第四十一話
1921年十二月、日本・シベリア・ソ連航空隊はシベリアに冬が来た事で一旦の活動は停止する。それはソ連軍もそうであった。ドイツ軍の元パイロットを教官にした事で日本・シベリア軍航空隊に打撃を与えたソ連軍は「来年でミヨシを討ち取る事も可能」と判断して更に300機の戦闘機をシベリアに配備する事を決定。しかし、これは限定的であり来年の七月までとした。
これはレーニンの「九月までにミヨシを討ち取る事が出来なければシベリアと和平停戦をする」という言葉に基づいた事である。
レーニンは皇帝一家がいるシベリアを討ちたかったが国内は戦時体制を強いている事もありそう易々と軍を動かせる事が出来なかった。
特にこの戦時体制によりルーブルが暴落して物々交換が主流となり1921年までに重工業生産額が1913年水準の20%にまで落ち込んでいたのだ。また、クロンシュタット海軍基地で起きたクロンシュタットの反乱も勃発していた。
クロンシュタットの水兵らはボリシェヴィキの強力な支持者とみられていただけにレーニンに強いショックを与えていた。
このような事もありレーニンはシベリアと和平停戦を思案し始めたのだ。そのためソ連軍は戦闘機パイロットの教育に熱を入れるのであった。
一方で日本義勇軍航空隊も内地へ帰還していた。部隊も半壊しつつあったので日本もパイロットの育成に努めた。塚原や小沢らは教官となりヒヨコパイロットの育成をするのである。
「隊長、今頃はアメリカだな」
「隊長も大変だな、ユトランド沖海戦に参加してたから代表団へ付いて行くようなものだな」
横須賀海軍航空基地で山口と大西はそう話していた。彼等の上空では新たに海軍用に輸入されたスパッドS.13が飛行訓練をしている。
「まぁお土産物に期待しておこう」
「それもそうだな」
そう話す二人である。話の話題に上がった将和はというと、ワシントン会議の代表団に参加していた。
(何で此処にいるんだろうか……)
東郷からの依頼とは言え、将和が断れる事が出来なかったので折角休暇に会えると思っていた夕夏に手紙にて泣く泣く謝って代表団に付いてきていた。
「それではこの案でいこう」
全権代表である原敬の言葉に副代表の加藤友三郎を筆頭に頷いた。ワシントン軍縮で日本から代表団への暗号電をアメリカが傍受・解読をした事を知っていた将和の案で宿泊先のホテル等の軍縮内容の会話は全て禁止し軍縮内容は全て紙に書いていた。このためアメリカが傍受・解読する事はなく日本が手の内を一切見せない事に恐怖していた。
「暗号電を解読出来ないだと?」
「代表団への暗号電が一切無いんだ。解読すら出来ない」
「くそ、ジャップめ」
暗号員達はそうボヤいたのであった。そして会議が始まる。主な議決は以下の通りだった。
1 米・英・仏・日による、太平洋における各国領土の権益を保障した四カ国条約を締結。それに伴う日英同盟破棄。
2 上記4ヶ国(米・英・仏・日)にイタリアを加えた、主力艦の保有量の制限を決めたワシントン海軍軍縮条約の締結。
3 全参加国により、中国の領土の保全・門戸開放を求める九カ国条約を締結。それに伴い、石井・ランシング協定の破棄と山東還付条約の締結。またこの時、中華民国との間で関東州等の租借期間延長の協定も締結された。
当初は中華民国も租借期間延長に反発したが、史実とは違い膠済鉄道が日本の借款鉄道にならずそのまま返還、同鉄道沿線の鉱山は日中合弁会社の経営も日中合弁としない事で決着ついたのである。
この協定は史実の対華21カ条要求の第二号から旅順・大連(関東州)の租借期限、満鉄・安奉鉄道の権益期限を99年に延長すること(旅順・大連は1997年まで、満鉄・安奉鉄道は2004年まで)
日本人に対し、各種商工業上の建物の建設、耕作に必要な土地の貸借・所有権を与えること
日本人に対し、指定する鉱山の採掘権を与えること
等の三つであった。四カ国条約は直ぐに締結された。日英同盟は日本が更新の希望をそれとなくイギリスに伝えてはいたがアメリカによるイギリスの根回しは周到であり結局日英同盟は解消されたのである。
一番の懸念は軍縮であった。
