗て日本の大使館等が日本で指導する技術者が欲しい事を思いだし、遥か極東の地であるがカネ、食べ物を求めて日本へ渡航したのである。渡航した人数は400人程度ではあったが日本の技術力向上に一役買っているのは間違いない。渡航した技術者の中には日本に永住する者も現れてドイツ文化を日本に広める一因にもなっていた。
1924年十一月、大陸の満州にて張作霖は奉直戦争に勝利して中華民国の政権は張作霖の手中に落ちる事になる。なお、この時の十月に北京政変が発生し愛新覚羅溥儀とその側近らを紫禁城から強制的に退去させられたが芹沢公使らの働きで日本公使館にて庇護を受けるが後に旅順へ移っている。
直隷派は日本公使館に溥儀の引き渡しを命じたが日本は回答として「震災時に義捐金を送ってくれた者を引き渡す事は出来ない」と拒否したのであった。だがこれが後に支那事変を引き起こす要因になるとはこの時は日本は元よりアメリカやイギリスも思ってもいなかったのである。
「ダムの建設か……」
将和は朝刊の一面に載せられた文字を見ながらそう呟いた。原内閣は将来の電力確保として13ヶ所のダム建設を決定した。
ダムは将和の案も取りつつ戦後に建設されたダムばかりであった。
一覧としては笹生川ダム、西山ダム、小樺ダム、王滝川ダム、生坂ダム、小田切ダム、渋沢ダム、秋神ダム、宮川ダム、風屋ダム、城山ダム、石淵ダム、本沢ダムの13ヶ所である。ただ石淵ダムと本沢ダムは岩石や土砂を積み上げて建設するロックフィル形式であった。そのためロックフィル形式に詳しい外国人土木技術者を雇用している。
本来としては黒部ダムの建設案も浮上していたが黒部ダムは戦前の建設では難しいと判断され黒部ダムは1945年以降とされ黒部川のダム建設は仙人谷ダムまでとされた。
資金や住民の移転の問題もあったが累計約60~86万キロワットの確保には政府も積極的だった。これらのダムは開戦前までには竣工して日本の生産に大いに役立つ事になるのはまだ先の話であった。
そして1925年二月、屋敷のとある一室の前にて将和はウロウロと歩き回っていた。
「落ち着きなさいよ貴方」
「し、しかしな夕夏……」
「貴方は三人も子を産ませているんだから少し落ち着きというものを持ちなさい」
「ア,ハイ」
将和は夕夏が入れたお茶を飲む。
「ま、気長に待ちなさいな」
「……そうだな」
その時、部屋から赤子の泣き声が聞こえてきた。
「……夕夏!?」
「……生まれたわね」
そこへ医師達が出てくる。
「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
「あ、ありがとうございます。あの面会はいけますか?」
「五分程度なら大丈夫です」
そして将和と夕夏が部屋に入るとベッドに横たわるタチアナと生まれたばかりの赤子がいた。
「あ、貴方」
「お疲れ様タチアナ」
「見る?」
「うん。あぁ、タチアナはそのままで大丈夫」
起き上がろうとしたタチアナにそう言って将和は赤子を抱く。
「女の子か。良い名前を考えないとな」
「期待しているわ貴方」
「やっぱり赤子は良いわねぇ。貴方、また頑張りましょうか」
「えっ? まだ頑張るの?」
「あら、悪いかしら?」
将和の言葉にそう答える夕夏であった。
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