「戦艦ムツは未成であり破棄対象ではないか?」
「陸奥は十月に就役しており破棄対象ではない。米英が良ければ調査しても構わない」
チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ国務長官の指摘に副代表の加藤友三郎はそう発言した。実際に陸奥は日本の建造能力が僅かばかり上回っていたので就役している。ヒューズら米英は更に粘ったが逆に日本から「日本2 アメリカ3 イギリス2」の四十サンチ砲搭載戦艦の保有を提案した。
この時点で四十サンチ砲搭載戦艦は長門、陸奥の他に完成していたのはコロラド級のメリーランドの三隻だった。
ヒューズは更に粘ろうとしたがアーサー・バルフォア外相らに説得されて日本案を飲んだ。
「日本は先の大戦の時に貴国が参戦するまでにユトランドやヴェルダンで見事な戦いぶりをした。此処は日本からの案を飲むべきだろう」
バルフォア外相は下手に日本を攻撃すれば日本が会議に参加しないと思案していた。また、日本案はイギリスにも四十サンチ砲搭載戦艦が出来るので蹴るつもりはなかった。
結局、日米英の戦艦保有率は史実通りとなる。そして新たに誕生したばかりの空母の保有率でも日米は争う。
「二艦に限り33000トンとするべき」
「日米英三国を基準に三艦33000トンとしてはどうだろうか?」
日米は激しく論戦を繰り広げられたが、日本の暗号電を解読出来なかったアメリカは日本が容認する最も低い海軍比率が分からず終始加藤に翻弄されていた。そして日米英の戦艦と空母の保有率は以下に決定されたのである。
ワシントン軍縮保有トン数
日本
戦艦315000トン
空母140000トン(三艦に限り33000トン)
アメリカ
戦艦500000トン
空母180000トン(三艦に限り33000トン)
イギリス
戦艦500000トン
空母180000トン(三艦に限り33000トン)
史実より空母の保有率が多くなった日本だがそれはアメリカとイギリスも同じである。
(アメリカは今頃怒り狂っているだろうなぁ。軍縮会議の主導権を握れなかったし)
二月六日に行われた九カ国条約署名式後、宿泊先のホテルにて将和はそう思う。
「三好大佐」
「はい」
不意に加藤副代表に呼ばれた。
「軍縮の会議が終わった。今からイギリスに飛んでくれないか?」
「イギリスにですか?」
「我が海軍はイギリスから習って空母の建造を指導してもらっているが、縦索式制動装置の効果を確かめてほしい」
「分かりました」
「まぁイギリスへは短期間だから直ぐに奥方にも会えるよ」
「だ、大臣」
『はっはっは』
顔が赤くなる将和に笑う一同だった。そして代表団より一足早くにワシントンD.C.を離れて客船でイギリスに向かうのである。
「はぁ、今度はイギリスかよ……」
将和は徐々に消えていくニューヨークを見ながらそう呟いた。乗船する前、将和は白百合の花を購入していた。かつて、将和は練習艦隊の時にタイタニック号の救助に関わっていた。沈没海域を航行するわけではないが追悼の意味を込めて献花するために購入したのである。
そして沈没海域ではないが、将和は洋上で献花するのであった。
「ミヨシ大佐、撃墜数が200を越えた事について一言願います!!」
「ミヨシ大佐、今回の訪英の目的は!?」
「ミヨシ大佐!!」
「ミヨシ大佐!!」
「ミヨシ大佐!!」
「……疲れた……」
客船から下船すると将和が訪英する事を聞き付けたマスコミが港に押し寄せ、将和は出迎えた英海軍関係者らとぐちゃぐちゃになりながらも無事に逃げ仰せた。
「中々のスリルでしたね」
「ははは、確かに。えーと……」
「おっとこれは失礼。私はミヨシ大佐の案内役を仰せられたトーマス・フィリップス少佐です。撃墜王であるミヨシ大佐にお会い出来て光栄です」
「(フィリップス大将かよ!?)これはフィリップス少佐。数週間ほどお世話になります」
まさかの案内役がマレー沖で戦死する英東洋艦隊司令長官の大将とは思ってもみなかった将和だった。
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